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霊異譚イチャつき絵巻  作者: ヘルニアス洋
襲い来る過去編
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02 とある昔話

 時は二十数年遡る。所は田園煌めくとある里。そこのとある一軒の家。


風結子(ふゆこ)! お前、山に入ったのか?」


「……うん。鉄ちゃんが行こうって言うから……」


 風結子と呼ばれた娘は父親のキツい口調に身を強張らせる。いたずらした憶えもなく、幼い身には父に詰問される謂れがわからない。

 近所の子どもと遊ぶ際、注意されたことは川に落ちるなよ、と言われれただけだったから。それならばと川から離れた山で遊んでいたのだ。

 盆休みが取れず、ひと月遅れの夏休みで父の生家に遊びに来てのこと。


「迂闊だったわ……孝宏、これから朝まで一歩も家から出すなよ。そして夜明けすぐ帰れ。ほんとなら、今すぐ帰したいとこだが、夜はまずい。朝までなんとか凌ぐしかあるまい」


 風結子の祖父がこれ以上無い渋面をつくる。


「お義父さん、どういうことですか?」


 風結子の母親も何がなんだかさっぱりなのだ。夫と舅だけが知る何かがある。それも大事な愛娘に関わる何かが。因みに姑は二年前鬼籍に入っている。


「さっき玄関前にこれが刺さってた」


 夫の孝宏の差し出す手には一振りの枝があった。緑の葉と赤い実が目に鮮やかだ。


「これは……サンザシ?」


「そうだ……花嫁として見初められた証だ」


「花嫁?」


 この里は東西に開け日当たり良く、北と南にある山に挟まれるようなところだった。南山は隣村との行き来もあり、何も問題はない。

 北山に曰くがあった。

 山は実り豊かで流れ込む川も干ばつ知らずの恩恵をもたらしてくれる。里は挙って山の神を祀った。では何が――

 女人禁制だった。もっと言えば生娘禁制だ。

 何故か?

 北山に入った生娘は山の神に食われるという。男や既婚の女に何かあったという話は一切無い。しかし山に入った生娘は必ず(はらわた)を食い散らかされた無惨な姿で発見される。稀に無事に戻ってくる者がいたが、もれなくサンザシの枝が家に刺さり目印となって、夜半にはその娘の姿は消えてしまう。

