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四の夢 ドードーと愉快な仲間達

 白兎を追いかけて森の中に入っていった二人。

 そこで出会うのは……。

 果たしてどれ位歩いたんだろう?

 足が痛い。

 結局白兎はあれから少しも見かけないし……。

「お姉ちゃん、少し休まない?」

 前を行くお姉ちゃんの腕を引っ張って止まってくれるよう頼む。お姉ちゃんは小さくため息をついた。

「仕方ないわね」

 そう言って彼女は近くの木の根に座る。ワタシも続いてその隣へ腰掛けた。

 足を伸ばして一息する。歩きなれない足はやや浮腫んでいた。黙って足を揉み解していると、遠くから音が聞こえてきた。何かが走るような、そんな音。

「お姉ちゃん、この音なにかしら?」

「音?」

 お姉ちゃんの方を向いて問いかけると怪訝そうな顔で聞き返された。でも、すぐに眉がピクリと跳ね上がる。どうやらお姉ちゃんも気が付いたようだ。

 音はこちらに向かっていた。徐々に大きくなり迫ってくる。

 ドドドドドッド

「え?」

 呟いたのはワタシだったのかお姉ちゃんだったのか。でも、ワタシもお姉ちゃんも走ってきた生き物に度肝を抜かれたことは確かだわ。だって見たこと無い生き物だったんだもの。

 ドジャッジャーージャッジャッ

 その生き物はワタシ達の前を通り過ぎる前に急ブレーキを掛けた。砂煙が一面に舞う。急いで口元を押さえたから咳き込むことはなかった。

「ごほっ、えほっ、な、何だって言うのよ!?」

 煙の中、むせかえるお姉ちゃんの声が聞こえる。どうやらお姉ちゃんはもろに吸い込んじゃったようだ。

 徐々に土煙は晴れていきさっきの生き物がはっきりと姿を現す。

 驚いた。

 さっき見たときは判らなかったけどワタシはこの生き物を知っている。ドードー鳥だ。こんな変な鳥はあの絶滅した鳥以外いない。ワタシは何回か本などでその姿を見たことがあった。

 でも、少し違う。目の前にいるドードー鳥は眼鏡を掛けてピチピチのチョッキを着ていた。

「……鳥、なの? これ?」

 お姉ちゃんが気の抜けた声で呟く。ドードー鳥はお姉ちゃんの方へ向き直った。

「私は鳥と言う名前ではない! ドードーと呼びなさい!」

 やや上向いて声高に叫ぶ。しわがれた老人の声だった。お姉ちゃんは面食らったように瞬きを繰り返している。

「あの、ドードーさん。初めまして。ワタシは黒のアリスよ」

 一歩前へ出て精一杯礼儀正しく名乗り頭を下げてみた。

「知っているとも! もちろん、白のアリスも黒のアリスも知っている。決して初めましてでは無いのだよ」

「あら、でもあたしはアンタなんて知らないわよ?」

 厳格な口調で言うドードーさんにお姉ちゃんは冷めた視線を投げた。それに対してドードーさんはうんうんと数回頷く。

「それは知らないのでなく忘れているのだよ。君達はこの世界の全てを知っている。だがしかし、全てを忘れてしまっているのだ」

「なによ、それ。どういうこと?」

 彼は眼鏡を翼で押し上げた。お姉ちゃんが不思議そうにドードーさんの顔を覗き込んで問う。ドードーさんはワタシ達の腰の辺りの身長だから体を折らないと目線を合わせられなかった。

