猫と山越え
聞きなれた目覚まし時計の音が、うるさく音を立てる。
「もう朝か」
目覚ましを止め、寝ぼけまなこで、朝の準備をして制服に着替える。朝食のにおいがする台所で家族が待っていた。
「おはよー」
「翔、もう少ししゃんとせい」
「はーい。母ちゃん」
オレと同じ目の母ちゃん。その母ちゃんの小言から朝は始まる。
「中学生やん。朝は元気やないと」
「はは。まだまだ、子どもやからな」
新聞を読んでいるじいちゃんと朝食を食べている父ちゃんが笑ってオレを見ている。
「おじいさん。そうやって、甘やかしてばかりやったらあかんわ」
コーヒーにトーストやハムエッグの香りが漂う、いつもの台所に、
「は~ああ」
「薫! いつも言いよるやろ! 着替えてから来まいって!」
「ええやん。あたしの登校時間は、みんなより遅いんやし」
「そういう問題やないやろ! 生活態度の問題や!」
「いただきまぁ~す」
「薫!」
オレによく似た双子の姉ちゃん。この人が我が家で一番強烈な人だ。
「ミャー」
我が家で飼っている猫、みんなから可愛がられているが、
「しゃー」
「えっ⁉」
いきなり怒り出して飛びかかってきた! 普段は怒らないのに‼
「いててて! やめろ!」
『……丸、猫丸……』
「こ、この声は」
目を覚ますと、エリンギが殴っていた。
「やめろ! こら!」
エリンギが攻撃をやめると、若様が、
「猫丸、朝だ。行くぞ」
「あ、ああ……」
夢か……。現実は昔の香川県だもんな。よりによって、戦の最中の。
「猫丸、阿波国に行くぞ」
「えっ? もう終わったのか⁉」
「まだ、終わっていない。今朝の軍議の事だ。
私と黒田殿、以下五人の武将達との軍議の最中だ。
黒田殿が言った。
『この国の敵の様子を聞くにつけ、しっかりした兵将は誰もいない。国内の小さな城を攻め落としたところで功績にもならん』
『では、植田城は?』
私が聞くと、黒田殿は単調な声で、
『構わん』
『それでは、次は何処へ?』
『長宗我部は阿波にいるので、阿波に行き羽柴殿と相談して、阿波にいる土佐方の兵を攻撃する事じゃ。そうすれば、讃岐の敵など散り散りになる』
『成程、周りの者も讃岐の兵は手ごたえが無いと言っていた』
『必要の無いところで、無駄な力を費やして戦ったとしても、役に立たない事だ』
『讃岐の兵の首は取るだけ無駄って事やな』
『そうだ』
黒田殿の策に、私も他の者も同意して、今から阿波に向かうのだ」
「えっと……。阿波って?」
エリンギが小声で、
「徳島だ。香川県民だろ。このくらい知っとけ」
「あっ、徳島か」
「行くぞ、猫丸」
「あ、ああ!」
オレは夏の暑さは身に染みるが、雲一つない空と鮮やかで美しい緑豊かな山々が心を癒やす。だが、戦の後を感じさせる痛々しい家屋が見えるのが、平和を感じさせない。
そんな野道を歩きながら、
「猫丸」
「なに?」
「お主、寝ている時に母ちゃんと言っていたが」
「えっ⁉ 言ってたのか⁉」
エリンギを見ると、うなずいている。
「猫丸の親兄弟は生きているのだろう」
「ああ、そうだ」
「親が恋しいのか?」
「……小言を言われたりケンカしたりして、うっとうしいって思ったこともあるけど、夢で家族との日常を見ると、なんだか寂しくなって、一人になって今、みんなどうしているんだろうと、思うと……」
泣きそうになると、若様は優しく、
「猫丸、この国にお主の親兄弟はいないが、猫丸は一人では無い。私がいる」
「…………」
「この戦が終われば、父上の元で暮らす事になる。そうすれば、一人で寂しい思いをしなくて済むだろう」
「……」
「それに、えりんぎもいるだろう」
エリンギはそっぽを向いた。
「昨日、お主は笑った。笑えるのならば、この国で生きる事が出来るだろう」
「若様……」
「泣いてはいけないぞ、猫丸」
「ああ!」
どことなく、寂しさはなくなった。
気がつけば、目の前に山が見えてきた。車ならまだしも、これを歩いて行くのはキツい。
「まさか……」
「? どうした?」
オレは恐ろしいと思った事を言う事にした。
「登るの?」
「そうだが? それが?」
マジか‼ まあスニーカーだからいいけど、と思っていると先頭は進みだした。
い、行くのか……。
「このさあ、山に穴でも開けて一直線で行けたら早いのに~」
「それが容易に出来たら苦労しない」
「そうですね」
山道も中腹に差しかかり、周りの足軽たちはまだ疲れの表情が出ていない。さすがにオレは少し疲れていた。
こうなれば、オレよりもエリンギは、
「あー!」
エリンギは、若様が乗ってる馬の頭の上で寝そべっているではないか!
「エリンギ降りろ!」
「しゃー(断る)!」
馬の頭の上からエリンギが引っ掻いてきた。
「猫丸。一緒に乗るか?」
確かにギリギリで乗れそうな気がするが、オレはオレで、
「お断りします」
「え⁉ 何故だ⁉」
「いや、エリンギと一緒はイヤかなー。って」
「でも……」
「いいって!」
キッパリと断ると、若様は残念そうに、
「そうか。ここから先は下りだ。気をつけろ」
「ああ」
転ばないように気をつけて歩いた。