 それを花嫁と呼んでいた。


「この時代にそんな馬鹿な話が? それに花嫁って、風結子はまだ五つですよ!」


 里の因習迷信を知らない年若い母親は激昂するばかり。それもそうだろう。平成の世にそんなことがあるものかと。


「年は関係ないのだ。残念ながら、な。儂の小さい頃にもあったのだからの……」


 実際目にした祖父の言葉は重い。


「そんな! それじゃあ風結子はどうすれば?」


 母親は愛娘を抱きしめ放さない。当の娘は少し苦しそうだ。


「家の中で守るしかあるまい。夜は危険だ」


「あなた、知ってましたね!」


「すまん……」


波瑠子(はるこ)さん、謝る言葉もない。しかし、今はその娘を守ることが第一だ。孝宏よ、佐伯の婆を呼んで来い。あの婆なら、何とかしてくれるかもしれん」


 伊達にここに長年住んでいたわけではない。祖父は指示を出す。打てる手はあらん限り打つ。それが山の神に背くことになっても。

 里の豊穣は山に由来すると信仰されていたから。


「山伏だったとかいう婆さんか……行ってくる」



 数分も経たずして勝手口が乱暴に開け放たれ――


「たわけ! おんしがいながら、何たることか!」


「わかっとる。そこを何とかしてほしい」


 父親が連れてきた老婆は着くなり祖父をぶった斬るように叱責した。祖父よりかなり年上に見えるが、背筋はきれいに通っている。

 叱責された方はなりふり構わず頭を下げるばかり。


「おじいちゃんをいじめないで! あたしが山に入ったせいだから……」


 泣き顔で訴える風結子。幼いながら理屈はわからずとも自分のせいだと感じていた。


「こんなかわいい娘っ子が……この婆が代われるもんなら、代わってやりたいわい」


 くしゃくしゃの目元を拭ってやり、その頭を撫でる。


「やれるだけやろうかね」


「恩に着る」


「お願いします、娘を助けてください」



 佐伯の婆は肩にかけていた布袋から紙束を取り出した。墨書きされた御札のようである。それを窓という窓、戸口という戸口総てに貼り付けていった。


「二階がないのは助かるね……そうだ、火鉢はあるかい?」


「ああ、持ってこよう」


 婆は居間に置かれた火鉢を囲うように四本の支柱を立て、細い注連縄を巡らす。紙垂(しで)と呼ばれるひらひらも下がっていて本格らしく見えた。


「娘っ子を注連縄の内側に入れるんだ。いいというまで決して出るんじゃないよ。ああ、母親も一緒にいるといいさ」


「はい」


 いわゆる結界の中に母娘が座るのを認め、婆は火鉢に祖父の熾した炭を入れさせた。護摩壇(ごまだん)の代わりにするようだ。


「これから護摩焚きをするよ……少し煙たくなるが、堪えるんだ。窓は開けてくれるなよ。ワシの柴燈(しばとう)護摩でどこまで凌げるか」


 そう言いながら布袋から木切れを掴み取った婆は一本、また一本と()べていく。発声濁らせるように真言を唱えながら。


「のうまくさぁまんだぁー、ばさらだん、さんだまからしゃなぁー、うんたらたぁかんまん」


 護摩の焔が一際燃え上がった時、それは起こった。


――ウフフーー。アカナイナー。ココアケテヨー。


 始めは揺する程度。その声は甲高く、少年のよう。


「ひっ!」


 母親の娘を抱く腕が強張る。


「動くんじゃないよ。やっぱり来たかい、ヤマヒト様」


 婆は真言を繰り返す。


――アケロ―! ドコモアカナイゾー! ムスメヲダセー!


 戸口を叩き始めた。最前より声が太い。


 父親は戸口傍に立つ。鋤を握りしめて。

 その後ろには祖父が控える。こちらが握るのは鍬だ。


――サッサトムスメヲダシヤガレ! ブチヤブルゾ!


 戸や窓が割れないのが不思議なほど大きな音が出る。かなりの膂力で叩いて、家の周りを歩いているようだ。声はドスの利いた重いものに。


「慌てるんでないよ。あれは入れない証拠さ」


 婆の顔には尋常じゃない汗が伝う。真言も途切れそうに弱くないっていた。


――フザケルナ! オボエテロ! カナラズムカエニイクカラナ!


 最後に家が大きく軋むほど殴りつけ――そして静かになった。


「……帰ったのか?」


 父親が戸に手を伸ばす。しかし祖父が止めた。


「待て。まだ開けるな」


「そう……さ。明るく、なる、まで我慢だ……よ」


 婆も肯定する。ひどく消耗しているようだ。


「……わかった」


 誰もが数刻、時が止まったように動けなかった。



 風結子は母親にしがみついたまま何時しか眠っていた。母親も同様に。

 静寂を破ったのは祖父の吐く大きな息だった。それは朝日が室内を照らし始めたから出た安堵の溜息。老体に鞭を打って強いられた緊張が解けた瞬間。


「……助かったと見ていいのか?」


 うずくまったままの婆に近づく。


「……ああ。もう、だい、じょうぶだ、ろう」


「無理をさせたな」


「くく……ワシの験力(げんりき)も……これ、までよ。よい、これで、よい」


「婆!」


 祖父が抱き起こした婆の顔は満足そうに穏やかに微笑んでいた。吐血の跡がなければ目を落としているとは思えないほどの穏やかさで。


「すまぬ……だが、お陰で孫は救われた。ありがとう。本当にありがとう」

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