猫と緊張
「来ましたよ~。王の兄ちゃん」
「来ましたか。では、行きましょう」
それから、歩いて目的の屋敷の前に着いた。
そう言えば前日、八郎は、
『よいか猫丸、彼の顔の傷には、絶対に触れてはならない』
『なんで?』
『彼の顔の傷は禁句なのだ。絶対に聞いてはならないぞ』
八郎は不安そうに見つめている。こんな風に不安そうに見つめられると、聞く事なんて出来ない。
『わかった。聞かないよ』
——なんて言ってたからな。
「猫殿、着きました。——猫殿」
王の兄ちゃんはオレを呼びかける時に、声のトーンが変わった。
「なに?」
「猫殿、顔の傷は……」
「あ~~、わかったって! それは八郎から聞いたって!」
「そうですか。それならば、絶対に言ってはいけませんよ」
「わかってるからさあ!」
「わかっているのなら良いのです」
八郎も王の兄ちゃんも、そこまで言うとは……、よほど言ってはならない事なのだろうな。
「では、屋敷に入りましょう」
屋敷に入ると、男の人が出迎えてくれた。
「……いらっしゃい。待っていたよ……」
右の額と鼻に傷がある男の人がオレたちを出迎えてくれた。
「久しぶりですね。長岡殿」
「あ、初めまして、猫丸と言います」
長岡殿と言う人は、オレの全身を見てから、
「……右近殿から聞いたよ……君が宇喜多殿に飼われている猫だね……」
「まあ、はい」
「それでは長岡殿。お願いします」
王の兄ちゃんは頭を下げた。が、顔色は悪く、その手を見ると、かなり震えている。
「に、兄ちゃん‼ どしたん⁉ その手⁉」
「……ああ、気にしなくてもいいよ。いつもの事だから……」
「——いつもの、って」
「……じゃあ、行こう……二人とも……」
三人で茶室の中に入った。
茶室は、あの暗い態度とは違い、品物はオレでもわかる中々センスの良い物だ。
手の震えていた王の兄ちゃんも、堂々と茶会を楽しんでいる。
まあ、オレも何とかなったが、長岡殿は薄く笑い、
「……茶会は楽しいかい? 化け猫?」
「化け猫⁉」
「長岡殿、猫殿は人です!」
王の兄ちゃんは怒ったが、長岡殿はあの調子で、
「……そう、どっちでもいいけど……」
「って、ゆうか! 王の兄ちゃん! なんでこんなんと、兄ちゃんが知り合いなんだよ⁉」
「……某と右近殿の茶の湯の師は、同じ宗易殿だからね…………要するに友人さ……」
怒っていた王の兄ちゃんは落ち着きを取り戻してから、
「——そうです」
「こんなのが……」
こんな目が死んだヤツが友人なのか。
「……それより、化け猫。君の国はどんな国なの……」
「えっ⁉」
「……噂では、南蛮でもない国だって……聞いたよ……」
「…………そうですか。では——」
取りあえず、オレの世界の事を少し説明してみた。
「……ふーん。総理大臣、か……」
「それが、どしたん?」
「……某の子孫や一族では、もし成れたとしても、すぐ終わりそうだね……」
「そういうもんですか?」
「……そういうもんだよ……」
こうして茶会が終わると、
「長岡殿、本日は猫殿も、お招きいただき感謝します」
「……いや、構わないよ……化け猫の一匹ぐらい……いざという時は切り捨てればいいからね……」
「長岡殿!」
「そんな、切り捨てるって」
「……ははは……冗談だよ……右近殿は色男なのに冗談が通用しないね……」
「今なんと⁉」
「……右近殿は色男なのに冗談が通用しないね……」
「色男ぉ⁉」
「長岡殿、私が色男な訳ないでしょう」
「……ああ、相変わらず右近殿はわかってない……君は美男なのに……」
「えーと、長岡殿もですか?」
「……何?」
長岡殿と言い、弥九郎さんと言い、なんで自分の方がかなりイケメンなのに、そうなるんだ? 長岡殿は目が死んでいて、ネクラで、負のオーラは出ているけど、顔だけなら乙女ゲームにいそうな顔なのに。
「……何? 何か変なの……?」
一瞬だが、長岡殿は冷たい目になった。
「あっ! いえ、別に変では!」
「ならいいじゃないか……あ、そうそう……右近殿、知ってる?」
「何をです?」
「……小早川殿が大坂に来るって……」
「小早川殿が!」
「誰それ?」
「ああ、猫殿は初耳ですか。小早川殿と言うのは、あの毛利家の三男にして、厳島の戦いで陶晴賢を圧倒し、最近では四国征伐の伊予方面で活躍した方です」
「よくわからないけど、すごい人なんだな」
「……恐らく宇喜多殿にも、この事は入っていると思うよ……聞いてみたら……」
「ああ、わかった。聞いてみる」
オレ達は屋敷を出て、二人で帰った。
そして帰り道、
「王の兄ちゃん」
「どうしました?」
「王の兄ちゃん、皆から好かれていますね」
「そうですか? 私を憎む者もいますよ。例えば異教徒の者とか」
「へっ⁉」
「結構、色々罵られていますからね。挙句の果てには、山伏に呪いをかけられました」
「はあっ⁉ なんじゃそりゃ⁉」
そんな事するのかよ⁉
「猫殿の世の私と同じ姿形をした者も、私の様に呪われなければ良いのですが……」
「大丈夫ですよ。誰も呪いませんから」
「そうですか。ならば、安心です」
王の兄ちゃんと別れて、宇喜多屋敷に戻って来た。
「八郎! 帰って来たぞ!」
「猫丸! 茶会はどうだった?」
茶会の様子を八郎に事細かに説明をした。
「そうか。茶会は楽しかったのか?」
「まあ、緊張したけど、なんとか」
「ならば良かった。猫丸が楽しんでくれて」
少し楽しめないところがあったけど。
「ああ、そう言えば八郎。小早川殿ってのが来るって、長岡殿が言ってたけど?」
「ああ、小早川殿が大坂に来て、父上に謁見するのは聞いた」
「オレたちは接待の手伝いとか、あるのか?」
「——場合によっては、猫丸の手を借りるかもしれない」
「猫の手も借りたい、か。まあ、その日になったら言いまい」
「猫丸、その日になったら、だ」
「ふにゃん(来たぞ)!」
なかなか帰って来なかったエリンギが帰って来た。
「エリンギ! 遅かったな!」
「えりんぎの手……否、足も借りるかもしれないな」