「ふぅむ、どこから話したら良いかね? そうだ、アリス。君達の質問に答えよう。博識を誇るこのドードーが」

 腰に翼を押し当て胸を反らすドードーさん。ワタシとお姉ちゃんは顔を見合わせた。

「じゃあ、まずここは何処だか教えて頂戴」

 先にお姉ちゃんは疑問を投げかけた。ドードーさんの眼鏡が光る。

「まだそんなことも知らないのかね。チェシャ猫は何も言わなかったのかい?」

「え、えぇ。あたし達がアリスだとか白兎を追えとかぐらいしか言ってなかったわ」

 お姉ちゃんが答えると、ドードーさんは大げさとも言えるほど頭を下ろしてため息を吐いた。

「まぁ、仕方あるまい。では説明しよう。心して聞くが良い」

 バサリッ、と両の翼を広げ威厳を保つかのようにおごそかに彼は言った。

 ワタシはごくりと唾を飲み込みドードーさんを真っ直ぐと見る。

「ここはハートの女王様が納めるフシ・ギノ国。数年前に君達が色を奪い去った場所だ」

「ちょっと待って、その色って何のこと?」

 お姉ちゃんが横槍を入れる。ドードーさんの眉間と思われる辺りに皺が寄った。

「見て判らんかね? 私は元々茶色の土に近い色をしていたのだ。がしかし、今を見よ。残念なことに、ただの灰色の鳥に成り下がっている」

 片方の翼で眼鏡を押し上げ、もう片方で涙を拭うような動作をする。

 色を奪った、そんな記憶は無くともなんだか罪悪感を感じる。

「あの、ドードーさん。ワタシ達、何をすればいいの? どうしたらドードーさん達に色を返してあげられるの?」

 敢えて奪ったことを否定しなかった。きっと忘れているだけ、と言われるに違いない。

 それよりも、ワタシがどうしたらいいか知りたかった。

「それは二通りある。その中で私は一つを詳しく知っている」

「じゃあ、その一つを教えてください!」

 ワタシは意気込んでぐっとドードーさんに顔を寄せる。彼はやや驚いたように首を後ろへ引いた。お姉ちゃんはワタシの横で肩を竦めている。

「う、うむ。良かろう。実に簡単なことだ。黒のアリスは左の手の平を。白のアリスは右の手の平を。私の上に置いてごらんなさい」

 ワタシは迷わず左の手をドードーさんの翼の上に置く。お姉ちゃんは戸惑っていたけど、ワタシが視線を向けたら肩を竦めて、同じく翼に右手を置いた。

 すると、ドードーさんが白く輝いた!

 あんまりにも眩しくてワタシはすぐに目を閉じる。けれどその光は瞼を貫通するほどに強い。

「ほれ、いつまで目を瞑っているつもりかな?」

 光が治まり、ドードーさんの声が暫く流れた沈黙を打ち破った。そっと、目を開ける。すぐに目に入ったのは茶色。艶やかな毛並み、その上に赤いチョッキ。ドードーさんの眼鏡の縁は薄い青だった。目は黒く輝いている。

「どうだね、色を取り戻した私は? とっても素敵だろう?」

 翼を腰に当てて踏ん反り返るドードーさん。

そんなドードーさんの言葉である人を思い出した。ワタシの家の近所に住むお爺さん。ドードーさんはそのお爺さんにそっくりなのだ。その人の名前も思い出してる。

 ワタシは確認するようにお姉ちゃんを見た。お姉ちゃんと目が合う。彼女はこっくりと頷いた。

 お姉ちゃんもワタシと同じなんだわ。

「ねぇ、ドードーさん。色を返すとあたし達の記憶は戻るの? 急にあたしあることを思い出したんだけど」

 お姉ちゃんがドードーさんから手を離して腕を組みつつ言う。ドードーさんは深く頷いた。

「その通りだよ、アリス。色を封じてるのは君達の記憶である。故に、色を返せば必要なくなった記憶は自然と君達に戻るのだよ」

「じゃあ、あたしの名前は何に色を戻せば戻るの!?」

 がしっ!

