03 それは一般的にデート
時はほんの僅か遡る。
ショッピングモールの二階に外へ張り出したカフェがある。港湾の景色良く人気のお店だ。
そこに錨のオブジェを俯瞰できる席で一服する女がひとりいた。少女と呼ばれる域は脱したくらいか、整った容貌ながら眼光の鋭さが際立つ。
当人は目つきの悪さを気にしていて、声をかけようとした若い男がひと睨みで退散していったことに少なからずショックを受けていた。
されどここでお茶をすすっているのは休日を満喫しているわけではなく、人知れず務めを果たすためだった。
「来た……あれがそうなんだ」
錨に近寄ってくる男に視線が止まる。どことなく挙動不審に見えるが、手元の写真と照らして間違いない。
襟元に仕込んであるマイクに触れる。
「海浜公園にフツシの若様を確認……聞いていた通り、あまりぱっとしない感じね」
――そう言ってやるな。あれでも次期総領様だぞ。それにしても早いな……昼過ぎてなんぼも経ってないだろ。
通信相手も軽い。
「時間まであそこに独りでボヤらぁっとしてんのかしら?」
――何っ! 今、若さん独りなのか?
「そうよ。土曜のこんな賑やかなところで独りって、寂しい青春ね」
似たような年頃な上、こんなところで独りでいる自分のことは立派な棚の奥に上げ。挙げ句、小声で話す気がなくなっていた。
「あ! 誰か近寄ってく。黒い……女? 待ち合わせだ!」
――だろうねぇ……むしろ短時間でも若さんが独りでいたってことに驚きだよ。
「どういう意味?」
――甘々べったりで、うんざりする。見てればわかるよ。
「何それ?」
そもそも今夜ナイトクルーズに乗船することがわかっていたはず。一人っきりなわけがないことを失念している。
――俺はこの後、船で待機になるから。十千ちゃんはそのまま監視を続けてちょうだい。バカップルが乗船するのを確認したらお役御免だよ。
「了解。それと、いい加減十千ちゃんはやめてよね」
いちゃつき始めた監視対象を見やり、一層目つきが悪くなっていく。今まで彼氏がいないことを嘆く女には酷な任務だった。
人並みの幸せからは程遠いのが物部の霊媒師。その中で頭角を現してきた年若い新家十千の悩みは尽きない。
■ ■
そして揺るぎないバカップルに戻る。
取り決めてあったかのような挨拶を交わし、お千香は舜治の腕を掻き抱く。黙っていれば氷結の如く凛々しい面貌が今はふにゃふにゃに蕩けていた。
「んふふー」
「ご機嫌だな」
「だぁって、待ち合わせ、してみたかったんです。これはこれでいいものですね。たまにはお願いしたいです。あ、今度は私が待ってみてもいいですか?」
そう、初めての待ち合わせだった。四六時中くっついてる二人、せっかくだからと気分を盛り上げるために演出をしてみた。もっとも、ここ至近の駅までは家から一緒だったのだが。
「お千香を一人で待たせていたら、ナンパやらなんやらでひと悶着ありそうだよ」
きっとひと悶着では済まない。大騒動の予感しかしないだろう。今日でさえ、ここに至るまでにそれらしいことは多々あったのだから。
「海を見るのは久しぶりです」
「そうだっけ? いや、二人で来たことなかったような……」
「そうですよ。それとなくお誘いしても、空振りばっかり。海がお好きじゃないのかと思っていたくらいです」
「ああ、そういう訳じゃないんだけどね」
今までデート向きの海浜公園など存在も知らず、海と言えば釣りか貝採りを兼ねた海水浴しか経験してない男だ。まして海水浴ならば水着となる。傍らに侍る化生を水着にして衆目に晒すことがどれだけ危険なことか、それだけを恐れていたからだった。
「お千香の綺麗な肌を日焼けさせたくなかったんだよ。そうだな……あとで水着でも見ようか? ショッピングモールの方にお店あったらだけど」
そう言われて自慢の氷肌をうっすらピンクに上気させる。これでしばらくは凌げるか。
時間までこれと言って予定はない。商業施設は後回しとして、陽の高いうちは埠頭をぶらついてみる。
「舜治、舜治! 向こうに見える銀色があれですよね! 今夜乗るお船!」
