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霊異譚イチャつき絵巻  作者: ヘルニアス洋
都市伝説散歩編
66/101

エレベーター

一話完結編です。

連作より長めとなっております。

 さして会社に居残りしていた訳でもないが、そのOLが帰宅した頃にはすっかり日も暮れていた。

 冷蔵庫の中身を思い出しながらマンションのオートロック式のエントランスをくぐる。八階建てで周りに背の高い建物がないため、見晴らしの良さが気に入っていた。

 エレベーターに乗り込み7のボタンを押す。

 聞き慣れた駆動音に帰ってきたと安堵したその時、ふと視線を上げてしまう。エレベーターはドアに窓があるタイプだった。乗降待ちだろう人影が映る。


「ひっ!」


 OLは思わず悲鳴を上げ、半歩下がった。

 錯覚だったのか、否、確かに見た。

 あれはスキンヘッドの男性。服装まではわからなかったが、男性であることは間違いない。それにやけにドアに近いところに立っていたように思う。


 それだけでOLが悲鳴を上げたのではない。

 何某かを叫んでいる形相が見えたから。しかも血まみれで。


――早く! 早く!


 七階に着くまで長い。今までそんなことを思ったことはなかった。

 昇降のスピードはいつだって一定に決まっている。人間は焦りや恐怖感から時間の感覚が変わってしまうという。


 やっとドアが開き始めると押しのけるように飛び出す。部屋は一番奥だ。エレベーターから遠くて静かでいいと喜んでいたはずが、今は厭わしい。

 辿り着いてもハンドバッグから鍵を取り出すことさえ慌ててしまう。当然、鍵穴にだってスムーズに挿せやしない。


 ドアを乱暴に開け、閉める。普段はしないU字ロックも掛けた。そこまでしてへたり込んでしまった。靴も脱がずに。


――あれは……何? 何なの?


 血まみれの男性が叫んでいた。もしや襲われて助けを求めていたのだろうか。自分に助けることなんてできやしない。通報ぐらいはできるかもしれないが、なんと説明すればいいのだろうか。今から確かめに行くなんてまっぴらゴメンだ。

 それほどあの姿は異様だった。


 いつまでも座り込んでいるわけにもいかず、何とか立ち上がることができた。靴を脱ぎ室内に上がろうとする。そんな時、頭に()ぎるものが。


「まさかね……」


 振り返り恐る恐るドアスコープを覗く。よもやついてきてるなんてことはあるまいか、と。頭を過ぎったのはテレビの心霊番組で魚眼レンズに映っているシチュエーションだったのだ。