 お姉ちゃんは急にドードーさんの胸倉……というよりはチョッキ? を掴んだ。彼は苦しそうに翼をバタつかせる。茶色い羽が舞った。

「お姉ちゃん! それじゃドードーさん喋れないわ!」

 慌てて二人の間に割って入り、お姉ちゃんをドードーさんから引き剥がした。ドードーさんは肩で息をしてる。

 お姉ちゃんの方はと言うと、我に返って苦笑いを浮かべていた。

「うおっほん、本当に白のアリスは変わらんのう」

「ごめんなさい。つい……。でも、どうしても知りたいのよ」

 咳払い一つ。そんなドードーさんにお姉ちゃんは苦笑いを浮かべたまま頬を掻いた。

「まぁ、許してやろう。だがな、私にはその質問に答えられんのだよ」

「なんで!?」

 また食って掛かりそうになるお姉ちゃんを急いで押さえた。

「私は判らないからだ。どんな記憶がどの色を封じているのか」

 ドードーさんが静かに言う。お姉ちゃんは真っ直ぐドードーさんを見やって眉間に皺を寄せていた。拳をぎゅっと握り締めて問い詰めたいのを堪えてるようだ。ワタシは押さえるためにお姉ちゃんの服を強く握っていた手の力を緩めた。

「だがしかし、誰かが知っているかもしれん。訊いてみるかね?」

 ドードーさんはそう言うと大きな声で嘶いた。鳥が仲間を呼ぶように。でも、すぐには何も起こらなかった。

「いったいなんなのよ? 訊くっていったい誰に?」

「アリス!」

 お姉ちゃんが堪らず問いかけると、ドードーさんじゃない声が聞こえた。ころころガラス球が転がるような子供の声。ワタシとお姉ちゃんはキョロキョロと辺りを見回す。でも、何にも見当たらなかった。

「今の、誰なんだろう?」

「こっちだよ、アリス!」

 頬に拳を当てて首を傾げる。間髪入れないでまたさっきの声が聞こえた。

 声の主を探してまた視線を巡らす。そして、足元を見た瞬間!

「いやぁああああ! ネズミぃぃいいっ!!」

 大きく叫んでお姉ちゃんの後ろに隠れた。

だってだって足元にいるんだもの! ネズミなんてテレビとか意外で見たこと無いから心底びっくりした。

「アンタねぇ……ネズミくらいでそんな悲鳴上げなくても。可愛いじゃない?」

 お姉ちゃんの言葉におずおずと顔を上げてもう一度ネズミを見る。そのネズミは頭を垂れていた。もしかして傷つけちゃったかな?

「そうしょげるでない、ハツカネズミよ。黒のアリスは驚いただけだ」

「そうサ、ハツカネズミ。それよりご覧ヨ。ドードーさんの色が戻ってるヨ!」

 ドードーさんの声の後にまた新しい声。よく辺りを見回したら色んな種類の鳥や小動物が集まってきていた。


「流石に疲れたわね……」

 木の陰で座り込み息を吐くお姉ちゃん。ワタシは既に木に寄りかかったままへばっていた。

 集まってきた生き物全員に色を返してたんだもの。いくら単純作業っていったって量が多すぎて疲れちゃったわ。

 でも、助かったのは森。たった一本にふれただけで全部の木々に色が戻った。一本一本だったら日が暮れちゃうし、体力だってもたなかっただろう。

 動物達は集まって嬉しそうに飛んだり跳ねたりしている。本当に色々な動物がいた。ネズミに始まりインコ、アヒル、カニ、何て名前の生き物か判らないのまで多種多様。とてもカラフルだ。

「でも、こんだけ沢山やったのに戻ってきた記憶といえば……」

 さっきよりも深いため息。お姉ちゃんが肩を落としてそういうのにワタシも同意したい気分だった。

 だって、戻ってきた記憶は学校の生徒会長の名前だったり、あんまり話さないような後輩の名前だったり、近所の子供の名前だったり。テレビに出てた芸能人の名前なんてのもあったわ。

