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霊異譚イチャつき絵巻  作者: ヘルニアス洋
踊る女神編
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07 童子斬り

 階下から床を突き破る赤黒い大きな腕。

 人間の背丈を超えている。床から生えているだけでもそのサイズ。もし人型同様の全身があるのならどれほどの巨体か。

 五指の先端はごつい鉤爪が飾る。船室の床をあっさりと破るのだ、人体なぞ豆腐同然の脆さに違いない。


 床下から唸り声が聞こえてくる。ならば頭部があるのは確定し、下半身も相応にあると見るべき。


「……ったく、次から次と」


 稀代の巫覡もこれには悪態をつく。怯える謂れなど持ち合わせてもいないが、実体のある大型種はあまり相手としたくないのだ。運動能力の問題で。


「あれは……鬼の類いですね。やっちゃっていいですか?」


 近接戦闘は避けたい舜治にとって最強のスタンドアローン盾にして矛が嬉しそうにしているのが気になる。

 夕飯の支度に取り掛かるくらいにしか思っていない口ぶりだ。


 そんな時、決まって横槍が入る。それは後ろから。

 いたのを忘れるくらい静かだった窓際勢の精神がとうとう決壊してしまう。


「うわぁーーっ!」


「何だあれはーっ!」


「もう、いやーーっ!」


 これには舜治も振り返る。逸るお千香にゴーサインを出すばかりだったのが削がれてしまった。

 しかもその内の一人が意識を現実に取り戻し走り出す。目指すはお千香が開けた外に通じる穴だ。何しろ人一人通れる穴が開いているのだ。何よりも甲板出入り口より近い。

 デッキに出られさえすれば、最悪海に逃げられる。


「馬鹿! 動くな!」


 舜治の制止は届かない。その代わりその男の動きを止めるのは鬼の腕だった。

 どこから見えているのか正確に行く手を遮る。掴もうとする動きだったが、間一髪お千香の火球直撃を食らい怯んだ。


「お千香、よくやってくれた」


「はい」


 この妖姫が自ずから一般人を助けることはあまりない。船が燃える懸念もあったがここは褒めておくところ。

 効果てきめん、その顔が綻ぶ。


 しかしその攻撃が鬼を刺激する。

 始めに覗いていたのは右腕。裂け目を左腕がこじ開け、ついに頭部が現れる。

 腕と同じく赤黒い肌、その顔は神社にある狛犬によく似てる。お千香が鬼と呼ぶのに角は見当たらない。

 手を支えに胸部まで持ち上げてきた。


 相手充分を待つつもりは端からなく、先制攻撃を厭わない巫覡と飛縁魔は――


「ヤツだけを燃やせるか? 船に火を点けたくない」


「仕留めきれませんが」


「構わん」


 できないとは言わないお千香が拳大の火球を数発打ち込む。全弾顔に命中させるあたり容赦ない。それでも爆裂弾ではないため申告通り倒すに至らず。


「ぐおぉあーー!」


 痛みは感じるようで悲鳴を上げる。顔を庇うため体を引きずり出そうとする動きも止まった。


 舜治が欲しかったのはその間隙。

 既に顕現させていた八握剣(やつかのつるぎ)を水平に構え、切っ先を向ける。


天神(あまつかみ)御祖霊(みおや)御詔(みことのり)をかけ(たま)いぃて、平らけくと聞こし召せと護り給ひし、加持(たてまつ)らむ」


 言の葉が紡がれていくにつれ薄紫の剣が輝きを増していく。


「ほぉーーっ! おぉーーっ!」


 雄叫びの言い切りと同時に切っ先から放たれる霊力の塊。

 寸分違わず着弾し頭部を吹き飛ばす。弾ける音が結果からみると小さいなという印象だった。


「やったか?」


 舜治の一度は言ってみたかった台詞。