 そこには何もない廊下だけが見える。

 深い溜息を吐き、額をドアにつけた。

 あれは恐らく四階だった。そんなことを思いながら。



 翌朝、流石にエレベーターを使う気にはなれず、ひたすら階段を降りるOLの姿があった。


■ ■


 満ち足りた睡眠から覚めた時、舜治はいつもの生暖かさが感じられないことに気づいた。必ずひっついている温もりを探そうとした手が空を切る。


「うおっ」


 おもむろに布団をめくって声を出す。

 舜治の腰辺りの横に何やら黒い塊があるのだ。起き抜けに目にするものではないだろう。幾千もの怪異幽鬼を目にしたことがあろうとも。

 丸まって眠っているお千香には違いないのだが、長い黒髪が乱れて面妖な塊を造っていたのだ。驚いてしまうのも無理はない。

 腕枕は常として、がっちりホールドされていることもままあるのに、この状態は珍しかった。

 ちなみに舜治は床に布団敷きで寝るのが好きで、ベッドを勧める二親に長年逆らっている。

 上体を起こし、手を伸ばす。

 お千香の艷やかな髪を払うと白磁にも勝る白い肌が覗く。肌理の粗などどこにもない背中をさする。シルクの肌触りにさすっているほうが気持ち良い。


「ん……」


 (なま)めかしい声をあげるものの、目を覚ます気配はない。

 その様子に何やら思いついた舜治は口角をあげる。

 そして振動が伝わらないようにそっと背後へ寄り添うように。

 無防備な脇腹を触れるかどうかの絶妙な心地で手を滑らせる。もちろん肌にひっかかりなどあろうはずもなく、文字通り滑るよう。


「ん……あ……」


 声の艶が一段上がる。

 ならば次は下半身だ。叶うなら内ももにいきたいところだが、足も折りたたまれている。それを見て、この男は外脛をさする。やはり絶妙なタッチで。


「はぁ……ぁ」


 顔を覗き込むと、寝顔の愛らしさに反して匂い立つような吐息に自然とこちらののどが鳴る。氷肌もうっすら桜色に染まってくるからなおさらに。

 まつ毛が僅かに震えているが、まだ起きてはいない。狸寝でもなさそうだ。

 まだいける。膝頭に右手を添え、左手は耳の裏を襲う。


 ここでさすがにお千香が目を覚ます。

 舜治の手を取り、刹那に体勢をひっくり返す。総合格闘技の試合を見ているような鮮やかなマウント取りだ。

 豊満な乳房が重力と反発しているさまを見上げることは男なら本望なはずなのに、今は堪能することが許されない。何せ目が合ってしまったのだから――


「主様……」


「おはよ――」


 目の合った舜治はおはようと最後まで言えなかった。それは目を覚ましたのが妖姫だったから。獲物を捕らえ、かぶりつこうと犬歯を剥く飢えた野獣と目が合ってしまったから。


――怖いって、お千香さん。


 自分からちょっかいを出しておいて、それはない。

 そこからのお千香は容赦なかった。なにせ元から全裸だった二人なので、営みに移るのはそれはもう速かった。



――人間のいろいろ必要な何かを吸い取られた気がする……。


 よくぞ意識があるなと、事の終わった舜治は天井を眺めながらそんなことを考えていた。

 方やお千香は実は半覚醒だったらしく、直ぐにふにゃふにゃに蕩けた顔で寝息を立て始める始末。獲物を狩るらんらんとした目をしていたのは何だったのか。

 そして舜治だけ玄関から聞こえてくる呼び鈴に現世へと引き戻された。

 とりあえず着るものを着て、玄関に向かう。


「誰だよ? こんな朝っぱらに」


 そう愚痴るが、時計の針は十時を回っていた。日曜日で何よりである。



「ご無沙汰です、東浦さん」


「あなたは……不動産屋の人?」


「よかった。覚えていてくれましたか」


 玄関の引き戸を開けると、スーツ姿が立っていた。この住まいを斡旋してくれた西村という男性だった。



「それで今日はどうしました?」


 ところを居間に移し、馴れない手つきでお茶を煎れる舜治。パーフェクト家事師のお千香は未だまどろみの中ゆえに。


「東浦さん……ここにお住まいになっても平気ですよね?」


「はあ、まあ。いいところを紹介してもらったと思ってますが」


「一緒にいたあの綺麗な方は今も? そうですか、やはり平気なんですか?」


 言いづらそうに問うてくる西村という不動産屋。そういえば、二人が借りているこの家は幽霊屋敷として借り手のいない物件だった。


「昨夜、夜更かししたらしく、お恥ずかしながらまだ寝ています。それなりに平気で暮らしてますよ」


「……そうですか」


 若い男女が夜更かししたのなら、何をしていたのか邪推しなくとも想像できる。もっとも、それが今さっきだとは思うまい。

 しかし西村にはそんなことをからかう余裕がなさそうだった。どこか思いつめたようにも見える。

 もう舜治には用件が見えてきた。


「あの……お祓いとかしたんですか?」


 やはりそっち方面。


「それは、まあ、それなりに」


 当然ながらガッツリと祓った。何しろ稀代の巫覡がうんざりするほど大量の霊が憑いていたのだから。一歩間違えば飛縁魔が全焼させるところだったなぁと、遠い目をする。


「効き目はかなりありそうですね。不躾ですが、そのお祓いをしてくれる方を紹介してもらえませんか?」


 まあ、舜治がやったと思われるわけもなく。


「理由を聞いても?」


「実は――」


 西村の勤める不動産会社が管理する一棟のマンション、そこの住人からクレームが来ている。

 始めは真に受けることもなく、見間違いや気のせいだとやり過ごす。しかしクレームは一人二人と増えていく。埒が明かないと西村も確認に訪れることに。


 そして見てしまう――血まみれの苦悶に喘ぐ形相を。


 誰かが襲われたり取り憑かれたりといった被害は今のところないらしい。出るのは四階、エレベーターの前に立っている。だから、被害らしい被害は上階の住人が階段に難儀しているくらい。それは切実であろう。