 確かにどれも大切なものなんだけど……正直本当に戻って欲しい記憶は一つもなかった。

「アリス、そんなに落ち込まないで! これでも食べて元気出してよ」

 声を掛けてきたのは一番初めに現れたハツカネズミだった。ころころと赤い木の実を転がしてワタシ達の前に置く。彼の目は果実と同じく赤かった。

「あ、ありがとう」

「そうさ、アリス! 森は後十個もあるんダ。そこの住人達に色を返していけばきっと欲しい記憶が戻るヨ!」

 果物を拾い上げてお礼を述べると今度は別の方向から声が飛んでくる。インコだ。その子の言葉に疲れた様子でお姉ちゃんはインコを見やった。

「後十個もあるですって? その住人全部に一人ひとり二人で触れて色を返すの? 考えただけで頭痛くなるわ」

 頭を抑え緩く被りを振るお姉ちゃん。インコは頭を垂れてそれ以上何も言わなくなってしまった。

「なら、もっと早い方法を知ってるかもしれない人に会えばいいんじゃないかしら?」

「ドードーさんでも知らないんだよ? 他に誰がいるってのさ!」

 がやがやと一斉に動物達が騒ぎだす。あーだこーだとそれぞれいっぺんに話すものだから全部を聞き取るのは困難だった。

「ハートの4の森の芋虫さんは?」

 誰かの一声。その後に全員の納得する「あぁ」と言う声がはもった。

「成る程。あの芋虫ならば私の知らないことも知っているかもしれないな」

 ドードーさんがこくりこくりと頷く。

「ねぇ、ハートの4の森とか芋虫とかって何の話?」

 お姉ちゃんが割り込んで問いかけると皆一斉に振り返った。

 ちょ、ちょっと怖い。

 思わず手にした果実をぎゅっと潰れない程度に握り締める。

「ハートの4の森も知らないの?」

「じゃあ、此処がダイヤの2の森ってことも知らないわね」

「アリスが前に来たときはそんな名前じゃなかったのサ!」

 我先にと口々に喋り出す動物達。聞き取れたのは上の三つくらいだ。

「静粛にっ!」

 ドードーさんが翼を広げて叫ぶ。

 暫くの静寂。

 誰も口を開かないのを確認してから、彼は一度咳払いをした。

「私がまとめて説明しよう」

 沈黙の中にドードーさんの声だけが落ちる。お姉ちゃんがこくりと頷いたので、ワタシも続くように首を縦に振った。

「アリス、君達が来る直前。女王様がこの世界の衣替えをなさった」

「その女王様、っていうのは誰?」

「ハートの12の城に住むハートの女王様だよ」

 話し始めたドードーさんにお姉ちゃんが横槍を入れると間髪居れずハツカネズミが答えた。

「うむ。女王様はこの国を時計に見立て、それぞれ森を区分けして作り変えさせた。区分けした領域を……

『スペードの1』

『ダイヤの2』

『クローバーの3』

『ハートの4』

『スペードの5』

『ダイヤの6』

『クローバーの7』

『ハートの8』

『スペードの9』

『ダイヤの10』

『クローバーの11』

『ハートの12』

 と、新しく名前をつけていった」

 成る程。だから森は後十個あるのね。だってハートの12はお城だから数に入らないもの。

 ふぅむ。とお姉ちゃんが腕を組む。こういう話し合いは基本的にお姉ちゃんがしてくれるからワタシは黙って聞いてることにした。手にした果実を服で軽く拭く。

「じゃあ、ハートの4っていうのはここの隣の隣なわけね?」

「まったくその通りだ。そこに住む芋虫を訪ねなさい」

 ドードーさんの言葉にお姉ちゃんは「わかったわ」と返した。

 ワタシは果物を口にする。

「ところで此処からどの方向に――」

 お姉ちゃんの声が急激に遠くなった。いやお姉ちゃんの声だけじゃない。地面もどんどん離れていく。ワタシは立ち上がってなんていないのに、だ。

 あまりの急な変化に頭が混乱してぼんやりとするしかなかった。

 いつの間にか森が小さくなっている。白い雲をワタシの頭が突き抜けたことが判った。

 ワタシ、もしかしておっきくなってる?

 そう言えば本のアリスも物を食べて大きくなったり小さくなってたりしていたわ。

 アリスの本に似てる世界だとは思ったけど、ここまで同じなんて不思議よね。

 ワタシは空を仰ぎ見た。白い太陽が輝いている。それから下に視線を向けた。

 さっきまで居たと思われる森が半分近く黒い布に覆われている。

 ワタシだ。ワタシの黒い服だ。

 こんな広範囲を覆ってしまうなんて、ワタシどれだけおっきくなったの?

