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霊異譚イチャつき絵巻  作者: ヘルニアス洋
悪意の矛先編
53/101

03 最近、流され過ぎ

「お千香、それは戸棚にでも置いといて」


「見ないのですか? それにどうしたんです? そんな顔して」


 お千香にはもっともな疑問。開けない理由もわからなければ、しかめっ面の理由もわからない。

 あの温泉宿は本当に素敵なところだった。舜治だって何度も来たいと言っていたではないか。二人らしいトラブルに巻き込まれはしたものの。


「嫌な予感がな……するんだよ」


「嫌な予感ですか?」


 以前に根拠なく本能の勘だけで最凶の敵襲来を感じとったのはお千香だった。今回は霊媒師の予感だ。黙殺できようはずもない。


――わたしは手紙の中を見てほしいなぁ。


 何故かしら佐和子が反応を見せる。封書から目が離れない。物理的に干渉するちからがないため、開封したくともできないのだ。


 佐和子が悪いわけではないのだが、この時点で舜治は確信する。これは良くない便りだ、と。

 そしてそのことを肯定するかのようにスマホが呼び出し音を鳴らす。

 知らない番号からかかってくることが増えたなと、出るのをためらいながら思うのだった。


――電話出るのに時間のかかる男だね。


「出たくなかったんだよ!」



 聞き覚えのある声は温泉宿の大女将であり、奇しくも今しがた届いた封書の差出人でもあった。いや、奇しくもではなく、見計らってと言えるだろう。


――できるだけ早くに行っておくれ。


「どこへ? また婆さんとこに泊めてくれんのか?」


――あんた、手紙見てないのかい!


「今さっき気づいたんだ。婆さんが電話寄越さなかったら、今頃読んでる最中だったろうな」


 開けて見る気はさらさらなかった男の弁。それも言外に伝わってしまうのだろう、大女将が露骨に舌打ちしてくる。


「だいたい何の用だ?」



 旅館組合で知り合った代替わり間もない若夫婦がいる。温泉町としても宿としても知名度はイマイチなところだったが、盛り上げようと一生懸命だったために、何かと気にかけていた。

 娘が産まれて更に張り合いができたと笑うその若夫婦に、自分の歳も忘れて共感したと語る。


 しかし、ついこの間からその娘がおかしくなったというのだ。

 四つん這いで動き回ったかと思えば、ケタケタと意味もなく笑い出す。

 大人数人分の食事を平らげたかと思えば、壁に向かってひたすらしゃべりかける。

 一心不乱に紙の束を裂いていたこともあったと。

 そして奇行が始まってからは宿と住居の建物から一歩も外に出ていないという。


 最初は精神科医に来てもらい診せた。終始怯えたままで碌に診察ができたとは思えない。逃げるように帰り、翌日大量の薬を送りつけてきた。

 若い医師は――あれは人間の眼ではなかった――と宣った。


 次は拝み屋に頼んだ。先々代からの知り合いに恥を忍んで相談したところ、実績豊富と紹介された。

 ひと目で狐憑きと断言した老拝み屋は――あんなもの、一体誰の手に負えるというのか――と宣い、一目散に逃げ出した。


 娘の症状は日に日に狂い、それにも増して若夫婦の精神状態も限界だろう、と。


「薬は即効性ではないんだ。ちゃんと飲んでんのか」


――壁や天井に張り付き笑い出す病気があるってのかい!


「そう……だな……」


 話を聞いた大女将は一度赴き、その光景を目の当たりにしていた。尋常ではない。狐憑きと断ずる拝み屋はある意味正しかったろう。

 されば、打てる手立てはそう多くはない。


――お主しか頼れん。あの母親もいつ壊れてしまうやもしれんのだ。頼む。


 舜治は天井を仰ぎながら大きく息を吐く。あの強かな老婆が懇願している様が浮かんでしまう。

 拝み倒されると断れないと定評のある男の行く末は決まったようなもの。

 見れば佐和子も頭の上で両手を合わせているではないか。


 お千香がそっとグラスを渡してくる。冷水に柑橘類を垂らしたものだった。このタイミングでそれを出してくれるかと感心する。益々惚れてしまうではないか。

 一息で煽ればたちまち冷え渡り、冴え渡る。

 グラスを返しながらイタズラを思いついたような悪い笑みを添えた。

 お千香も満足げに微笑む。思惑が手に取るように伝わっている。


「タダじゃあないからな」


――うちの離れに一泊。最上の料理をつけようじゃないか。


「二泊な。もちろん酒も込みだ」


――足下見てくれる。


 だがこの男が手を貸してくれるなら安いものだ。この領分ならば男が引き受けた時点で解決が確約されたようなものだから。


 そこへお千香が参戦してきた。声に出さずに六つの音を口ずさむ。

 これに乗らずにいられようか。妖姫との息の合い様は計り知れない。


「婆さん、近くに美味い豆大福(・・・・・・)売ってたよな」


 流石に大女将は受話器を叩きつけるのだった。



 通話が終わり手紙を開けてみることに。

 宛名書き同様秀逸な筆跡の書面を読む。中身は電話で話したまま変わらず、終わりの方に宿の住所と交通の便が記されていた。豪腕にして几帳面な大女将の一面を見る。


 手紙をテーブルに放るやいなや佐和子が手を上げる。


――はい、はい! わたしも行くよ!


 お茶受けの丁稚羊羹を切っていたお千香の眉尻が上がる。口にしないが明らかに機嫌が傾いていた。ほぼ一瞬で。


「ん、なんで?」


 当初から随分と絡んできてはいた。しかしこの件との接点が見い出せない。


――その娘ちゃんが気になるの。すっごくね!


 手紙を指差す姿に力が篭もる。幽霊だけれども。


「何があるのか知らんけど、ダメって言っても来るんだろ? だったら勝手にしてくれ。ただし今日はもう帰ってもらうから。明日の朝、出かける頃に来るといいよ」


――えぇー、このままここにいたっていいじゃない。


「無理にとは言わんさ。これからお千香と二人で組んず解れつするけど、見たいの?」


 仏頂面の玉骨がにわかに上気していく。それはもうわかりやすいほどに。目尻もだだ下がりで、舜治の裾を掴みだす。

 こういったフォローが欠かせない。


 悪鬼羅刹かお千香かと思っていた佐和子である。それがこの反応ならば、することは容易に想像できる。恥ずかしさで手を振ったかと思えば、どこかへ飛んでいっていまった。


「嬉しいです……そんなに求めてくれるなんて」


 腰回りもくねくねと躍動しているようだ。


「いや、明日早いから、今夜はしないよ。あの幽霊帰したかっただけだから。そういやあの子、どこに帰んのかね。お千香聞いてる? ああ、晩飯は簡単でいいよ。出かける支度もしなきゃならんし」


 デレッデレの表情からこの世の絶望全てを食らったような表情へのジェットコースターを見た。



 明けて早朝。

 目を血走らせた飛縁魔が肌も露わに夜着をはだけさせ、愛する伴侶を抑えつけていた。

 身の危険を感じた霊媒師は縛の霊術を使いそれを退けたという。

 狐憑きの少女を救う日は色艶と霊的暴虐で始まった。


「だってだって、あんなに期待させてお預けくれる主様が悪いと思いんす」

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