02 撮影現場の異変
「どうして来てくれないんですか!」
明けて翌日のやはり夕刻。美鶴が舜治宅の玄関で声を荒らげる。
「……雨降ってたから」
「そんな…」
「そもそも受けるとも、行くとも言ってませんが」
「追い出しましょうか?」
舜治の横で凄まじいプレッシャーを放つ妖姫。美鶴の息を呑む音が聞こえる。
「お千香、止めなさい……今日も何かあったんですか? いや、いつまでも玄関で立ち話もあれですから、上がってください」
甲斐甲斐しくお茶の支度を済ませ、お千香は舜治の横にちょこんと座る。肩の触れる近さで。この家の居間はソファもなく、直接座るタイプだ。
お茶をすすりながら美鶴は二人の関係性に頭を巡らせていた。なんとかこの類稀なる美貌を芸能界にデビューさせたい。どうやら裁量は男の方にあるようだが、学生の分際で同棲とは羨ましい。
今は先に撮影現場の異変についてだ。
「今日は全く撮影になりません。何しろ全てのカメラが使い物にならなくなってしまって。ノイズが入っていたり、人物の影が動き出したり、上下逆に写っているものもあったくらいで……」
美鶴は深い溜息を吐いた。メガネが下がることも気にならないくらいの沈痛さ。
「お陰で女優みんなが帰ろうとする始末……」
「それはお気の毒に」
舜治の言葉には言葉通りの感慨が全く込められていなかった。考えているのはどうすれば関わらずに済むか。物部の人間相手でなければ拒絶できないところがこの男のいいところなのか、悪いところなのか。
「だからお願いします。ガツンと強力なお祓いをしてください!」
ローテーブルに額をこすりつけんばかりの美鶴の懇願。
請われた方も流石に同情が鎌首をもたげる。
「まだ霊障と決まったわけではないでしょう」
ささやかな抵抗。
「明日、現場に来ていただければわかります」
「明日は学校もあるし……」
折れる寸前。
「そこをなんとか」
美鶴も舜治が折れそうな気配を感じ取っていた。ここが攻めどころ。
「わたくしが担当している女優は今をときめく春日まどかですよ。なんでしたら、ご一緒にランチはいかがでしょうか?」」
「はあ……」
少し持ち直す。
舜治もテレビでよく知る、純和風美人ながら妖艶さを併せ持つ若手女優だ――が。
美鶴もお千香をちらっと見て失敗したと思わざるをえない。この氷肌の女が一緒なのだ。タイプが似ているだけに格の違いが瞭然。業界で目の肥えた美鶴にして、である。
しかしそこから援護射撃が――
「明日の講義は午前中だけですね」
今までお茶とお菓子に集中していたお千香がぼそっと呟く。表情はいたって平常。髪を束ねているからよくわかる。
「いらんことを……どっちの味方だ」
舜治がそのいらんことを宣った口元を引っ張った。
「いらいれふ」
抵抗しないところがお千香らしい。パタパタと手を振るだけ。
「よくもいちゃついてくれるわ……こちとらずっと独り身だってのに」
それでもバリキャリ風マネージャーは少し元気を取り戻す。
「午後からだけでもお願いします!」
結局強く頼まれると断れない舜治であった。
■ ■
翌日の昼下がり、二人は森林公園に来ていた。
ここに来るのはアイス屋目当てに来て以来。もうここで営業していないことに木苺好きが不満を漏らす。見物人が多いため、思うように移動できないことも不満の一役を買っていた。
「マネージャー見当たらん」
シャツにジーンズの普段着全開の舜治が周りを見渡しこぼす。
髪を完全に降ろし、帽子とサングラス装着のお千香が追随する。
「流石に人が多いです。スタッフは反対側にいるみたいですが……」
いつもの黒装束に追加装備でかなり目立っているが、面をださないようにとの舜治の指示だった。素顔を見咎められると撮影そっちのけの大騒ぎが目に浮かぶ。
人の壁から少し距離をとることに。近づいても大して見えないのなら、人波にくっついている必要はないだろうと。
