07 積年の……
塵も積もれば百話なる
音もなく現れる炎の障壁が銃弾を阻む。
その障壁を飛び越える殺戮の女神。
「下郎!」
「ひっ!」
柳眉を吊り上げ艷やかな唇から犬歯を剥き出し躍りかかる。整い過ぎゆえ凶相の鬼よりそら恐ろしい。
「殺すなよ」
諸々謳ってもらわなくてはならない。
喉輪落としから地面に叩きつけられる無惨な稲田。容赦なく片膝も砕く。拳銃は手指ごと踏み潰される念の入れよう。
「がふっ」
肺から全ての空気が抜ける。
「主様のご温情により生かされているんでありす。さあ! きりきりと答えなんし!」
「いや、足どけてやらんと息もできんて」
あまりのやりようにこちらはドン引き。お千香が顔にまさかと書いて向けてくるので、舜治は首を横に振って応えた。
上体だけ壁にもたれかけさせてもらい、稲田はようやく息をつくことを許された。膝が無事な方の足首を軽く踏まれているのが気になる。仁王立ちの妖姫がいつでも踏み抜ける格好だ。迂闊なことはできやしない。拳銃がダメな時点で次手はなくなっていたのだが。
「で? 俺を殺してまで何がしたかったの、稲田さん?」
「あなたにはわかりませんよ」
「何も聞いてないから、そりゃわかりませんよ」
「物部宗家の跡取りとして強大な力を持ち、周りにかしずかれているあなたには……っぐぅ」
お千香が足に力を込めたようだ。
「それで?」
前提から反論したいが今は先を促す。
「私はこの島に産まれ数十年……ずっと封印に携わる命を受けてきました。ずっとです」
物部一族に産まれた以上人並みの幸福とは無縁、それはいい。そう教育もされてきてしまっているから。
ただし、霊媒の資質を持たない者は悲惨である。
どれだけ務めを果たそうと、どれだけ技術を高めようと立場が低い。
しかも僻地と言い換えてもいいような小島がその全てである。
いつしか稲田は封印について深く調べるようになり、次第に取り憑かれていった。結果、これで一泡吹かせてやろうと考えるようになった。
タイミング良く封印に異変の兆候が出た。報告してみれば次期総領が退治に来るという。
好機到来だ。
密かに子飼いにしていた修験道をかじった男をこの時だとばかりに使った。
「その悪霊を世に出した後はどうするつもり?」
「さあ? 物部が暗部ごと世に出てしまえば楽しいことになったでしょうね……」
「アホか。お千香、構わん。足首も砕け」
「ちょ、ぎゃあ!」
愛する巫覡の言うことは絶対盲信の妖姫は即実行。確かめることも躊躇もない。
「酷いですね……」
「あんたほどじゃない。あんなものが表に出ればどれだけの人間が犠牲になると思ってる」
「たくさん死ぬでしょうね……」
こちらも虫の息である。
「ひとつ言っとくけど、俺は物部の跡取り坊ちゃんで生きてきたわけじゃない。それこそ、あんたが諦めていた一般家庭に産まれ、今も普通の学生をしている」
「信じられません」
時折非常識に首を突っ込んではいるが、当人はの中身は一般人と自負している。
「いいさ、別に」
「では、こんな私からひとつ助言を……先に申し上げた茶釜を探してください。そこになければ惨劇が広がることになるでしょう」
「どういう意味だ?」
「助言はここまでです。そして私もここまでです」
金属をひっかくような音が稲田の口元から聞こえた。何かを噛み潰しただろう顎の動き。
「ふふ……あなた様を殺めることができなくて、よかったと思いますよ……今となっては……あとは弾正様によろしく」
そう言い残し、稲田は目を落とした。心臓はまだ動いていそうだが、再び目を開けることはない。
「……毒か」
「何なんでしょう、この男は? それに弾正とは、誰ですか?」
「こじらせちゃったんだな、色々と」
寄り添ってきた佳人の頬を撫でる。お千香は手を重ね慈しんだ。
「弾正の名残がそこにあるってさ。探してみるか」
「ここ……」
悪霊に憑かれていた男の足が覗く石棺の残骸にげんなりする。
その後、人型重機の活躍をもってしても茶釜は欠片も見つけることができなかった。
諦めて船に戻る足取りが重かったのは言うまでもない。
その思い足取りに追い打ちをかける出来事が。
「マジか、あの野郎。やってくれたな!」
舜治たちが乗ってきた漁船がない。逃げた吉田に乗り逃げされたらしい。係留されていなかった手漕ぎボートが三メートルほど沖で行きつ戻りつしていた。
「あれに乗って帰れってかぁ」
エンジン船でもそれなりに時間かかった。手漕ぎで戻るとなると、労力時間ともに考えたくもない。
とならば、あの吉田はよくぞ独りで漕いできたものである。その根性や努力を違うベクトルに向けられていたならと残念でならない。
「飛んでいける?」
「洞窟を出るまではもつと思います。後は陸伝いにひと蹴りかふた蹴りあれば港に着けますよ」
飛縁魔も無限に飛翔できるわけではない。直線距離ならぱっと一望するくらい。休憩はいらないまでも、一度足場を蹴られれば続行可能だ。
「俺がボートに乗って、お千香が飛びながら押すってのどうだ?」
露骨に嫌な顔をされた。絶対盲信どこへやら。拒否る時は拒否る。
「私が抱っこしていくのが一番です!」
■ ■
「ここまでくれば大丈夫か? さすが僕、何でもできるな」」
エンジン付きは普通車しか運転したことのない吉田であったが、妙に勘が冴え渡りかっぱらった漁船を走らせることができていた。
船着場にさしかかり、横付けはさすがにできなかった。緩衝用のブイを大きくへこませそれなりの音も出る。そんなことを気にする男ではないが。
「ひどい目にあった……タブも置いてきちゃったし……」
ほうほうの体で上陸した。係留ロープに考えなぞ及ばないため、船はゆったりと岸から離れていく。
「くそっ! どうしてくれんだよ! 大赤字じゃないか! あいつらが戻ってきたら請求してやる!」
どこまでも他人のせい。自分は悪くない、というのがこの小太りのスタイル。
喚きながら振り回していた手が不運な通行人に当たる。
「痛っ」
「大丈夫かい? おいっ! 気をつけろよ」
女性が二の腕をさすり、連れの男性が発する。
「うるさいい! 僕に指図するな!」
吉田の目が赤く血走っていた。比喩ではなく黒目が赤黒く変色している。
「何だこいつ。あぶないやつ」
男性が半身に構える。徒手技術の訓練成果が自然と発揮される瞬間。それほど体が勝手に反応するようなおどろおどろしい感覚を受ける。
「下がれ! 更紗! こいつはヤバイ!」
痛みにも負けず女性のほうも身構えていたが、男性の指示に倣う。フェリーで舜治に話しかけてきていた自衛官カップルだった。
「ふはははーー! この身体は馴染むぞ」
吉田が全身から赤黒い瘴気を吹き出し、高らかに吼えた」
次回クライマックス!




