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霊異譚イチャつき絵巻  作者: ヘルニアス洋
とおりゃんせの悲劇編
30/101

02 言い訳

「ふん! 親が子の顔を見に来るのに理由がいるのかい」


「いや……そういう意味じゃ……」


 視線を外すこともできずに舜治は微動だにできなかった。嫌な汗が背中を伝う。今なら蛇に睨まれた蛙の気持ちが解りそうだ。

 母と呼ばれた女性がお千香に目を向ける。キツイ目元が更に鋭さを増す。そして腕組みは崩さない。


「これまたえらい別嬪じゃないか。よく舜治に(なび)いたもんだよ」


「は、初めまして。お千香と申しましゅ。しゅ、舜治さんとは永久の伴侶を誓いまし、ました」


 こちらも圧倒されている。舜治も平常であれば、言葉を噛むお千香は珍しくもカワイイなぁと思うところなのだが、当然そんな余裕は絶無。


「永久の伴侶ときたよ。母親の前で言うねぇ。その割には萎縮してるじゃないか。カワイイもんだ。それに比べて――舜治! いつまで呆けてるのさ。わざわざ訪ねてきた母親をどれだけ立たせりゃ気が済むんだい!」


――そうやって威圧すっからだよ。


 未だかつて無い最凶の敵が二人を襲う。



「そ、粗茶ですが」


 茶托をカタカタ云わせながら、お千香は志摩子の前に湯呑みを差し出した。零さずに済ませられたことに大きな息を吐き、円卓で対面している舜治の横にちょこんと座る。


 母の名は東浦志摩子(しまこ)。舜治を産んでから専業主婦をしているが、容貌、スタイル、振舞い何れも凛としている。教師と思われるのはいいほうで、どこぞの政治家と間違われたり、何々流の師匠と呼ばれたりと箔の付き方が斜め上をいく。

 似ても似つかぬ長男は特殊部隊の指揮官だと思って止まない。何しろ口調がおかしい。


「お千香さんと言ったね……」


 そう言って茶を啜る指揮官。鋭い視線をお千香にぶつけたままだ。整った顔立ちが凄みを増す。


「はい」


「千香さん、でいいのかい?」


「いえ。舜治さんに付けていただいた名が、お千香です」


「解せないねぇ。舜治が名付けたってどういうことさ?」


「私はもともと個人を名乗る名前を持っていませんでした。舜治に出会い、名をいただいたのです」


「ちょ、待て、お千香!」


「お前は黙ってな!」


 口を挟む長男を一喝で黙らせる。やっと噛まずに話せるようになったお千香も背筋が伸びる。


「お母様に隠し事はいたしません……私は……私は人間ではありません。妖魔、妖怪の類いです。元来妖怪は個体の名を持ちません。ですが、舜治は私を認め、名をくださいました。私にとって、とてもとても大きな意味を持ちます。これだけは余人の及ぶところではありません」


 お千香は初めて志摩子の目を正面から見据えた。赤くすることのない真っ直ぐな瞳で。あの日を思い出しながら。あの大切な日を。


「物部絡みかい?」


 志摩子は息子に横目を飛ばす。


「それは関係ない。会ったきっかけが物部からの依頼だから、そう言えばそうなるけど」


 舜治も母に萎縮するのは止めた。お千香に報いるために。


「ふん、お前はそれでいいんだね?」


 それは人外でもいいのか、という意味だった。腹をくくった女の瞳を見せられたら他に聞くことはない。

 その意を感じ取った妖姫は肩を震わせ、答弁者を見ることができなかった。しかし――


「ああ。何者にも代えられん」


 刹那の逡巡も見せない答え。

 それを聞いたお千香はただただ涙を流す。これまで睦み合う言葉は幾重にも交わしてきた。それでも今の短いひとことは格別の思いで受け止められる。


「そうかい……」


 母志摩子は目を瞑って静かに息を吐いた。自分の血筋のせいで因果なものを背をわせてしまった息子。平穏な日常とは無縁となるその将来を嘆かなかった日はない。


――いっちょ前の男の顔見せやがって。あの冴えなかったこの子が……なんだか面白くないねぇ。


 男は女で変わるというが、女親の前でそれを見せつけられると複雑な思いが湧いてくるようだ。


「お母様?」


 やっと涙を拭ったお千香は押し黙る母親に、どう声をかけていいかわからない。怒らせたのか、それとも二人の仲を認めてくれるのか。


「お千香さん」


「は、はい」


「誰があたしのことをお母様と呼んでいいと言ったんだい」


 端正な口元を片側だけ上げる志摩子。目は笑っていない。


「そ、それは」


 お千香の全細胞が凍りつく。

 母親の悪い顔を認めた舜治は(かぶり)を振った。これはまずい、と。


――お千香……諦めてくれ。この埋め合わせは必ずする。


「家の中は、まあキレイにしているね。お茶の煎れ方も悪くない。これはおさんどんも期待できそうじゃないか。舜治、今日は泊まっていくよ。お千香さん、夕飯が楽しみだねぇ」


