06 悪意の篝火
「見えてきた――って、これは凄いわ!」
ライトバンの進む先に鳥居が見える。小高い丘に階段が伸びていることもなく、道路から真っ直ぐ鳥居へと吸い込まれていくような景観となっていた。
まだ祠は視界に入らない。
「相当なもんだね。さっき若さんが言ってたのはこれか……」
一旦車を止め、ハンドルにもたれながら前方を凝視する長田。
鳥居の奥から止めどない瘴気が溢れているのが感じられる。村に入る前、長田には感知できなかったものだが、この近距離では尋常ではない暗い渦がはっきりと分かる。
自然と顔が歪んでいく。物部の高位霊媒にして見てはいけないもの、見たくはなかったものと言ったところだ。
「好んで近づきたいとは思いませんね。村の人たちは何も感じないのでしょうか」
麗人も美貌の眉根を寄せている。こちらは握る拳に力が入っていく。
「平成の時分にこんなものがまだあるのか……」
そして暢気に嘯く男がいた。危険性を認識していても、それだけのようだった。自身の絶対優位は揺らがないらしい。隣で黒衣の化生が時折案じる点だ。
「気が進まん……やっぱり、来るんじゃなかったな」
あくまでも能力と意欲の釣り合いが取れない男だった。
木製の鳥居は年月により朱が剥がれ落ちている部分が多く、申し訳程度の細い注連縄が掲げられていた。
近づく三人のうち舜治だけがその注連縄に注視する。
「……逆だな」
「何がですか?」
舜治に釣られてお千香も鳥居を見上げるが、言ってるところがわからない。
「ああ、確かに左綯いだね」
長田が応えた。注連縄を編む際、左側を本として時計回りに編んだものをそう呼ぶ。出雲大社とその流れの神社が採用しているが、他ではまず見ない。
何故なら目的が違う。
「鳥居をゲートと見なせば内側は神域だ。注連縄は結界を果たし、外から邪気や穢れの侵入を防ぐ。つまり一方通行を作っているわけだ」
舜治がお千香に解説する。日頃は面倒がって稀なことだ。彼女も聞き漏らすまいと集中している。
「それが逆に張ってあるってことは――」
「内側から外へ出られないようにしている、ってことですか?」
「正解」
舜治の短い言葉にお千香の端麗な口角が上がる。
「しかも――」
鳥居をくぐって初めて祠が見えた。
「ご丁寧に祠にも注連縄が張られているな」
「余程、外に出したくないんだねぇ」
長田が二三歩前に出て言う。本当は二三歩下がりたい心境だった。それほど瘴気の渦が濃い。
「この距離だと、感じたことのないの悍ましさだよ……それに、これまた妙なつくりだこと」
鳥居から祠まで下り勾配になっているのだ。道理で離れていては見えないはずである。
高台からこれを捉えたお千香はまさに鷹の目だ。
「ああ、ありえないな……」
通常の神社では鳥居から社を見下ろすことなど考えられない。しかし眼前にそれがある。
境内と思しきスペースは石畳もなく、勾配はそこそこきつい。
陽が落ちかけと周囲の木々によって薄暗くなりかけていたが、祠ははっきりと見えていた。
それは祠の前に焚かれている篝火に照らされているせいだった。その数四基。
窪地となった祠周辺に煙が滞留している。それが狙いでこの立地なのだろうか。
少しずつ近づく中で、お千香が柳美な鼻を己が手で覆う。
「嫌な匂いです。何をくべているのでしょう?」
男二人は匂がわからないのか、顔を見合わせていた。
「薬草のような……それに、こう、甘い感じもします。ですが、嫌な匂いです」
「そうか? 焚き火の煙はこんなもんじゃないか?」
舜治が何度も鼻から吸い込んでみるが、言われてみてそうかなと思う程度にしか感じなかった。
それでも警戒しながら三人は祠へと近づいていった。
「それ以上、近づかないでもらおうか」
阻む声。
右手の藪から四人の男たちが出でくる。だいたい中高年くらいか。皆揃いの作業着を着ていた。更には手に棒状のものを持っている。
「どちらさん?」
長田の誰何。心なしか表情が緩い。警戒を緩めていることはないはずだが。
「おたくらこそどこのもんだ? 村の人間なら知らん顔はいない。まして、こんな時間にここへ来ることもな」
四人のうち年長と思われる男が応え、手にある棒を突きつける。バットのようだ。
残りの男たちが広がり気味になり、構える。
反応したのはお千香だった。
「舜治、気をつけてください! ここまで接近されて気配がしませんでした」
お千香にとってかなり異常なこと。
夜目は当然効き、人間の気配など手に取るようにわかる。マタギの木化けや石化けを容易く看破する化生の本領発揮だったのだが。
それが働かなかった。敵意を持つ相手こそわかりやすかったのに。
「ああ……お千香……なんか、まずい……」
舜治の様子も変わっていた。
「どうしました?」
「わからんが……なんか、感覚がおかしい……酔ったみたいだ……」
お昼のビールはそこまで残ってない。
「大丈夫ですか?」
お千香が男たちから目を離さずに寄り添ってくる。本当なら顔色を確かめたいが、腕をとって支える備えだけにする。
「効いてるな」
年長の男が嬉しそうに言う。バットを担ぐ形で自分の肩を叩く。
「薬か! 何を燃やしている!」
長田の詰問口調も強さが感じられない。
「さて……何だっけな?」
「そこら辺の草じゃなかったっけ」
作業服たちがゲラゲラと笑う。
草と言われてお千香に閃くものがあった。村に入る直前に見た背の高い草。
「……大麻ですか」
「おお、別嬪さんわかるねぇ。やってた口かい? それにちょっと混ぜ物をね」
「もったいねぇなぁ」
にじり寄り始めた男たち。
「舜治、比礼を出せますか?」
「比礼?」
「蛇か蜂なら解毒できませんか? 私が時間を稼ぎます」
「そうだな……助かる……殺すなよ」
お千香は舜治の手を放し、遮るように前に出る。
舜治の話し方を見るに、そう保ちそうにない。既にしゃがみこんでいるようだ。
許されるなら今すぐ愛する男を抱き抱え、この場を飛び去りたい。そんな衝動を堪える。
「何故あなた方は平気なのですか?」
「ん~慣れよ、慣れ」
「そういう別嬪さんも平気そうだな」
まるっきり平気ではない。感覚には影響が出ている。四人組に気づけなかったことがいい例だ。人間より耐性が強いだけでしかない。
もうバットの届く距離まで来ている。襲う気配は隠さない。
「運がなかったな、ねえちゃん!」
一番に近づいていた男がバットを振りかざして飛びかかってきた。
お千香はそれを左腕で打ち払い、右拳を男の胸元に突きこむ。男は悲鳴も上げることなく吹き飛んでいく。
すかさずお千香は火の玉を生み出し、残った男たちの足下へ投擲した。
「なっ!」
「何をした!」
己が足下で爆ぜた炎に驚愕と怯えの感情しか湧いてこない男たち。
どこかに弾き飛ばされたバットが何かに当たる乾いた音をたてた。
「指一本触れさせません!」
両手を広げ麗理な眉を吊り上げてお千香は立ち塞がる。
身長と容貌からくる迫力、そして人ならざる殺気に圧倒され、誰も声を上げられないでいた。
「お千香、そんなに凄むと綺麗な顔が台無しになるぞ」
白黒ストライプの布を握った舜治が悠然と立ち上がる。
少し離れたところには長田がうつ伏せで倒れていた。




