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霊異譚イチャつき絵巻  作者: ヘルニアス洋
踊る女神編
62/101

05 死人返り

人死に描写有り

 自我を亡くした黒服はきらびやかなラウンジとは対象的な薄暗い船底にいた。周りに漂う人魂が幻想的にも見えるが、黒服の白黒反転している眼球と伸びた犬歯がそれを否定する。

 人が感じうる怖気を体現しているようで。


 そこに出くわす運のない人間がいる。動力室の扉を開け出てきてしまった機関員だった。

 開け放たれたことでエンジン音とが大きくなる。この船に搭載されている二発のディーゼルエンジンだ。外洋向けに出力が大きいため静音仕様でも音も大きい。


「ここへは関係者以外は立ち入りできません。直ぐに戻ってください」


 手のひらを突き出し、侵入を拒む。

 されど黒服は近づいてくる。


「聞こえてますか? ここへは入れませんよ!」


「あぁ……あ……」


 呻き声を返すだけで黒服は足を止めない。おもむろに突き出された手を掴む。そして噛み付いた。


 一瞬にして食いちぎる。機関員の中指から後ろがなくなっていた。


「ぎぃやあぁぁー!」


 機関員は指のあったであろうところから吹き出す血を一拍眺め、それが自分のものだと認識して初めて叫んだ。あまりのことに脳まで痛みが伝わっていなかったためだった。


 そして黒服は口内の指を飲み込むや否や再び口を開く。人間が開く限界を超えて大きく、口端が裂けてしまっていても躊躇なく、だ。

 それは今一度血肉へ齧り付くため。

 掴んでいた手を引き寄せ、今度は首筋を食い破る。動脈から吹き上がる血液が天井を濡らし、雨漏りのような滴を垂らしていた。


 機関員の手足はだらりと力なく、叫んだまま固まった表情は既に絶命していることを伝えてくる。

 それがわかるのか、黒服は機関員を雑に放すと、ここにはもう用がないとばかりに踵を返した。その方向には上へと続く階段が覗く。



 打ち捨てられた機関員、その宙空に光の塊が浮いていた。無論黒服が連れていたもののひとつだ。それは数秒滞空し、抉られた首筋へと吸い込まれていった。

 血を流し尽くしたはずの死体はビクビクと痙攣したかと思えば、やおら立ち上がる。噛まれていない首筋の筋肉に引っ張られるのか、頭が傾ぎ無惨な傷口を晒す。やはり眼球の白黒は反転している。

 憐れなるかな動く骸がまたひとつ。


「あぁ……」


 呻き声の主は黒服の行き先とは逆を向く。そう、動力室内部へと。ふらつきながらも目指すところがあるかのように進む。

 行き着く先はタービンの点検ハッチ。生前の記憶だろうか、そのハッチを開ける。稼働中は決して操作できないはずなのに、動力の心臓部に手が届く。



 程なくして船体を揺るがす爆発が起こる。


■ ■


 船内の照明が幾度か点いたり消えたりするものの直ぐに復旧したようだ。おかげで船客はどうにもならないようなパニックまで至らずに済んだ。だからこそ――


「何なんだ!」


「どうなっている! この船は安全じゃないのか!」


「ドレスにソースがかかったわ!」


「お肉料理は来ないのですか?」


 怒鳴る余裕があるというもの。直ぐに襲いくる絶望も知らずに。

 ちなみに最後は麗しき妖姫の言。


「船の下の方に何かいるな? 霊体……幽体……違うな。何だ?」


 一人冷静なのは肝の座りきってしまった男、舜治だけだった。いや、お千香もこんなことでペースを崩すわけもなく。

 この時点で二人は気づいていないが、実は取り乱していない者がもう一人いる――ヴァイオリンを携えて。


「事故ですか? 何やら怪しい気配が下からします」


「そうだな……良くわからん」


「血の臭いがしてきます」


「何だって? そりゃあ、つまらないことになりそうだ」


 イスから降りて片膝をつく舜治にお千香が寄り添ってくる。血の臭いとやらに端正な顔を歪ませながら。それでも美しさを損なわないのは見事と言えよう。


「どうします?」


「うん……逃げるか」


「清々しいですね」


 幸いイルミネーションが見える距離だ。飛縁魔ならひとっ飛びである。夜の帳もうまく隠してくれるだろう。

 ところがその飛縁魔の表情が冴えない。


「ん? 不満そうだな」


「牛ヒレの蕗味噌がまだ……それに苺のソルベとかいうデザートも……」


「諦めろ。甲板に出るぞ」


 可愛く口を突き出しているお千香の手を引いて立ち上がる。

 しかし惨劇の訪れは速かった。女性の悲鳴に足が止まる。


 悲鳴の発生源にはもつれ合う男女が。黒い服を着た男が薄緑のイブニングドレスを着た女の首元に顔を埋めているところだった。そして鮮血がほとばしる。

 他方からも絶叫が上がる。


「有り得るか? あれは……」


「死人ですね。何故ここに?」


 黒い服が顔を上げると薄緑は崩れ落ちた。

 その様を見ていた舜治は目を丸くする。襲ってきた死人に驚いたわけではなく、どこからともなく飛び込んできた人魂らしきものが襲われた女に吸い込まれていった瞬間を目にしたからだった。


