03 奇妙な音
舜治の通う大学には敷地隣接の付属高校がある。
舜治は大学受験組だが、地元出身の玉樹のようなエスカレーター組は多い。
「それで高等部の妹なんだけど……私に似てすっごくかわいいのよ!」
「よし、帰るか」
「あ~待って、待ってください。もう言いません」
迷いなく腰を上げた舜治とお千香を必死になって止める。
「次はありませんよ」
お千香の冷えきった声に玉樹は心底震える。
そして事情を説明していった。
高等部の三階で奇妙な音がする、という話が広がり始めたのは十日ほど前。
その音は決まって放課後の陽が傾いた頃に鳴るという。
補修や部活動上がりの生徒が幾人も聞いている。それも三年生の教室しかない三階のみ。
カンカンと何かを叩くような音。
気味悪がった生徒は音から遠ざかろうとしたが、一定の距離で付いてくるように思ったという。二階に降りて初めて聞こえなくなった。
ラップ音だとオカルト好きがざわめき、音のする方へ向かってみると、今度は近づくことができなかったらしい。一定の距離が縮まらないのだ。
更に続く。
とことん音を追跡した生徒がいたのだが、階段を上がった憶えがないのに気が付けば屋上にいた。屋上に出るドアは常に施錠されているはずなのに。
それも一度ならずの話だった。
そして玉樹の妹だが、屋上に誘導された一人である。しかもその屋上で何かを見てしまう。
妹曰く、穴。
空間に黒い穴が開いていたというのだ。
とてもその場に長居する気になれず、泣きそうになりながら屋上を後にしたそうだ。
その穴を見た生徒は他にもいて、その一人が蛮勇から手を入れようとしたらしい。
結果は、穴の中に目玉がひとつあり、明らかに睨みつけられ逃げ帰って来ることに。
蛮勇生徒はそのことを周りに吹聴し、何かに怯えるようになる。
――あれに近づいちゃダメだ!
辛うじて学校には来るものの、そう頻繁に口にする。
その生徒の件から姉が心配するほど妹も挙動不審になっていったという。
――私にも何かあるんじゃ……
「よくある学園七不思議のようだが?」
舜治の率直な感想。お千香も同意。
しかし姉の玉樹は即座に否定する。先ほどふざけてたのが嘘のよう。
「うちの高校、そういうの一切なっかたのよ。だから結構やばいんじゃないかって思う。妹を見てると尚更、ね」」
やばい根拠としては弱い。
しかし妹が心配で堪らないのだと強く訴える玉樹にとうとう舜治が折れる。
「わかった、わかった。しかし、その穴とやらを見てみないことにはなんとも言えんな」
「やっぱり? これから行ってみる?」
行かねばならないことは確定しているが、舜治は高等部に気軽に行けそうには思えなかった。自然と腕組みし思案顔になる。
「部外者が簡単に行っていいもんなのか?」
「部外者にはならないよ。部活や研究会の交流で結構行ったり来たりしてるんだから」
玉樹が人差し指を立てて振ってみせる。
知らないのは舜治くらいらしい。お千香は言わずもがな。
「妹さんはまだ学校に残ってる? できれば直接話を聞きたい」
「授業は終わってると思うから、聞いてみる」
玉樹がスマホを取り出した。
■ ■
そして一行は高等部校舎前で女子高生の歓迎を受ける。主に一人だけ。
「初めまして、高等部三年の衛藤瑞樹です! お姉様って呼んでもいいですか?」
お千香の手を取り迫る女子高生。姉の贔屓目が無くとも健康的で可愛らしい娘だった。運動部なのか覗く手足は絞られた筋肉質を見せる。
たじろぐお千香は珍しいなぁと目を細める舜治。呆然となっている玉樹を余所に、周りからは奇異や羨望の眼差しが注がれている。
「え、衛藤さん、これは……?」
「そんな他人行儀じゃなく、瑞樹って呼んでください!」
お千香は玉樹に顔を向けたのだが、女子高生は止まらない。
蚊帳の外の舜治は寂しそうな目をしている玉樹に囁く。
「挙動不審て、こういう方向?」
「まさか……実のお姉ちゃんの立場が……」
持ち直した玉樹がどうにか瑞樹を諫めやっと話ができる。
「今更な感じだけど、この子が妹、衛藤瑞樹よ。なんか既にごめんなさい」
瑞樹はお千香を見つめ、頭を下げる。
「改めまして、よろしくお願いします!お姉様!」
「男の人が東浦君、今回の怪奇現象のためにわざわざ来てもらったゴーストハンターよ。実力は菜津子ちゃんのお墨付き。こちらの綺麗な人は藤堂千香子さん。え~と、東浦君のパートナーになるのかな」
あれだけお千香が連呼していたのに、玉樹は舜治の下の名前を憶えていない。なるほど姉妹である。しかも童女菜津子のお墨付きでは瑞樹の心には響かず、舜治を見ようともしない。
「藤堂千香子様。素敵なお名前ですね」
瑞樹はブレない。
「東浦だ」
「私はパートナーではありません。最愛の君たる舜治に全てを傾ける終生の伴侶です。お間違え無きよう、お願いします」
こちらもブレない。
「え?もしかして彼女……っていうより、お嫁さん?」
「そういう言い方もいいですね」
お嫁さんと言われてお千香は手を添えた頬を染める。
「藤堂ではなく、これからは東浦千香子と名乗っていいですか?」
舜治は咎める気もなく、思ったのは、まだ早いんじゃないか~くらい。
「この冴えない人と?」
「ちょーっと、こっちいらっしゃい」
姉の行動は早かった。
瞬時に不用意な一言を吐いた妹の襟首をひっ掴み二人から距離を取る。
「いい瑞樹、藤堂さんの前で彼のことを悪く言ってはダメよ。ほんの少しでも。そうじゃなきゃ屋上どうこう以前に死ぬことになる」
「何言ってるの、お姉ちゃん?」
「いいから言うことを聞きなさい。彼女は東浦君を溺愛してるの。ああ見えて武闘派なのよ。彼の悪口を言った連中が今まで何人三途の川を渡ったことか……」
高等部に魔女の鉄槌までは広まっていないようで、瑞樹にも初耳だった。
「マジで?」
「マジで」
「ごめんなさいねぇ、躾のなってない妹で」
オホホと不自然な笑顔で戻ってきた玉樹。内心は今日謝ってばっかだなぁと若干凹んでいた。
舜治の方はオホホ笑いで誤魔化すやつ初めて見たわと思っていたりする。
それでも玉樹の咄嗟の対応でお千香に火をつけることは防がれた。お千香はお嫁さん、お嫁さんと呟いてトリップ状態だったことも幸いした。
瑞樹も今は大人しい。
「衛藤妹、一通り聞いているが、詳しく話してもらおうか」
舜治は屋上を一瞥した。