01 襲来
新編スタート!
楽しんでもらえると嬉しいです。
ある晴れた日の午後、講義も粗方終わり学内カフェは賑わいを見せていた。そこには大学一有名なカップルの姿も。
周りのテーブルに着いている男たちが自分たちの会話も碌にせず、頻りと目を向けてくる。目当ては黒装の麗人だ。その姿をカフェに認めたものなら、用もないのに近くの席を確保して注文する有様。
お陰でカフェの売上がいい感じとなり、店長さんもホクホク顔になっていた。
「随分そこにこだわるなぁ。交通の便悪いぞ。電車とバスを乗り継がんとならん」
地味めの男はスマホの画面を見ながら隣の麗人に諭し気味に言う。
画面にはとある温泉宿が映し出されている。建物は大正期からある由緒と風情溢れる旅館だ。最近離れを増築したことが大きく謳われている。
丸いテーブルなのにわざわざイスを寄せて座るのはいつものこと。女はしなだれかかるように寄り添い、こう返す。
「離れにある客室露天風呂です」
豊かな胸元が形を変えるほど密着してくる。露天風呂という言葉も手伝って、周りから殺意混じりの視線が飛び交う。殴る壁があったなら、全員間違いなく殴っていただろう。当の二人は気にも止めていないが。
「さらに郷土料理がいっぱいですよ。それなのにお値段がお手頃だと思いませんか?」
「それは、まぁ……シーズン外れてるせいだろうけど……少し遠いんだよなぁ」
女からの客室露天風呂のお誘いに男は旅館までのルートで難色を示す。周りから舌打ちが聞こえてくる。誰もが羨む女優を遥かに凌ぐ美女を侍らせていることさえ許せないのに、その誘いを拒むとは。
「こっちの海沿いの温泉町のほうが良くないか? 海産物食べ放題とかあるし」
まだ食い下がる。
別なページを開くが一瞥されるだけ。そこは前にも見ている。風光明媚な海岸線と前浜で揚がる魚介類が魅力の温泉町だ。
「そこは客室露天風呂のある旅館がありません! 一緒に入りたくないのですか?」
どうしても譲れないらしい。立ち上がらんばかりの勢い。そして上目遣いへと移行する必殺コンボをかます。
「そうは言ってないだろ」
もう折れたようなもの。
「声大きいね。どうしたの?」
そこへ割って入ってくる者がいた。数少ない知り合い衛藤玉樹だ。似合うメガネ姿が印象に残る女子学生。以前に妹絡みで知り合ってから、たまに会話する仲になっていた。
「ああ、衛藤か。温泉の行き先でちょっとな」
「あら、いいわね温泉。何が問題なのよ?」
玉樹は断りもせず同席し、手にするカフェオレを啜る。
このカップルとの付き合い方はもう覚えた。特別人付き合いが悪いわけではない。地雷さえ踏まなければいいのだ。
今では気軽に話しかけられる。結果、男女問わず知り合いから問い合わせが殺到していた。あの麗人に話しかける秘訣を教えてほしい、と。
「お千香の行きたがるとこが、ちょっと遠いんだよ」
「どこ?」
見せてくる画面の文字は玉樹も知っているところだった。
「あ~そこね。たしかにちょっと行きづらいね。藤堂さんはどうしてそこがいいの?」
「客室露天風呂です! 一緒に入りたいのに、舜治がうんと言ってくれません!」
「おおぅ」
人前ではもう少し控えめに言って欲しかった玉樹だったが、相手の鬼気迫る言い様に、こちらも年頃の娘らしからぬ返しが口をつく。
「風呂ならいつも一緒に入ってるだろうが……」
誰に言うでなく呟いた舜治の一言を聞き逃さない者がいる。
「なんですと? ちょっと藤堂さん、詳しく!」
玉樹はお千香を自分の方に引き寄せ、ひそひそ話を始めた。時折舜治に目を向けたかと思えばニヤニヤする始末。
冷めかけのコーヒーを飲むと、舜治はいつぞやの古の媛とのやり取りを思い出し、赤面する。あれはどんな羞恥プレイだ、と。
それはそれとして、お千香がガールズトークできるようになったことを喜ぶことにしようと割り切ることにした。
