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霊異譚イチャつき絵巻  作者: ヘルニアス洋
踊る女神編
58/101

01 その当選確率は?

新編開始します。

 朝霞の晴れようとする木立の中、人為的に開かれたところに東屋が建てられていた。遊歩道があるでもなく、ただぽつんとそれだけがある。建てられた目的がわからない、そんな東屋だった。

 そこへ近づく男が一人、頭に白い鉢巻のようなものを巻いている。下生えが濡れていて歩きにくそうだ。


「そこで止まりなさい。それ以上近づくと精霊の勘気に触れてしまいますよ」


 制止する声はよく通り響いた。高くはないが女性とわかるやわらかい声音に、足を止めた男は胸の拍子が跳ね上がるのを覚える。

 東屋には先客がいた。いや、男はその先客に用があって来たのだった。


 先客の女は古代ギリシャの女性が着ているキトンのようなゆったりとしたドレス姿で立っていた。白い生地だが透けるような素材ではなく、袖なしの腕だけ肌が見えている。緩く締めている藍色の帯も目を引いていた。

 そしてテーブル台には香炉が載せられ、僅かに薫香を立ち昇らせていた。

 その薫香は仄白いものだが、そこへ絡むように淡く発光する何かが見てとれた。ホタルと言われればそうも見える。様々な色合いがなければ、だ。

 陽の登りきってない今、女の醸す雰囲気と相まって幻想溢れる空間を生み出していた。


「それで、何か用があるのではありませんか?」


 女と幻光に見呆けているようで、埒が明かないとばかりに声をかける。

 男の魂が抜かれるほどに女の容貌は整っていたことが原因でも合った。


「は、失礼しました。決行の日取りが次の土曜日と決まりましたので、お知らせに上がりました。また、客船への積み込みについても問題なく進められそうです」


「そうですか。それは何よりです……引き続きよろしく頼みますよ」


 男に一瞥だけくれて、再び光る何かへ意識を向ける。


 一瞥をもらった方は恍惚の表情で呟く。


「我らが女神様……」



 男が立ち去り見えなくなるまで待ってから、女は大きく息を吐いた。香炉の煙が吐息に揺れ、踊る。


「女神か……よく言う……」


 いつからそう呼ばれるようになったのだったか。その辺りはもううろ覚えだった。どうしてそう呼ばれるのかは――精霊を召喚することができると露見し、担ぎ上げられたから。

 今となってはどうでもよかった。むしろ異常な能力なぞ望んでいたわけでもなかった。

 それが今や善からぬ企みの旗頭だ。抜けるタイミングは幾度かあったはずなのに、踏ん切りつかないままこの有り様。


 女神と呼ばれた女に明滅する光が群がっていく。


「あなたたち……慰めてくれてるの? 嬉しい……」


■ ■


 とある日曜の昼少し前、年季の入った日本家屋のおなじみ東浦舜治宅。ここ数日雨がないため、家主はホコリ立つ縁側で葉物野菜に水をやっていた。

 初めての家庭菜園も近頃は楽しくなりつつある。成長に一喜一憂し、収穫が食卓を飾るからだ。

 水に濡れて良くなった葉の艶を眺めながらぼんやりと思うことがあった。


「免許とるか……」


 単に免許と言えば自動車運転免許のことであり、二十歳を過ぎて持ってはいない。今までバス電車で不都合は何もなかったのだが、最近出かけることが増えてきた。中には公共交通機関では難のある場所もあり、苦労したこともあっての思いつきだった。