お千香に手を引かれる先、日の光を受けて輝く流線形の大型クルーザーが目に眩しい。近寄ると見物人も多く、これほどのメガヨットは中々お目にかかれないと総出で携帯電話を翳している。
二人もお上りさんよろしく見上げているが、自然と呆けたように口が丸く開く。
「凄ぇ。こんな船で豪華なご飯食べれるなんて、お千香のおかげだなぁ」
「んふっ、喜んでもらえて嬉しいです!」
「俺はお千香と一緒にいるだけで喜んでるぞ」
「もうっ、主様ったら」
舜治は妖姫の腰に手を回し目を合わせる。素の身長はほぼ変わらないが、今はヒールの分お千香が見下ろす恰好。
外且つ立った状態でなければ成り立たない体勢にお千香は色めき立つ。
今にも唇が重なりそうな気配だ。
ここがどこかもお構いなしに生み出されたピンクの空間。周りからはメガヨットそっちのけで舌打ちや地団駄の大合唱と相成った。
■ ■
やや離れた物陰からピンク空間を覗いていた目つきの鋭い女も奥歯が鳴り止まない。先ほど通信相手の男が言っていたのはこのことか。
「はぁ〜、やってらんないわ……ん? あれは……」
ついと視線を逸らせると、ピンク空間から距離を置いたメガヨットの舳先辺りにいる奇妙な集団を捉えた。
白いゆったり目のドレスに身を包んだ女と、それを守るように囲む黒服が数人だ。
十千はバカップルを一瞥してすぐには動かないと判断する。周囲に一切気取られることなく身を移し、奇妙な集団に迫っていった。
ドレスの女はぼんやりと船を見上げ、黒服達は警戒心を隠さずに周囲を睨む。気配を断つ訓練を重ねた十千でも油断できそうにないほどの警戒っぷりだ。
こちらに張り付いてリスクを負う訳にもいかない。本来の任とも違う故、早々に離脱を決める。
「どうぞ」
――どしたい?
十分に距離を取って通信する。
「噂の女神様がいたよ。船のそば。御大層な護衛つき」
――お出ましか……船のそばって、若さん、もう乗るつもりかい?
「見てるだけっぽい。何あれ、完全に二人の世界つくってる。周りの空気がピンク色に見えるわ、マジで」
砂糖を吐き出したい気分に、自然と顔が歪む。
送信してこないから十千にはわからないが、通信先の男は腹を抱えて笑っていた。
――さっき言った通りだろ。まさか、両者接触しそうな感じ?
「それもない。あれじゃあ、周りに誰がいたって気づかないわ」
――結構けっこう。それでいい。
ふくれっ面で監視に戻る十千だった。
■ ■
埠頭の散策を楽しんだ二人はショッピングモールに移り、水着の店を探すも見当たらなかった。海沿いでありながら水着がないことに舜治は首を捻り、スポーツ用品店にて競泳用は目にしたが論外だと切って捨てた。
実はお千香の妖艶な水着姿が見たかったのだと思い知る。裸身はこれでもかと見てきたが、別腹だったらしい。
そんなことを察したお千香がニマニマ顔で脇腹を突くのが痛かった。
歩き疲れて――これは舜治だけのことだが、休憩を兼ねて二階のテラスカフェでお茶を頼む。メニュー写真のクレームブリュレが二人して気になり、ディナーに響くかと悩みながらも注文するのだった。
当然のようにお千香は対面にすわっていない。こんな時は横並びを好む。
夕陽と呼ぶには少し早く、海面に顔を寄せる太陽がさざ波を輝かせている様を眺めていたその時、舜治の肩に触れるものがあった。
「あ、ごめんなさい。大事ありませんか?」
白いドレスの女がよろめいたのか微かにぶつかったようだった。直ぐに謝意を述べる。
「いえ、大丈夫ですよ」
舜治も咄嗟に奥側に座るお千香を制し、そう返す。立ち上がらせないことに成功した。ここで揉め事は勘弁してほしい。
ただしお千香はドレス女より引き連れている黒服から不穏な気配を感じていた。
「良かった。では、失礼いたします」
去っていく一行が見えなくなるのを待って、舜治はお千香に言うでもなく口にする。
「なんだ、あいつは?」
言いようのない違和感を感じてのこと。そう時を置かず船上にて再び見えるのだが、今はわかりようもなかった。
停泊する白銀の天馬号が出航するまでもう少し。