 そうきたか。たしかにお千香の家事スキルのレベルは高い。


「ちょっ、なに勝手に決めてんだよ!」


「あん? こんな時間から母親を追い出そうってのかい!」


「くっ」


 言い返せない。この母の息子をやって二十年――あの悪い顔を見せた以上、事態がこちら側に好転したためしがないのは身に沁みている。


「お母様、私、腕によりをかけて頑張ります!」


 所謂嫁イビリにシフトしているにもかかわらず、お千香はやる気を見せる。定番演出の腕まくりまでして。

 志摩子が来訪してから初めていい笑顔になって台所に向かって行った。


「健気だこと。存外いい娘じゃないか」


「知ってるよ。だから一緒にいるんだ」


 息子はそっぽを向いて母親に返す。


「ちょっと声かけてくる」


「待ちな。こっち来て、上脱いで見せるんだよ」


 立ち上がりかけた舜治を止める。

 逆らっても意味がないため、渋々の顔で言われた通りにする。勘付かれてしまったものは隠しようがない。


「ちっ、こんなに傷だらけになりがって」


 舜治の肌には大なり小なり傷痕がある。目立たないが顔にも。

 特に酷い左腕の傷痕をさする志摩子の顔は苦く歪む。こんなことをさせたくはなかったというのに。


「今更だ。それにお千香には随分助けられてる……あいつがいなけりゃ何回死んだかわからん」


「親にそんなこと言う阿呆がいるかい」



 そして夕餉。汁物、煮物、焼き物と一通り箸をつけ――


「くっ……非の打ち所がない」


 志摩子は嫁内定者の料理を口にして箸が折れよと握り込む。ここまで息子好みの味付けをしてくるか。


「素直に褒められんもんかね」


 露骨に口惜しがるとは思いもよらない。舜治は呆れるばかりだ。

 お千香はニコニコとしてお替わりの誘いを声かける。ここにきてやや優勢に傾く。

 こうして食事時に悶着起こすのを良しとしない姑予定者の舌と腹は満たされていった。


 お千香の頑張りは功を奏し、三人で乾杯できるまでに空気は(こな)れていた。


「いつも晩酌してるわけじゃあないだろうね?」


 この母もうわばみである。缶ビールの傾く角度が急だ。


「金のあるときだけだ」


「仕送りに余裕はないはずだからね」


 物部から得ているだろう報酬があるか。いくらもらっているのか知りもしないし、聞くこともしない。志摩子は物部に対してなんの口出しもできないからだ。

 まるっきりの倹約生活と馬鹿みたいな大金を手にする実態を知られれば説教は免れないだろうが。


「舜治、今度の祭日帰っておいで。東浦の親類で集まるんだよ」


 実は用件があったようだ。


「何だよ、藪から棒に。そのこと言いに来たのか? 電話で済む話だろ」


「こうでもしないと帰って来ないだろ、お前は。進学してから一度も帰ってきやしない。陶子にだって顔見せてやんな」


「あの……陶子さんというのは?」


 お千香にとって女性の名前は聞き捨てならない。


「あたしの娘だよ。舜治の妹さね」


「妹さんですか」


 思い返してみても、二人の間で話に登ったことがない。


「お前はそんなことも言ってないのかい。薄情な男だね」


 缶を持った手で薄情な男の頬を押す。


「ああ、お千香さんも一緒に来な。みんなに紹介してやろうじゃないか!」


 志摩子の顔が少し嬉しそうに見える。


「いいんですか! あ……でも、今度の祭日は……」


「なんかあるのかい?」


「その……温泉に……」


 尻つぼみに消え入りそうなお千香。


「なんだって?」


 嬉しげだった志摩子の眉がつり上がっていく。

 これは真に怒りだす前兆だ。それを知る舜治はフル回転で口実を捻り出す。


「いや、頼まれてるんだよ。悪霊退治! それが温泉宿の近くだから、泊まるのにちょうどいいなって話で。ちょっと遠いとこでさ」


 必死の弁明。


「物部といえば何でも通ると思われてるとは、あたしも舐められたもんさね」


 お見通し。


「ほんとだって! 何なら確認してみるか?」


 スマホを取り出し、画面を見せる。着歴に「物部長田」と表示されている。


「ふん。次はないと思いな!」


 情状はぎりぎり酌量されたらしい。舜治とお千香は安堵するが、二人は知らない。嘘から出た真になることを。

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