仕方なく電車とバスの乗り継ぎを脳内シミュレートする。今更他の選択肢は取れないだろう。せめて快適な道程にしなくては。
どれほどの意気が投合したのだろうか、女性二人は握手までしている。両者満面の笑みだ。
「二人が仲良くなって嬉しいよ」
あまりそうは聞こえない声音で舜治が言うと、お千香が隣に戻ってきた。
「あら、ヤキモチですか?」
「そうかもね。衛藤、そろそろ俺らは帰るよ。スーパーのタイムセールに行かねば」
「あら、所帯地味てるね。 藤堂さん、またお話ししましょ」
諸々含んだ笑顔を向けてくる。
「はい。楽しかったので、次も楽しみです」
「温泉行くなら、お土産話を期待してるわ」
これ以上二人の痴態を語るのかと舜治は目を覆う。
お千香に手を引かれていく舜治の背中に玉樹は哀愁を見るのだった。もちろん同情なんてしない。モゲてしまえとさえ思う。
「そういえばあの温泉て……」
何かを思いついた玉樹の呟きはもう二人には届かなかった。
玉樹が帰宅して二人が温泉に行くらしいと話した際、妹が泣いて悔しがり、後日衛藤家でも温泉旅行が挙行されたという。
因みに場所は海鮮食べ放題の明媚なところ。
――温泉に行きたいわけじゃないのよぉ!
姉曰く、あれは魂を絞り上げた慟哭だったわ。
お目当ての買い物もでき、揚々と家路につく舜治とお千香。二人の間には和やかな応酬があり、話題は夕食のメニューから、出かける温泉へと移っていた。
お千香ご所望の宿と伝えた後は、足下でじゃれつく子犬も斯くやというはしゃぎっぷりを見せた。
喜色を浮かべる妖姫を見て、まあ正解だったなと思う舜治であった。
角を曲がれば我が家が見えるその時、お千香が足を止める。
「どした?」
「舜治……まだ、家に帰らないほうがいいと思います」
「なんだ? どっか寄り道したいのか?」
「いえ……私の本能がそう告げています」
かなり真剣な顔つきに、ふざけている様子はない。しかし、本能ときたか。
「そうは言ってもな、生ものあるし、早めに冷蔵庫入れないと」
「それは……そうですが」
余程の危機を感じ取っているのか。舜治にしてみれば、無碍にする気はないのだから理由を言ってほしいところだ。
言葉を濁すお千香は珍しい。誰に対しても言いたいことは遠慮なく言ってきたのだから、舜治もそんな姿しか知らない。
「すみません。今、家に近づいてはいけないとしか言えません」
「霊的な脅威は何も感じないしなぁ」
「そういうのとは違うのですが……」
どんどん陰っていく愛する妖姫に舜治もどうにかしたい思いが強くなる。残念ながら手立てはない。
「遠回りしても避けられないかもしれません。ここは意を決して家に向かいましょう!」
何やら大仰な決心をしたお千香が言い放つ。瞳も力を取り戻し、赤く輝いていた。
「お、おう」
胸元で拳を握るお千香の気迫に圧され、結局訳のわからないまま家に向かうことに。
角を越え、既に愛着の湧きまくった借家が見える。
そして一人そこにいるのが見える。肩口で揃う髪型と服装のシルエットから女性のようだ。足下にカバンがある。
玄関を向き、仁王立ちしている。
「誰だ? お千香が言ってたのって、あの人のことか?」
「そうかもしれません。言いしれないオーラが立ち昇っているのがわかります」
埒もあかないと、近づき声をかける。
「どちらさん?」
不審人物は誰何の声にゆっくりと振り返る。
「やっと帰ってきたかい……ほう、勝手に引っ越したかと思ったら、女を連れ込むためとはねぇ」
その女性は腕を組み二人を睨みつける。ブチ切れのお千香に匹敵する殺気を放ちながら。
「げっ!」
「ふん! 親のスネかじってる学生風情が、いい気なもんさ」
舜治の顔が絶望の色に染まっていく。
ひとり置いてけぼりのお千香の視線が対峙する二人の間を行ったり来たりする。
「……母さん。なんでここに」
「え? お母さん?」
まさかの襲来である。