 急に怖くなった。

 一番近くに居たお姉ちゃん、ううん、他の皆も……潰されてないかしら?

 ワタシこんなに大きくなっちゃって……どうしたらいいの?

 ぽろぽろと涙が零れた。大きな声で叫びたかったけど出てくるのは嗚咽のみ。

「ふぇ、おね、ちゃ……ん、ぐす」

 ワタシの涙は木に落下して、鳥たちが羽ばたく。あの鳥達はワタシに潰されなかったのね。

 でも、お姉ちゃんは……。

 考えたらもっと涙が溢れてきた。

「アリス! アリス、そんなに泣かないデ!」

 耳元で声が聞こえた。首を捻りそちらに視線を向ける。あそこにいたインコだ。

「貴方……無事だったの?」

 涙を拭うこともせず、じっとインコを見ながらワタシは呟くように問いかけた。

「もちろんサ! 他の皆だって大丈夫だヨ!」

「本当!?」

 胸を張って言うインコ。問い返せばこくこくと頷いて陽気に羽ばたいた。

「皆、君の涙でびしょ濡れだけどネ!」

 パタパタとワタシの周りを楽しそうにインコは飛び回る。涙を拭いながら思わず噴出した。

 でも、良かった。肩の力が抜ける。ほふっ、と自然に息が出た。

 あら? あれは何かしら?

 落ち着いたらふと、目の端に灰色の煙を見つけた。体を折り曲げ顔をぐっと近づける。それは隣の森から上がっていた。気になって立ち上がり、更に覗き込む。森を手で掻き分けて煙の先に何があるのか確認しようとした。

「おや、アリス。やっと来てくれたんだね」

 其処にあるものを認知する前に声が飛んできた。驚いて目をパシパシと瞬かせる。目の前に知っている顔がいた。ついさっき出会った人。

「帽子屋ウサギさん?」

 問いかけると彼はにっこり笑った。

「アリス、少し大きくなったかい? 残念ながらそのサイズのティーカップはないんだよねぇ」

 マイペースにこぽこぽとお茶を注ぎながら彼は言う。ワタシは急いで首を横に振った。木がガサガサと音を立てる。

「ワタシ、お茶を飲みに来たわけじゃないんです。えっと、その……あっ!」

 注ぎ終わったお茶を飲みながら頷く帽子ウサギさん。喋りつつ彼から視線を辺りに巡らせて、あるものを見つけた。

 縦長のテーブルに複数の椅子。そして取り揃えられた沢山のティーセット。その中でワタシはある一つのものを指差した。

「それ、頂けないかしら?」

 帽子屋ウサギさんは飲んでいたカップを置いて、ワタシが指したものを見る。

「おや、お茶は要らないのにクッキーが欲しいなんて……変わってるねぇ」

 彼は肩を竦めたが、すぐにクッキーの入った籠をワタシの目の前のテーブルへと移動してくれた。その籠を右手で摘み上げ左の手の平に乗せる。

「ありがとう! 帽子屋ウサギさん」

「いやいや、アリスの御役に立てたなら光栄だよ」

 お礼を述べると彼は帽子を胸の位置に持ってて、頭を下げた。髪の間から生えた灰色の耳がひょこんと揺れる。それがちょっと面白くって少し笑ってしまった。

「本当にありがとう。それじゃワタシもう行かないと」

 ワタシは手で笑ってる口を隠しながら言う。彼は頭を上げ、帽子を被り直した。

「そうか、残念だ。またおいで。今度はお茶を飲みね!」

 柔和な笑顔。ワタシは幾度か頷き返して、それから上体を元の位置まで起こした。

 今度はお姉ちゃんと一緒にお邪魔しよう!