「どうしたもんかね……」
舜治の意識が散漫になっていたその時、背後でお千香の手が何かを掴む。狩猟用クロスボウの矢を一メートルの距離から射たれても掴み取ることができる反応速度と膂力だ。それが舜治に向かってくるものなら逃すはずもない。
女の悲鳴が上がる。
「痛っ! 痛たた」
お千香が掴んだものは人間の手首。もちろん手首だけ浮いていたわけもなく。
「マネージャーの人?」
舜治に近づき、声をかけようとした坂下美鶴だった。
「ああ、良かった。探していたんですよ」
守られて安穏としているばかりの男は暢気なまま。しかし手首を掴まれている方はたまったものではない。
「ちょ、お願い、放してください! 折れる。折れちゃいます!」
喩えなく本心からの泣き声と涙目。生体油圧プレスに掴まれているのだからさもありなん。
解放された手首をさすり、恨みがましい目を何故かしら舜治に向ける美鶴。
「何故俺を睨むんですか?」
「いえ、なんとなく……来ていただいてありがとうございます。本日はよろしくお願いします。それにしても、女性なのに凄い握力ですね、お千香さん」
この痛みは一日二日では消えないだろう。
「ちゃんと加減してますよ。レンガくらい瞬きする間に砕きますからね」
舜治が話題の怪力女に茶化すような笑みを向ける。
向けられた方はぷうっと頬を膨らませていた。
「乙女はそんなことしません」
「だそうですよ」
「掴まれるまでお千香さんが動いたこともわかりませんでした。何かの武術でも修めているのですか?」
「あなたにひとつ言っておかなければなりません。私のことをお千香とは呼ばないでください。そう呼んでいいのは舜治だけです」
あれだけ舜治がお千香お千香と連呼していれば、自然とそうなるだろうに。ここは譲れないところらしい。
サングラスで表情は窺えないが、不機嫌さを滲ませる声だった。
「そ、そうなんですか。では何とお呼びすれば?」
「周りには藤堂千香子と名乗っています。まぁ偽名ですが。あ、いえ、今は東浦千香子でした」
――自分から偽名とか言うなよ。
いつの間にか同姓になった男が苦笑する。
「わ、わかりました……結婚されていたんですね」
これはデビューの障害となりそうだと困惑のマネージャーと、ふふんと豊満な胸を張るお千香が対照的な絵面をつくる。
もう結婚云々については面倒だからと舜治は否定しなくなっていた。
敏腕マネージャーの誘導でスタッフ側に移動した舜治とお千香。生憎話題の女優は撮影中で会えてはいない。もっとも二人はその点に関心が薄い。
「場違いなのがいるな」
自分のことを棚上げした視線の先には錫杖を持った法衣の僧が一人。目を瞑って如何にもな雰囲気を醸してしる。
「あのお坊さんは製作会社が依頼した、何でも高名な退魔師だそうです」
「へぇ~高名ねぇ……ってことは俺、いらなんじゃないですか?」
少し意地悪気味に言う。そして僧侶を見透かすように凝視する。
――なんちゃって高名みたいだけどねぇ。
「そんなことおっしゃらないでください」
「あの坊主、エキストラですか?」
空気を読まない瓜実顔。当然本質が見えている。
それを聞き咎めたスタッフの一人が噛み付いてきた。これも何故か舜治に。
「なんだ君たちは! 彼は有名な霊能者なんだぞ! そもそもなんでここにいるんだ!」
「そうは見えませんが。なんの力もなさそうですよ?」
舜治が詰め寄られたことで、むっとした感じでお千香が返す。
「それはまだ言うなって」
笑うのを堪えながら急いでお千香を引っ込める。
スタッフは尚も反論しそうだったが、美鶴に宥められ仕事に戻る。
「俺でもそれっぽい衣装着れば、らしく見えるのかね」
「舜治はそのままでも素敵です」
平凡を自覚する舜治は惚れた弱みで鷹の目を曇らせる彼女の頬を撫でた。