 されど免許を取るにあたって――より言うなら自動車学校に通うにあたって大きな問題が浮上する。


「お千香がなぁ……」


 片時も離れることを良しとしない麗人が、何を譲ってもそれだけは譲らない妖姫が、そうなると何よりも恐ろしい飛縁魔がネックとなるだろう。

 流石に教習中びったりではいられないはずだ。後の利便性をいくら説いてもゴネる姿が目に浮かぶ。それはもう今現在目の当たりにしているかのように。

 今は玄関先の掃除をしているはずだが。


「やりました!」


 舜治は嬉しげな声が聞こえてきた方へ意識を向ける。目の前にいるほどの錯覚を覚えていただけに、驚きは隠せない。

 さて玄関の掃除をしていて声を上げてまで喜ぶ事象に思いを巡らせてみる。


「大当たりです! これ、見てください!」


 麗しの妖魔が縁側に飛び込んでくると、封筒を突き出してきた。一束に結えられた長い髪が揺れる。片手には手箒が握られているから掃除はしていたのだろう。

 柳眉を備えた目尻は下がるだけ下がり、紅を点さずとも艶やかな口角は上がるだけ上がっている。これはよほどのことか。早く見て早く見てと無言のプレッシャーがかかる。

 受け取った白い封筒は紙質と装飾から高級感があるもの。宛名は東浦舜治なのに封は切られていた。お千香は勝手に開けるものと、そうでないもの区別している。


「何かの懸賞?」


 頷く妖姫はポイントシールを貯めるタイプの懸賞が好きで、貯まっては応募している。お皿は買わずに済んでいたが、最近は全員プレゼント以外当たったことはなかったというのに、今回は――


「豪華クルーザーのディナーチケット?」


 書面とお千香の顔との間を視線が何往復もする。得意満面が小憎らしくも愛らしい。


「当たったの? これ?」


「はい! 旅行雑誌のアンケートです。行ってみたいリゾートホテルの宿泊券があったので、応募しました。抽選で当たったのはこっちですけど、それでも万々歳です」


 ばいんと音が聞こえてきそうに豊かな胸を張る。


「へぇ〜。抽選てほんとに当たるんだ。凄いな……」


 幼い頃よりくじ引きも碌に当たったことのない舜治は率直に感心するばかり。そう言えば妹の陶子は商店街の福引で無類の強さを見せていた。しばらく会っていない母のクローンを思い出す。


 シーサイドラインの煌めく夜景を眺めながらのナイトクルージング〜優雅なウインドアンサンブルに包まれてのフルコースディナーをお楽しみください――という謳い文句が目につく。


「煌めく夜景のシーサイドラインて?」


「こ、このキラキラしたお船の……ことです」


 ちょっとお千香の視線が泳ぐ。舜治が広げるフライヤーを指す指も覚束ない。

 いたずら心がくすぐられる。


「ウインドアンサンブルなんて聞いたことあったっけ?」


「……ないです……もう! どうしてそんな意地悪言うんですか!」


 ただただ反応が可愛いから。涙目になるも良し、頬を膨らませるも良し。しかしこれ以上からかうのはダメだろう。


「お、今月の金土から日付は選べるのか。これは行けそうな日取りを確認せねばならんと思うが、お茶でも飲みながらどうかね、お千香さん?」


 振り上げられた手箒がゆっくりと降ろされていく。間に合ったようだ。あれが振り切られていたらこの借家もどうなっていたことやら。


「次は簡単に誤魔化されてあげませんから」


 ぷいと横を向いて抗議するが、毎度毎度簡単に誤魔化されている。ありもしない尻尾がブンブンと振られているのが見えるよう。

 お互いこんなやり取りさえ楽しんでいるかもしれない。


「こないだもらった紅茶淹れますね」


「マドレーヌ残ってたっけ」


「ちょうど二っつ」


 お千香は弾んだ返事を残して、足取り軽く玄関の方へ。


「もうじきお昼だった……ま、いいか」


 縁側から外に出た舜治は一緒には行かない。しかしその後ろ姿から目が離せなかった。

 先日買った作業着を着ているお千香なのだが、ツナギなのに妙に体のラインが出ている。何しろ海外のグラビアモデルさえ寄せ付けないお千香のボディラインだ。ツナギとはもっとダボついたイメージだったが、ストライプ柄も相まって扇情的ですらある。

 今度の発掘調査に着せるには、あまりよろしくないように思えてきた。学外の人間が多く、周りの視線が痛くなるはずである。


「せっかく買ったのにな……」


 この男も未だわかっていない。あの化生の放つ妖しさと麗しさは着るものには囚われないということを。何を着せても隠せないということを。

 そしてクルージングディナーに相応しい衣装を自分自身が持っていないことも。



 余談ながらお茶の合間に自動車学校の話を振ってみたところ、即行で却下されてしまったという。

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