06 美杏
船底から爆発音が轟いた際、美杏はとうとう始まってしまったと目をつむった。
それは教団の謀略が始まってしまったということ。
自分自身が人を殺めることに深く関わってしまったということ。
いや、直接手を染めてしまったということだった。
教団に拾われたことに後悔はない。
ただどんなことをしてでも教主を止めようとしなかった己を卑下するのみ。誰かに罰して欲しいと思う。
犠牲になる人たちからしてみると甚だ身勝手な思いだった。
「あなたがたは何者ですか?」
そして自分が依り寄せた人魂精霊を一瞬で消滅させた二人連れを目の当たりにする。
美杏にとって光明となるや否や。
「さっき陸のカフェで会ったやつだよな……随分とつまんねぇこと仕出かしてくれたもんだ」
二人のうち、まるでスーツの似合っていない男が忌々しげに口を開く。間違いなくこの男が霊媒師だ。それもかなりの実力を持つ。
「全くです。どれほど今日という日を待ち望んていたのかわかりますか? ずっと、ずっと楽しみにしていたんです」
連れの女が前髪を掻き上げると美辞麗句を思いつかないほどの容貌が露わになった。その見た目にそぐわない凄まじい殺気が膨れ上がってくる。
いずれも人に過ぎたるものと言えばそぐわないこともない。
「ああ、実際さっきまではかなり楽しかったよ……なあ、お千香」
「ええ、とても。今宵は大切な思い出になるはずでした」
そう言い合いながら舜治とお千香はヴァイオリン奏者から目を離さない。その目も笑っておらず、語り合いの体だが紛れもなく対象者を責めている。
お千香は言うに及ばず、舜治も怒りを隠していなかった。ツッコミで声を荒げることは多々あっても、純然たる怒りを表すのは珍しい。
「これは……あれだな」
「台無しにしてくれた礼をして差し上げなければなりません」
柳眉を吊り上げた瓜実が一歩踏み出すと長い髪が波打つ。
お千香なら一足飛びで手の届く距離をテーブルが邪魔していた。無造作にその縁を掴み横へ放り投げる。路傍の小石を蹴り出すくらいの気軽さで。
テーブルが派手な音を立てた後、窓際の方から短い悲鳴が聞こえてくるが気にしない。
もう遮る物はなかった。
美杏はヴァイオリンを取り落とし後退る。よくぞ足が動いたと思えるほどのプレッシャーに命が刈り取られてしまうことは確定事項としか思えない。
誰かに此度の暴挙を止めて欲しいと願いはしたが、これほどの殺気を浴びることなど想像できようか。いざ生命の危機に直面するとこれほど恐ろしいものだとは。
いっそ気を失ってしまえば楽になれように。
そうなのだ、鬼気が迫ってくる。
その鬼気が飛び込まんと一歩踏み込もうとしたその時、割って入る者がいた。黒服が二人、大ぶりなナイフを逆手に構える。
死人返りの中にも同じ服装がいた。
そういえば護衛のようなのがいたなと舜治は頭の片隅から引っ張り出す。
「女神様、この状況は?」
「死者の反魂は失敗ですか?」
謀略の概要を知っていたため、死体が動いていないことに疑問を投げた。その中で同僚の死体を見ても動じないが、殺気の奔流に身が竦む。
相応の訓練か修羅場を潜って来たのだろう、奉じる女神を庇おうと立ち塞がる黒服たちは驚嘆に値する。
その女神と呼ばれた美杏から返事はない。未だ血の気が戻っていないらしい。膝も振るっている。
代わりに黒服の言葉に反応したのは焔の妖姫だった。
「女神? それは一体誰のことですか? まさか、その白いドレスではありませんよね」
「何言ってる、お千香?」
舜治はお千香の言っていることにピンとこない。状況や容貌からどう見てもその白い女しかいないだろう。
「え? 舜治こそ何を見て……」
踏み込みの体勢からたたらを踏みそうになり、思わず振り返る。もちろん愛する男に向ける顔は険がとれているから、よくもそう切り替えられるものである。
むしろ虚を点かれたようで、きょとんとした表情が可愛らしく見えるくらいだ。
その振り向いた隙を点いて黒服が躍りかかる。好機を逃さず二人同時、やはり練度は高い。難敵は明らかに女の方。女とて容赦はしないと凶刃が照明を照り返す。
完璧な間合いに黒服たちは必殺を確信した。
されど相手が悪い。悪すぎる。
妖姫は向き直りざまに腕をひと薙ぎ。
たったそれだけで大の男二人が弾き飛ぶ。ラウンジの硬質ガラスを突き破り、光の届かない暗い海へと落ちていってしまうのだった。