 階下の住人には何もなく、平穏に暮らしている。不思議なことに、四階での乗り降りにおいては目撃例がないという。

 そして現れるのは決まって夕方から暗くなったくらい。日中や夜半は見ることがないようだった。まさに逢魔が時というやつ。


「幽霊騒ぎを何とかしないと、オーナーさんからはせっつかれるし、このままじゃ入居者が出ていってしまいます。俺も夢に出てくるし! 事故物件はここだけでいっぱいいっぱいなんだよお!」


「最後にぶっちゃけやがった!」


 激安賃料に飛びついた男の言うことか。事故物件だったおかげであり得ない値段で住めている。


「し、失礼しました」


 卓上に手をついて西村は詫びる。土下座せんばかりの勢いだ。それほど切羽詰まっていたのか。


「どうしました、大声で? あら、お客様?」


 襖を開けてお千香が現れる。大きめのシャツ一枚に乱れ髪のやや扇情的な姿で。


「ばっ、ちゃんと着てこい」


 すぐさま引っ込める。西村は頭を下げたままだったので、事後ですみたいな恰好を見られなかったのは幸いだった。

 話も聞いてしまったし、何となくではあるが後ろめたさもあって舜治は突き放せなくなっていた。


「あー実はですね、お千香――うちのやつがそっち方面に強いんですよ。今日にでも行ってみますか」


 顔を上げた西村は泣き笑いが混ざってはいたものの、確かに安堵の表情だった。舜治の言を少しくらい疑ってもいいとは思われるのだが。


■ ■


 陽も傾きかけた頃、舜治とお千香は西村の案内で件のマンション前に来ていた。道中やけにご機嫌の麗人が繋いだ手を振り回すこと数え切れず、非情に歩きにくい思いをした舜治であった。


「一、二、三……八階か。そりゃ階段はキツイは」


「毎日何往復かすれば、足腰のいい鍛錬になりますね」


 お千香の心ない提案に舜治がうへぁとこぼす。もちろんお千香は良かれと思っての言葉だ。


「ほー」


「います? 私は何も感じませんが……」


「んーないな」


「ですよね」


 外から見た限り二人に感知する気配はない。ということは霊障はないと思っていい。やはり思い込みか見間違いか。


「え? どういうことですか? 彼女さんが霊能者なんですよね?」


「はぁ、まぁ」


「あら、そんな設定だったんですか?」


「設定とか言うな」


 とりあえず首を傾げる西村の持つマスターキーで中に入ることに。

 入れば二人は脇目も振らずエレベーターへ。ここで西村の足が止まる。


「ああ、ここで待っててくれていいですよ。無理に付き合うことはありません」


「す、すみません。本当は見届けなければならないんですけど……」


 青ざめていく西村に手のひらを向けエレベーターに乗り込む。

 先ずは通り過ぎて様子を見るため六階へ。


 素通りするも何も見えず。気配すら感じられず。

 一階まで降りてみても同じ。


 今度は四階で降りてみる。


「あー困ったな……」


「そうですね……無い袖は振れない。つまるとこ――」


「いない霊は祓えない、ってか。それでも無害なものはいるっちゃいるな」


「無害……ですか?」


「ああ、全くね。むかーし昔の地主さんかな?」


 エレベーターから見て一番奥に向かってひらひらと手を振ってみる。残念ながらお千香には見えなかったのだが、髪を結った和装女性が佇んでいるようだ。手を振り返してくれる。年の頃はちょっと見当がつかない。

