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霊異譚イチャつき絵巻  作者: ヘルニアス洋
とおりゃんせの悲劇編
37/101

09 神と妖の合わさる時

「ぐるるぅぅ」


 失念していた。

 トンネル内部において、僅かではあるもののお千香の意識を乗っ取られていたことを。

 息ができないほど締め付けられる。神剣はとうにこぼれ落ち、掴む腕を引き剥がそうとするがまるで及ばない。舜治の腕力では人外の膂力を誇るお千香に対して赤子も同然。首の骨を折られていないことが不思議なくらいだ。


「ふはははは。してやったりよ! その妖魔に随分と入れあげていたようだが、いい眺めではないか!」


 即座に死をもたらさないのは道真の意向のようだ。完全に傾いた形勢に余裕を見せる。

 雷撃の通じなくなった舜治には最も効果的な手段だった。


 お千香の瞳は白濁し、犬歯を剥いた形相は妖魔そのものだ。長い髪も波打ち逆巻いている。ただし血の涙を流していることが意識を一欠片でも残しているように思わせていた。


「ぐぅ……」


 視界がぼやける。意識も飛ぶ寸前だ。悪鬼天神の笑い声だけが耳に響く。


――舐めるなぁ!


 お千香自身の意思でその手にかけられるならそれでいい。だがこれは違う。

 薄れゆく意識を振り絞り、どれかひとつでも神宝の顕現を図る。剣は先ほど砕かれ、しばらく出せない。鏡はどこへやったか。比礼では効果が怪しい。


「ぎゃあぁぁー!」


 後ろのお千香が悲鳴を上げた。

 解き放たれ自由になった舜治の体が地に落ちる。膝と手をつき、必死で空気を吸い込む。気道が潰されているのか、満足に空気が肺まで届かない。ひゅーひゅーと嫌な音が聞こえる。


 これで終わりじゃない。眼前には天神がいるのだ。

 ふらつく足に喝を入れ立ち上がる。その足下に転がっていた赤と黒の勾玉を拾いながら。

 舜治は二種の勾玉と残る珠玉一種をお千香との頭上に顕現させたのだった。どれかひとつでもお千香の手なり頭なりに当たればいい。それで支配が解けるはず、と。バクチ技と言えた。