もう生死は問えない。
ラウンジを静寂が包み、舜治の口から漏れる「あ~あ」が虚しく響いた。窓際勢からの視線が痛い。
舜治は天を仰ぎたくなるが、美杏から目を離すわけにもいかなかった。お千香に非がないだけに、いたたまれなさが加速する。
イスでガラスを割ろうとして叶わなかった男の切ない表情を見なかっただけ幸いかもしれない。
当のお千香は黒服の行く末など歯牙にもかけず、主犯術者と思しき美杏を仕留めようと次の行動に移る――ことができなかった。
女神とはどれほど護られる存在なのだろう、その周りに無数の光体が浮いていた。
「あなたたち、私を護ろうとしてくれるの?」
恐慌状態だった美杏に依り寄せる余裕はなかった。事前に船底で隠しておいたものとも違う。数が違いすぎる。しかも自分の能力でまかなえる数ではない。
波間に漂っていたものか、風に流されていたものか、唯一の拠り所であった人魂精霊がこれほどまでに集まってくれる。美杏の意識を戻させるには十分だった。
流石の妖姫も足を止める。威嚇する蜂のように飛び交ってくるものもあれば、死体に取り憑くものもある。お千香にダメージを負わせることはできないものの、鬱陶しいことこの上ない。
何しろ見ている間にどんどんその数が増えていくのだ。
だがそれも僅かの間。ここにはその妖姫を遥かに上回る人に過ぎたる者がいる。
「内外の穢れあらじば、祓いし清浄これに」
全ての人魂精霊があっけなく霧散。続けて――
「天地の清浄これに。イーエーァーー!」
板ガラスを割るような乾いた音が鳴り、それこそ無限に湧くと思われた人魂精霊は一切現れなくなった。
巫覡を中心にして人あらざるあらゆる不浄を寄せ付けない言霊。
何故かしら飛縁魔には反応しないという不思議。これは舜治ならではの現象だが、物部の霊媒師が見たのなら総出で首を傾げることだろう。
「そん……な」
美杏に呆然とするなと言うは酷と思われる。
教団に拾われる前、人前で人魂精霊を見せてしまったが故に消滅されたことがあった。密教僧により打ち消されたのだが、僧は全身全霊をかけてやっと一体。
それほど強力な素霊体だったから。
それなのに数え切れないほどの数をろうそくを吹き消すように瞬殺、再び湧き集うことまでも防がれる始末。
これは美杏の手に余る。
護衛という名の見張り役だった黒服もいない。
絶命必至の激流殺気から目が覚めたと思ったばかりなのに、状況は急斜面を転がり落ちていく。
「手加減しろよ」
霊媒師の言葉に気づけば美杏の眼前には仁王が立っていた。
言わずもがな麗しのお千香さんなのだが、美杏には仁王に見えた。今は殺気も怒気もまとわず悠然と微笑んでいるのに、そう見えた。
その艶然なる微笑みが逆にそら恐ろしい。
美杏は己が運命を悟る。
鉄槌は下方から顎を襲い、その身を僅かに浮かせ、直下に沈ませた。
衝撃がムラなく人体に伝わる理想的なアッパーカット。
「お千香はそろそろ手加減の意味を知るべきだと思うな……」
「いくら舜治でもさすがに失礼です。ちゃんとできてますから」
終わった終わったと軽口も滑らかに舜治が近寄っていく。お千香が反論してアカンベェをする顔に頬を緩ませる。
「そうか?」
見下ろす先は女の子座りで意識を飛ばしている美杏が。
「女にここまでするのは初めて見るぞ」
「そう! そこです! 何かおかしいと思っていたんです。そもそも舜治は勘違いをしています」
「俺が? 何を?」
お千香は躊躇なく足蹴で美杏を仰向けにした。
「いいですか? よく見てください」
白いドレスの胸元に手をかけ、ひと思いに引き下げる。人外の膂力は引き下げるどころか半紙同然に引き裂いた。
そこには女性らしい膨らみの一切ない胸板がさらけ出される。パッドの詰まったブラジャーはお千香の手に。
「……男だったのか」
テラスカフェで初見に感じた違和感はこれも関係していたようだ。お千香は早々に気づいていたというから恐れ入る。
「早く言ってくれよ」
「重要でした? そのことって」
「いや……そうじゃないんだけど、なんかね……しっかし、こいつがあんなに邪霊を集められるとはね。見かけによらんもんだ……何だ、この瘴気は! お千香! まだ終わりじゃないぞ!」
釈然としない表情から、途端に銀眼が煌めく。
教団のカードが全て切られるのはここからだった。
次回クライマックス