「天然じゃないな。仕組んだ奴がいる……やっぱり、つまらないことになってきやがった!」


「許せません! 舜治との楽しいひとときを邪魔してくれました。蕗味噌も食べたかったのに!」


 動く死人に手を向けるお千香を慌てて止める。


「やめろっ! 船まで燃やす気か!」


 明らかに火焔を放つ体勢だった。その気になれば沈没まで五分とかからないだろう。


 ラウンジのパニックは収拾がつかなくなっていた。襲われた女が血を撒き散らしながら立ち上がってしまったのだ。目の色も変わり、歯を剥く様が悍ましい。

 船客は全員叫びながら必死の形相で離れていく。謎の襲撃者は階下からラウンジに入る階段口にいるのだ。そして襲われたはずの女は頼りない足取りで甲板への出入り口を塞ぐ。

 追い打ちをかけるように黒服の後ろから三体入ってきた。何れもどこかしら噛まれて血を流している。クルーだろう揃いのセーラーを着ているが、既に動く骸と成り果てていた。


 もう逃げられない。


 誰かが突破口を開こうとイスを窓ガラスに叩きつけるが、外洋航行に耐える硬質アクリル製はヒビも入らなかった。

 だったらと不気味な襲撃者にイスを投げつけるも、わずかによろめかせるのみ。

 あれはただの殺人者ではない。もはや人間ですらないのかもしれない。阿鼻叫喚渦巻く中、誰もがそう感じていた。

 やがて自分たちの血肉がむさぼられるとも。

 絶望という波に洗われる。



内外(うちと)(けが)れあらじば、祓いし清淨(しょうじょう)これに」


 ラウンジ内の音が、空気が一瞬凍りついたとその場にいた者たちは錯覚した。

 叫んでいた者も口の形をそのままに固まってしまうほどに。

 その沈黙を破ったのはいくつもの人体が倒れ込んだ音だった。カーペット敷の床でもそれなりの音を鳴らす。

 倒れたのは五体。黒い服と薄緑のドレス、そしてセーラーが三。


 溢れる正義感があるわけでもない。さりとて目の前で人が殺されるのを傍観する気にはならない。それも明らかに超常的な死人返り。

 これは霊媒たる自分の領分。例え望んだことではなかったとしても。

 黒い勾玉を右手で突き出す舜治は目を瞑って立っていた。


 死体を死人返りたらしめていたのは間違いなく人魂らしきもの。だったら祓ってしまえばいい。ゾンビ映画よろしく接近して頭を潰すなんて御免こうむる。


 死辺玉(まかるかへしのたま)を仕舞って一息ついたところ、犠牲者の薄緑の女性に視線が向いた。今となっては悔やまれる。もっと早く自分が浄化の法を使っていれば死なせずに済んだであろうと。

 察したお千香が手を握ってくる。舜治にとってもなくてはならない存在だ。顔の強張りが解けていくのがわかる。


 この非常時にそぐわないそんな二人の甘々空気は長く保たなかった。


「何だ今のは!」


「お前たちがやったのか! どういうことだ、説明しろ!」


「助かったの?」


 部屋の端まで退避していた面々が騒ぎ出す。

 そうもなろう。訳の分からない殺人鬼の登場に動き出す被害者。加えて悍ましい者たちが追加されたのだ。それも訳の分からないうちに収まってしまう。

 常識が理解を拒絶する。

 怪しいのは窓際まで逃げて来なかったあのカップル。あろうことか場も弁えずいちゃつく始末。

 内心の落としどころを創るためにも矛先を向ける先が必要となる。


 こうなるから人前で霊媒の力を見せたくないんだと、舜治は溜息をつきたくなった。


「黙りなさい!」


 当然穏やかざるのは我らが妖姫。

 尋常じゃない怒気を浴び、一同は息を飲む。美人が凄む迫力は容赦ない。中身が人外であるからそれはひとしお。先ほどまでの生命の危機さえ上回る恐怖を感じる者もいた。


「あなたがたは何者ですか?」


 逃げようとしていなかった者がもう一人いた。ヴァイオリンを演奏していた女が舜治たちを驚愕の眼で凝視している。


「お前が術者だったのか」


 稀代の霊媒が睨み返す。

しばらく空いてしまいまいした。

再開しましたので、お付き合いお願いします。

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