「アリス、アリス! クローバーの3の森で何をしてたノ?」

 急に耳元にインコの声が聞こえる。インコはワタシの顔の周りをパタパタと飛び回っていた。

「これを貰ってきたのよ」

 インコにも見えるように左の手を顔まで持ち上げた。その上に乗った籠の横にインコが止まる。

「クッキー? アリス、お腹空いてたんだネ!」

「う、うーん……ちょっと違うんだけど」

 苦笑いを浮かべ答えると、インコは不思議そうに首を傾けた。

 何でクッキーなのか。別に食べ物なら正直なんでも良かった。

 本のアリスは何か口にするたびに大きさが変わったわ。だからワタシもさっきの果実と別のものを食べれば小さくなれるかもしれない、って考えたの。

 まぁ、これ以上おっきくなっちゃう可能性もあるんだけど……。

「アリス、何がちがうノ?」

「うん、えっと……見てればわかるわ」

 うまく説明する言葉が思いつかなくてそう答えた。

 左の手の平にあるクッキーを右手で一枚だけ摘む。今のワタシにはとっても小さいからちょっと難しかった。

 それを口の中に放り込む。小さすぎて食べた感じが全然しなかった。

「ひゃっ!」

 小さく悲鳴を上げる。急激に下に引っ張られるような感覚に襲われた。

 目に映る風景が早回しの映像のように変わっていく。

 何を見ているのか分からなくなる速さ。でも、それはすぐにぴたりと止まった。

「クロっ! クロが消え……ちゃった?」

 お姉ちゃんの声が上から降ってくる。此処にいることを告げようと顔を上げて驚いた。

 だって、お姉ちゃんがすっごく大きくなってたんだもの!

「あ、アリス! 黒のアリスだっ!」

 横手から大きな声。振り返れば白い毛の塊。赤い瞳がきらりと輝いた。

 悲鳴が喉に突っかかる。相手は不思議そうに頭を傾けた。

「クロっ!」

 ふわりと体が浮く。お姉ちゃんがワタシを摘み上げたのだ。ワタシはお姉ちゃんの目の高さまで持ち上げられた。

「こんなに小さくなって……。何があったっていうの?」

 お姉ちゃんは不安そうに眉を寄せた。

 小さくなって?

 その言葉が引っかかり、今度はよく辺りを見回した。

 ドードーさんはお姉ちゃんのすぐ横に立っている。彼も大きくなっていた。さっきの白い塊も確認する。それはハツカネズミだった。森も一層深くなった気がする。

 ワタシは認めるしかなかった。

 今度はすっごく小さくなってしまったという事を。

「ちょ、また泣かないの! あんたが泣いたせいであたし達びしょ濡れになっちゃったんだからね!」

 お姉ちゃんが慌てた声で早口に捲くし立てる。

 目頭が熱くなって溢れ出そうになる涙を拭い、お姉ちゃんをまじまじと見た。

 そう言えば髪が濡れている。

「だから、’コーカス・レース’をすればすぐに乾くといっとるのに」

「嫌だって言ってるでしょ。ドードー鳥と堂々巡りなレースなんて」

 ため息を吐くドードーさんにお姉ちゃんは冷めた口調でびしっと言い切った。

 コーカス・レースって確か同じ場所をずっとずっと走る、んだったんじゃなかったかな?