 建物の外からわからなかったのは何故だろうか。それでも巫覡が危険なしと断定した。


 ところでエレベーターと突き当りの中間くらいに防火対応の鉄製ドアが見える。階段に通じている。そのドアが静かに開けられた。


「あ、やべ!」


「誰かいる!」


 中学生くらいと思しき少年が二人顔を出し、引っ込める。

 舜治は確かに見た。等身大の板らしきものを抱えているのを。


「お千香! 捕まえろ!」


 言われた妖姫は早い。持ち得る身体能力を遺憾なく発揮し、追う。さすが人外。


 程なくして階段下の方からくぐもった悲鳴が二回聞こえたが、舜治は気にしないよう努めた。重いドアの蝶番がダメになっていないことを確かめて降りていく。お千香がやや乱暴に開け放ったからだ。


 階段の踊り場では我が目を疑うような光景が繰り広げられていた。

 妙齢の女性が少年二人を吊り上げている。右手で一人、左手で一人。顔面を鷲掴みにしているのだから恐ろしい。苦しいのか観念したのか、手足が力なく垂れ下がっているところがまた。少年たちに怪我がないといいのだが。

 そして足下に横たわるスキンヘッドのゾンビ――の絵。


「良くできてんな、これ」


 しゃがみこんでまじまじと眺める。材質は硬めで軽いミラボードか。中指の第二関節でコンコンと叩いてみた。


「これ、お前たちが作ったのか?」


 返事はない。それはそう、ハンキングツリー継続中だったから。


「そろそろ放してやれ。まさか死んでないよな?」


「バカ言わないでください」


 心外なと非難の目を向けてくる。しかしあけすけに手は放され、自由になった少年たちは重力に捉まり雑に落ちた。

 今度は舜治が非難の目をする番だった。


 息も絶え絶えな少年Aが答える。口調はぶっきらぼうになる。


「ゲームの宣伝用……ショップで貰った」


「そんで、こんなくだらねぇイタズラを思いついたわけだ?」


「……だって、面白かったから」


 舜治は問答無用で坊主頭二つにゲンコツをかました。


「二度とすんなよ。お千香、それ、拾っといて」


 一瞥くれたあと、それ以上何も言わずに舜治は階段を降りていく。ゾンビパネルを真っ二つにしてお千香が続く。

 少年二人は圧倒されっぱなしでものも言えなくなっていた。



「甘くありませんか? あのくらいの年頃は大人を舐めてかかります。またやりますよ」


 お千香にいたぶられてやらなさそうなものだが。


「いいのいいの。代わりに罰してくれる人いるから」


 右手をぷらぷらさせながら舜治は言う。


「そうなんですか? それより、手、痛いんじゃありません?」


「……ああ」


 人間の頭骨は硬い。空手家でもない舜治の拳は脆かった。


「明日から瓦割りできるくらいに特訓ですね!」


「冗談じゃねぇ」


 お千香の朗らかな笑い声がコンクリートの壁に響いた。



 マンションから出た二人は西村にゾンビパネルを見せ、騒動の顛末を語る。

 安堵した西村の前でパネルを一瞬で燃え散らした際、驚愕し腰を抜かせてしまったことを舜治は軽く反省するのだった。


■ ■


「……びっくりした」


 おでこにニキビをこさえている方。


「なんなんだよ、あのきれーなネーチャンは」


 こちらはほっぺに多い。

 あの踊り場から未だ動けずにいた少年二人、お互いに恥ずかしさを隠すように空元気を振り絞る。


「こんなことでやめねーからな!」


「そうだそうだ! 次は何してやろう。でも、あのパネル、もったいなかったなー」


「学校でも脅かすつもりだったのにな」


 そんな時、二人はついと視線を上に向ける。

 そこには時代がかった着物姿の女の人が立っていた。ゆっくりと手を翳してくる。


 コンクリート壁に少年の絶叫がこだました。



「ほら、な」


 マンション外でパネルの燃えカスを踏み消していた舜治は愛でるお千香にウインクをしてみせた。

本作にホラー要素はあまり求められません。

次回「心霊写真」

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