「まだです!」


 お千香が鋭く言い放つ。

 この二人のノリと相性はやはりどこかおかしい。


 頭部を失ったはずの鬼が飛び上がる。その様は樽から飛び出す海賊のよう。

 ラウンジの天井を突き抜け、そして落ちてくる。着地は大きな音と衝撃を伴っていた。とうとう見せた全容は身の丈三メートルは超える巨体。


「いやいや……マジかよ」


 舜治驚愕の一言。

 ふざけてはみたものの、あの一撃で終わりのはずだった。頭を吹き飛ばして倒しきれないとは思ってもいなかったのだから。

 霊体の類いならまだわかる。されどこの鬼は実体を持った魔物。なんとじわじわ再生していくではないか。


「プライド傷つくっての」


 さして思ってもいないくせに。

 ついと見上げれば夜の空が見える。ラウンジの天井から上がない。もう何層か合ったはずが。


「人が船を壊さないよう苦労してたってのに、台無しだな」


 言うほどしてはいない。


「下がってください」


 お千香の火柱が鬼を襲う。いまさら遠慮の必要がない。その全身を満遍なく焼いていく。


「思ったより丈夫です」


 今回は討滅するつもりの攻撃。それなのに思った効果が出ていない。表面が焦げたくらいにしか見えない。周りへの影響を慮り無意識に加減してしまったらしい。


 鬼は焼かれながらも、その頭部を完全に再生していた。

 まさに鬼の形相で()めつけ、悍ましく牙が剥く。

 威嚇の咆哮に窓際勢の女性陣は失神、男性陣も恐慌に震えていた。


「任せろ」


 巫覡は柏手をひとつ。それだけで空気が変わる。


「神通の加護奉る」


 一言で巨体の動きが止まる。身じろぎすらできずに。唸り声も上げられずに。


現出(あれいで)ませい、フツノミタマ!」


 その手にあるは鈍色がいぶし銀のように光放つ神籬(ひもろぎ)の剣。

 それを逆手に持ち、眼前に翳す。


(あめ)の八重雲に(いま)速須佐(はやすさ)(たけ)る神に願い奉りて、朝風夕風(あさかぜゆうかぜ)の吹き祓ふことの如く、(のこ)る穢れ討ち祓ふことの如く、祓へ()れと(のたま)ふなりぃや」


 紡がれる言の葉に呼応して鬼の周りに光が溢れる。銀光に触れる鬼の体表がはらはらと欠け散っていく。まるで木の葉が散り落ちるようだ。

 鬼は悲鳴を上げることも許されない。自我があるのなら凄まじい痛みが襲っているだろう。生きながらに肉体が剥がれていく感覚は想像したくもない。


 お千香は目をつむりもう見ない。声なく叫ぶ鬼の姿を見ていられないのではない。舜治の踏む韻律に酔いしれているのだ。抱かれる以上の心地よさを感じ、そんな蕩けた相好を隠さない。


 引導となる言霊を謳う。


「ふるべ、ゆらゆらと、ふるべ……ふるべ、ゆらゆら……」


 鬼の巨体が滅んでいく。砂のように崩れ、光の渦に溶けていく。

 最強の巫覡を前にして、邪鬼は何もできずに消えた。


 全ての光が消え去った時、照明を失ったラウンジは夜の一部となっていた。この異常事態に(うつつ)を忘れそうになるが、沿岸のイルミネーションがそうではないと引き戻してくれる。


「……ふう」


 息を吐いた舜治の上体が後ろへ傾ぐ。

 慌ててお千香が手を伸ばし支えた。瓜実が刹那の間も数えずに引き攣っていく。我が身などより遥かに大切なものだから。


「力の出し過ぎです」


「お見通しか……大技はまだまだ練習しろってことだな。疲れたよ」


 宝物を扱うように優しく、そして強く抱きしめてくるお千香に身を預ける舜治だった。

サブタイは「鬼退治」という意味です。

次回最終話!

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