猫と素顔
ある日の事、
「八郎」
「どうした? 猫丸?」
今日も穏やかな八郎に、ある事をぶつけてみた。
「あのさ、刑部さんの素顔って見た事ある?」
「大谷殿の? 無いが、何故だ?」
八郎は不思議がっているが、話を続けて、
「温泉に入る時も布を巻いとるけん。それで気になって」
「そうか。確かに大谷殿は普段から素顔を見せないな」
「八郎は気になった事はないん?」
八郎はきまり悪そうに、
「……ある。だが、大谷殿の顔を見るのは、あまりよくないのでは?」
「だけどなー。前、死にかけたし」
「な、何⁉ 何故⁉」
八郎は大きく口を開けて、オレに近づいた。
「かくかくしかじか……」
以前、大坂城で起きた出来事を話した。
「成程、そんな事が……。それは酷いな」
「ヒドい目に遭ったけど、素顔はどんなんだろ」
「「…………」」
しばし無言になった。すると八郎が、
「顔を知るだけならば、加藤殿とかに聞いてみてはどうだ。彼等は昔からの付き合いだ」
「そっか! じゃあ、聞いてみよう」
オレたちは、虎之助さんの屋敷に行った。
「何ぃ? 紀之介の素顔を知りたい?」
虎之助さんは笑いながら、オレ達を見た。
「はい。虎之助さんなら知っていると思って」
「素顔か……。目があって、鼻があって、口があって、それが紀之介の素顔だ」
「なるほど……って、わかりませんよ‼」
オレが言うと、虎之助さんは呆れて、
「そうかぁ? だが、そんなもんだぞ」
「そんなもんって、そういうものですか?」
「そういうもんだ」
オレたちは屋敷を後にして、宇喜多屋敷に戻った。
「——どうする?」
「どうすると、言われても思いつかないものだ」
「……そうだ! 八郎——」
オレは八郎にアイデアを言った。
「だが、猫丸それは——」
八郎は否定をするが、オレは、
「でも、やってみる」
オレたちは作戦を実行する事にした。
そして、
「ほう、素麺を僕にご馳走するのかい?」
刑部さんの目の前には、大盛の素麺を用意した。
「はい。前の勉強の礼にと思って」
「そうかい。では——」
刑部さんは箸を取り、布の口元を——
ずるずる~。
布の下だけ緩めて、オレたちに見えない様に素麺を食べている。その結果、
「ご馳走様。美味だったぞえ」
「「……」」
——見えなかった。
「猫丸、言っただろう。大谷殿は、この様に食べると」
失敗だ。
「だが、あきらめないぞ!」
次は、
「おやおや。今度は茶の湯かえ?」
上手くないけど、茶の湯でもてなす事にした。
「よろしければ、と思って」
刑部さんに、お茶の入った茶碗を渡した。
「では……」
ついに素顔が見られるかと思った時、
「結構なお点前で」
一瞬だけ、口元を巻いている布の上の部分を外して、また見えないようにお茶を飲んだ。
その一瞬では…………見えなかった。
「「…………」」
また作戦の練り直しだ。
「どうする? 猫丸?」
「今度は……」
次の作戦を決行した。
「習字を学びたいとな?」
オレは刑部さんに習字を習う事にした。
「そうです。字を上手に書きたいと思って」
「ならば、よかろ。教えてあげよ」
オレは筆に思いっきり、墨をつけて……。
「とりゃ!」
「あらま!」
刑部さんの白い布に墨をつけた。白い布には墨が飛び散り、汚れてしまった。
「どうしようかね?」
「刑部さん。井戸で顔を洗ってはいかがです。その間、オレは自分で書いています」
「わかった。では」
刑部さんが離れた。その時がチャンスだ。
オレはこっそり先回りして、八郎が待っている井戸に行き、そこで刑部さんの素顔を見る手立てになっている。
「八郎、どうだ?」
「猫丸。これからだ」
刑部さんが来た。これから汚れた白い布を——
「「えっ⁉」」
刑部さんの布は、汚れ一つない白い布に戻っている。
「な、なぜ……」
「それより、猫丸。戻らないと」
井戸を見ると、刑部さんが戻ろうとしている。
「そうだな」
オレは、また先回りをして元の部屋に戻った。
「やべやべっ」
あらかじめ書いていた紙を出して、何事もなかった様にする。
「戻ってきたぞえ。きちんとしてるようだねえ」
刑部さんは、またオレの隣に座った。
「は、はい……」
その後、
「だー! どうしたらいいんだ‼」
「どうする気だ。猫丸?」
「こうなったら、最後の手段!」
使いたくないが使う事にした。
翌日、刑部さんの屋敷に来た。
「刑部さん! 素顔を見せてください! お願いします‼」
最後の手段、ひたすら頼む。すると、刑部さんは嬉しそうに、
「いいぞえ」
「早‼」
「これまでの行いは、僕の素顔が見たいからであろ?」
「そ、そうです……」
見抜かれていたのか……。
「では、見せてあげよ。ほれ」
刑部さんが白い布を外した。素顔は……。
「「はあ?」」
白い布の下は紙を巻いていて、鼻と口の所には、鼻と口の絵が描かれている⁉
「これが僕の素顔」
刑部さんは楽しそうに回っているが、オレ達は納得いかず、
「素顔って‼ 絵じゃないですか⁉」
「そう、この絵こそ僕の素顔」
刑部さんは嬉しそうだが、八郎は少し呆れて、
「大谷殿、これは素顔とは言わないのでは?」
刑部さんは、からかうような口調で、
「僕が素顔って言ってるから素顔。ほほほ」
「大谷殿ぉー!」「刑部さん‼」
オレ達二人は倒れたが、すぐに起き上がり、
「ホントのホントの最後の手段! 行くぞ! 八郎‼」
「わかっている!」
「「とおっ‼」」
オレと八郎の二人がかりで紙を取ろうとした。が、
「ほほほ」
「「わあっ!」」
あっさりと避けられた。
「ほほほ。諦めるがよかろ」
刑部さんは、奥の部屋に入った。
「く、くそ~! 絶対に見てやるからな‼」