03 温泉街の綻び
――孫は見せてもらえるんだろうね――待て待て、まだおばあちゃんと呼ばれたくないわ!
明けた早朝、台風は去って行った。
残された二人にとんでもないほどの疲労感を残して。
そんな徒労を癒やすべく来たる祭日に二人は温泉へと出かけて行った。
■ ■
温泉街としてはやや古く、情緒深げな建物と雰囲気で地味ながらも年配の層に人気のある町だった。しかしこのところ、これまであまり見られなかった若い世代が町をうろつくことが増えていた。日帰り入浴や土産物の購入などでお金を落としていくため、地元民はさして気にもしていなかった。
町へ訪れる目的が広まるまでは。
駐車場に停まった黒いワンボックスから大学生くらいの男女が降りる。男2女2だから、カップル二組だろう。観光地パンフレット片手に指さし、行き先を確認していた。
「思ったより遠かったな」
「結構古臭い町ね」
「そお? わたしは好きだな、こういう雰囲気」
「帰りに温泉饅頭買ってくか」
一行は街から少し離れた小高いところを目指す。
土産物屋を物色しながら歩くこと十分。急に陰りのある場所に出る。
そこには車二台幅のトンネルが窺えた。
「いかにも、って感じね」
「明るいうちに来て良かったかもな。結構薄暗いし」
「なぁに、怖いの?」
「うっせ。入るぞ」
緩く左カーブになっているため、向こう出口の見えないトンネルだった。四人はカップル同士で手を繋いで入っていく。陽の当たらない内部はひんやりとした空気が詰まっていた。
――と~りゃんせ、と~りゃんせ。
「えっ? 誰か何か言った?」
青い服の女性が足を止める。
「いや、何か聞こえたか?」
「やだ、おどかさないでよ」
男のひとりがスマホのライトを点けた。壁や天井に一通り当ててみる。内部を照らすには光量が足りないが、なんとなく安心するものだ。
再び歩き出す。
――こ~こは、ど~このほそみちじゃ~。
「ひっ!」
悲鳴を上げたのは青い服と手を繋ぐ男性だった。
「何か聞こえたでしょ?」
「ああ。なんか唄みたいだった」
四人は見え始めた出口へ駆け出した。何かから逃げようとして。ここで彼らが入り口へ引き返していれば、違った未来があったであろうに。
そして唄の調子ではない言葉を聞き逃す。
――おふだもってる?
「ふ~、なんかやばかったな」
「うん、ちょっと怖かったね」
抜け出した先は舗装の裂け目から雑草が生えているものの開けていた。そして古びた木造三階建の建物が構えている。他には何もなく、行き止まりのようだった。
「これが噂の潰れた病院かぁ」
「わたし、もう帰りたい……」
「ここまで来たんだ。中、入ってみようや」
指さされた入り口から異様な気配が漂う。ガラスが割れ落ち開ける必要のないドアが誘うような、拒むような感覚を匂わせているのだ。
「よし、ちょっと覗いて帰ろうぜ」
数分後、廃病院に絶望の叫びがこだまする。
■ ■
「これはなかなか」
温泉街の街並みを眺め、舜治は満足そうに相好を崩す。
横で腕に絡みつくお千香も同様だ。
「ほらほら、ここにして正解ですね」
「参りました」
二人は人目も憚らずいちゃつきながら街を流す。どうせ知らない人ばかりだ。いつも以上にじゃれ合っていた。母志摩子の影響が無意識にあったのかもしれない。
「休日ですけど、思ったより人が多いですね」
「……そうだな。寂れてるよりいいさ」
老舗の店構えを見せる菓子店や民芸店が並ぶ通り。そこに豆大福ののぼりが踊る。
「お千香、あそこに入ろう。軒先でお茶も出してくれるみたいだ」
緋毛氈の敷いてある縁台に傘も立てられ、雰囲気も楽しめそうだ。
「私が注文してきます。味は任せてくださいね」
頼むよと店内に入っていくお千香にそう声をかけ、縁台に腰掛けた。通りを歩く人々をぼんやりと目に映す。
自分たちを棚に上げ、年若い観光客が目につくなと思った。勝手に年配のイメージでいたのかと思い直す。
「どきなさい!」
怒気の孕んだ女の声。聞き間違えようもないお千香の声。
舜治は立ち上がり、声の方を見る。お千香を二人の男が立ち塞いでいた。
一人で行かせたことを誤ったと気付く。ナンパされるに決まっている。早く止めねば被害者が出ることに。
「魔女みたいなカッコして、あれでしょ、トンネルと病院見に来たんでしょ?」
「俺らもそうなんだって。一緒に行こうぜ」
奇妙な誘い方をするものだ。
お千香はこちらを見る伴侶を認め、文字通りの目には決して止まらぬ速さでナンパ男をすり抜ける。当事者、取り巻いて見ていた者全てが気付いた時には舜治の影にいた。
「まったく不愉快です。やはり片時も離れられません」
可愛く舜治の裾を掴む。俯き加減で額を押しつける。
「よく我慢したな。えらいぞ」
「せっかくの温泉お出かけです。台無しにしたくありません」
舜治は艷やかな髪のつむじに軽くキスをした。
そしてナンパ男たちを睨みつける。
「ちっ、男つきかよ。行こうぜ」
大福屋に静寂が戻る。
店員さんがお茶と大福を載せたお盆を持って寄ってきた。
「大丈夫ですか?」
「はい。お騒がせしました」
「お客さんがたが悪いわけじゃありません。それにしても、ここんとこ行儀の良くない若い人が増えているんですよね。他のお客さんの迷惑にならなきゃいいんですけど」
「さっき、トンネルとか病院とか言ってましたが、なんのことですかね?」
「知らずにお越しになったんですか。あまり言いたくないんですが、もう使われていないトンネルがあって、怖いもの見たさで来る人がいるんですよ」
店員さんの表情が硬くなるのが見て取れる。お盆を降ろした空手が胸の前で垂れ下がる形をつくった。
「出るんですか、幽霊?」
「噂です。言わないでくださいね」
お千香の選んだ豆大福は滑らかなアンコが塩豆と調和するとても美味しいものだった。頬張りながらしゃべるお千香は――
「かえりゅとき、買っていきまひょう」
そんなお千香を愛で目を細めながら、舜治は微かな引っかかりを覚えるのだった。