 しかしそのバクチに勝ったのはこちら。


「ぬぅぅ、死に損ないどもめぇ!」


 天神道真が怒りに戦慄いていた。改めて放った雷撃は微塵も効果なし。あと少しだったというに。嬲らずにひと思いに始末してしまえばよかったはず。

 更なる後悔はこれからすることになる。


 幾分呼吸を取り戻した舜治はお千香に振り返る。


「……主様。わっちは……わっちは……」


 己が手で顔を覆い泣いていた。此度は操られた所業を覚えていたようだ。

 その頭をぽんと叩き、顔を上げさせる。安心させるために(かぶり)を振ってから屈託なく笑って見せる。

 そして、あいつを討てと道真を指し示す。


 袖で顔を拭い、お千香は力強く頷き返す。その瞳は濁りもとれ、緋色に染まっていた。


「よくも……よくも、わっちに手をかけさせてくれんしたえ!」


 最大火力の火球その数、十。その全てが憎き敵へとめがけ撃たれる。

 地下室が崩れんばかりの炸裂音と衝撃が襲う。舜治は慌てて耳を塞ぐ。


「下郎がぁ!」


 なんと道真は無傷ではなかった。烏帽子のなくなった頭部には面貌と思しき影の塊だけがある。左腕は消失し、狩衣も無残に焼け縮れていた。

 ついでに半壊状態だった鳥居と祠は消し炭と化している。


「主様、トドメを刺してくんなまし!」


 お千香の言葉に舜治は頷かない。自分の喉を指し、口をパクパクとして見せた。


「ま、まさか! 声が出ないのでありんすか?」


 今度は頷き返す。お千香に絞められた喉は未だ回復せず、発声を許さない。つまりは言霊を謳うことができないということだ。ひいては強力な霊撃が放てない。

 首を締め上げた本人はみるみる消沈していく。


「わっちのせいで……」


――だから、お前がやるんだ。


 舜治は慰めない。お千香の手をとって、道真に向ける。


「わっちでは消滅しきれんせん」


――できるさ。こうすれば。


 後ろに回り、お千香の腰を左手で抱く。そして、右手は同じ右手に添える。

 明確にその意図が伝わったお千香は妖気を高め、火球を生み出す。いつもは灼熱の赤い炎。しかし、今燃え盛るは白熱の火焔。


「これなら!」


 飛縁魔は身の内に駆け巡る力の奔流を確信する。吸い上げられていく巫覡の神気が火焔に交ざり合っていく。


――数えろ。


「はい。ひとふたみつる、よいのむる、ななとやいてここのとおり」


――撃て!


 放たれる白き火焔。一直線に悪鬼天神を襲う。


 火焔は遮られることなくひたすら突き進み、天神の体内へ吸い込まれていく。


「馬鹿な……我は天神……斯ようなことが……」


 そして、道真の体は内側から火焔を吹き上げた。

 容赦なくその身を焼き尽くす白い焔。


「人間ごときが逆らうか……我は神ぞ……」


――なんだ知らんのか、神を創ったのは人間だ。それでもキサマだけは許さねぇ!


「滅びなんし! 外道!」


 睨みつける二人。そしてお千香の言葉を合図に天神菅原道真は爆発し、消えた。



 この日同時刻、全国の天満宮、摂社、末社に至るまで全ての社殿が鳴動し、そのご神体が砕け散ったという。

 三大怨霊が復活し末法の世が訪れると、数日報道を賑わせることに。



 完全に消滅したことを見届けた舜治はお千香へかかる力も抜け、尻もちをついた。立っていられないほど疲弊していたのだった。絶え絶えに息を吐く。

 お千香の翻りは早く、男の胸に飛び込む。


「許してくんなまし、許してくんなまし!」


 泣きじゃくり、赦しを乞う。

 舜治に責める気はさらさらない。もちろんお千香もそんなことはわかっているのだが、そう簡単には割り切れない。

 声が出ないため頭を撫でるしかできない。その髪もところどころ縮れたままだ。透ける白さの肌もくすんでいる。

 お千香のおとがいを上げさせ、唇を会わせる。喉や口内の傷から滲み出す鉄の味を受け渡すように送り込んだ。

 お千香が嚥下していくと、見る間に髪は艶めき、肌の輝きも甦る。


「主様……」


――ほら、綺麗になった。


 やはりお千香はこうでなければねと、舜治の顔も綻ぶ。それを見てお千香も泣き笑いができるまでになっていった。


 被さったままの泣き縁魔に立つよう促し、舜治は天井を指差した。上に行こう、と。もうこんなところに留まってはいたくない。まだまだ陽は高いはず。その光を浴びて、晴れやかな気分になりたいものだ。

 ただ、まだふらつく舜治をお千香が背負うと頑として譲らなかったため、せめて外に出るまでだと承諾せざるを得なかった。



 何時間も中にいたように錯覚する。外に出た際、真っ先にそう感じた。

 救い出した女性も大樹にもたれたままなのを認める。三人が犠牲となる残念な結果ではあったものの、これで落着を見た。後は警察に報告し、事の始末を任せるしかない。

 いや、物部に一報入れておかないと面倒なことになるだろう。


 陽の光を浴びていると血の巡りも良くなり、喉の痛みも薄れていくような気がした。


「あー、あー、んんっ」


 酷いダミ声が口から漏れた。


■ ■


 ところを変えて蔵水羽。

 事務室では女将と大女将の言い合い真っ最中だった。中身は宿泊客二人を廃病院へ行かせた件について。チェックアウトは全客済んでいるため、お互い遠慮ない。


「ですから、お客様にどうしてあんなことを言ったんですか、お母さん!」


「ふん、ここでお母さんと呼ぶんじゃないよ」


「そんなこと、今はどうでもいいです!」


「お前はあの若造を見て、なんとも思わなかったのかい?」


「おっしゃる意味がわかりません」


「どうしてお前には見る眼がないんだろうね。私の娘とは思えん」


 大女将がやれやれと首を振る。私の代で終わりかね、とまでは口に出さなかった。


「そりゃあ、お母さんや亡くなったお祖母様は不思議な力がありましたけど……」


「あの男は別格さ。とんでもない力を持ってるよ。お前に娘がいたら、婿にほしいくらいだ。そうなれば御嶽(みたけ)の家も安泰だろうに」


 何歳になっても、母親から娘への当たりはきつい。

 そして大女将はここに来て、ひとつの推論に至る――もしや、噂に聞く物部の人間やもしれないねぇ。近いうちに若い総領が立つとか……。


 そこへ明るい声が玄関の方から聞こえてきた。


「ただいま戻って来ましたぁ」


 女将が出迎えたのは、着衣の荒れた舜治とお千香だった。着ているもののみならず、顔にも血の乾いた跡が窺える。


「お帰りなさいませ。まあまあ、すっかり汚れてしまわれて。直ぐにお湯へ参りませんと」


「早かったね……首尾は?」


 女将の心遣いを差し置き、大女将も現れる。


「上々だ」


 くたびれた顔で、しゃがれ声を発す。


「私の眼に狂いはないね……礼を言わせておくれ。約束通り、昼は奢りだ。ついでにもうひと晩、泊まっていくといい。それも奢ろう」


「あー、ありがたいが、明日は学校があるんで……」


 腕を支えてくれてる妖姫の顔を伺う。休むことにはとことん厳しいお千香さん。


「お言葉に甘えましょう。今の舜治には休息が必要です」


 まさかの快諾。今日ばかりは当然とも言えようか。


「聞いた通りだ女将。くれぐれも昨日と同じもんを出すんじゃないよ。蔵水羽の名折れだからね」


「承知しておりますとも。ささ、離れへ参りましょう」


 女将が二人を連れて行くのを大女将は黙って見送った。


 静けさを取り戻すかと思われたそんなロビーに一人の男がやってきた。


「御嶽楠湖(くすこ)って婆さんは……あんたかい?」


「知らん顔だね。私に何の用だ?」


 睨みつけるには随分と見上げなければならないほどの長身で、ガラガラに痩せた男だった。糸のような眼が胡散臭さを表しているような。


■ ■


 二人は着ていた物の洗濯を頼み、露天風呂に身を沈めていた。足の間にお千香を座らせ、後ろから抱きかかえる恰好で。


「おとなしいな」


「二人っきりになると……流石に居た堪れなくて……」


「いつものように爛漫でいてくれないと、俺の体調は戻らんぞ」


 そう言って、髪を結い上げ露わになっているうなじに甘く噛み付いた。


「もう……敵いませんね」


「お互い様だ」


「はい……」


 お千香はするりと向き直り、豊かな乳房を押しつける。


「今日はしないからな」


「台無しです。例えそうでも、黙って抱きしめるとか、くちづけするとかしてください」


「そうだったな……」


「時に主様……天神と対決した際の言の葉は初めて聞きました。凄まじい力です。あれは一体?」


「あれか……切り札というか、大國魂そのものの発露だ。あまりうまくいった試しがないから、今まで見せたことがないんだよ」


「そうなんですか……大神の力、うまくいかないこともあるんですね」


「あー、今まで一回しか成功してない。今日で二回目だな」


「なっ……」


「それはそうと、お千香。歌を聞かせてくれよ。お前の歌声が聞きたい」


「それだけは嫌です……本当に下手なんですから。笑われてしまいます」


「そんなことないぞ。あの時は本当に聞き惚れてしまったんだ」


「うぅ……絶対ですよ、絶対笑わないでくださいね」


「ああ、絶対だ」



 喉の痛みを押して爆笑した舜治は、全快までの日数を伸ばしてしまうのだった。

今編最終回までお付き合いいただきましてありがとうございました。

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