 お姉ちゃんの表現は結構適切なんじゃないだろうか、と思った。

「それよりあんた、おっきくなったり小さくなったり……何だって言うの?」

「あ、あのね、お姉ちゃん。よく聞いてね? ワタシ達、ここの食べ物食べると大きさが変わるのよ!」

 怪訝そうなお姉ちゃんに向かって、右手の人差し指を立てつつ真剣に言う。お姉ちゃんの眉間の皺がより多くなった。

「嘘じゃないわ! そう思うならお姉ちゃんも……あれを食べてみるといいわ」

 ワタシはクッキーの籠を指差した。てっきり何処か知らないとこへ落としてしまったと思ってたけど、インコが持っていてくれたの。

お姉ちゃんはそちらへ振り向いて頭を掻いた。まだ信じてないって顔してる。

 ワタシを下においてインコから籠を受け取ると、クッキーを一枚取り出した。

「クッキー、ねぇ?」

「あ、お姉ちゃん! あんまり食べないでね。ワタシ一枚でこんなに小さくなっちゃったから!」

 両手を口に添え、メガホンの代わりにしながら叫ぶ。お姉ちゃんは呆れた様子で「わかったわ」とだけ返してきて、クッキーをほんの少しかじった。

 お姉ちゃんが一瞬にして消える。

 いや、本当は消えたわけじゃない。あまりにも早く縮みすぎて消えたように見えただけだ。

「な、何よ。これ……」

 小さな呟きはすぐ真横から。お姉ちゃんはワタシと同じくらいまで縮んでいた。

「ほ~ら、ワタシの言ったとおりでしょう?」

 驚いて呆けてるお姉ちゃんの顔がちょっと面白いもんだから、笑いを堪えるため口を押さえた。でも、やっぱり笑ってるのは声に出てしまったようだ。お姉ちゃんはちょっとムッとして眉を吊り上げる。

 お姉ちゃんが何か口にしようとしたその時、インコがすぐ近くに降り立ってきた。

 二人揃ってそちらを見る。

「アリスが僕らと同じくらいになっタ! すごいネ! すごいネ!」

 羽をパタパタと上機嫌に動かすインコ。風が起こってワタシ達の髪がなびく。

「ね、そうだわ! 貴方、ワタシ達を背負って飛べる?」

 お姉ちゃんが手を合わせて唐突にインコに問うた。インコは首を伸ばしてお姉ちゃんの顔を覗き込む。

「一人くらいなら多分大丈夫サ!」

「本当!? それならワタシ達をハートの4の森とやらに連れてって!」

 お姉ちゃんが意気込んで言った。

 そっか、鳥さんたちに運んでもらえるなら確かに早い。

 森の中を歩いていくより空を飛んだほうが目的地もはっきり分かるだろうし。

「残念ながら、それは無理な相談だ」

 急にドードーさんの大きな顔が目の前にぬっと現れた。びっくりして一歩後ずさる。

「なんでよ?」

 お姉ちゃんは眉間に皺を刻んで睨み付けるようにドードーさんを見た。

「私達はこの森より遠く離れられない。行けて隣の森の手前までだ」

 ドードーさんは体を起こし遠くを見つめた。お姉ちゃんはまだ訝しげな顔をしてるが何も言わない。

「まって、ドードーさん。それじゃあ、帽子屋ウサギさんは? ワタシ達が初めて彼に出会ったのは多分スペードの1の森よ。でも、さっきはクローバーの3の森に居たわ」

 そう、それは間違いない。大きくなった時見たクローバーの3の森は、名の通りクローバーの形をしていたんだもの。初めに見た森はスペードの形だったはず。ちなみに、今居る森はダイヤの形をしてたわ。

「クローバーの3の森に住むいかれ帽子屋も三月ウサギも狂ってるからサ!」

「女王様が怖くなんだよ。きっと」

 ワタシの質問にインコとハツカネズミが答えてくれた。

「女王様がなんなの?」

「ハートの女王様が決めたことを私達は守らねばならん。さもなけば首をちょん切られてしまう」

 お姉ちゃんの問いに深刻な顔をして、ドードーさんは翼を首の前でスライドさせた。首を切られる真似だ。それを見た他の動物達は身震いし、体を寄せ合っている。

 女王様ってよっぽど怖い人なのね。

「分かったわ。それじゃあ、隣の森まで連れてって頂戴。そこに居るいかれ帽子屋三月ウサギのところまで」

 お姉ちゃんが勝気な笑みを浮かべ腕を組みながら言った。動物達がざわつく。

「アリス、イカレタ奴等のとこにわざわざ行かなくてモ!」

「そうだよ! ずっと此処に居ればいい!」

「いや、連れて行こう」

 ざわめきはドードーさんの一言で重い沈黙に変わった。皆の視線は全て彼に集まっている。

「アリス、君達は見つけるために戻ってきた。全てを思い出すために戻ってきた。だから私はその手助けをしたいと思う」

 静かにゆっくりと彼は喋る。誰かが唾を飲む音が聞こえた。

「私の背中に乗れ。いかれ帽子屋達の所へ連れて行ってやろう」

 ドードーさんが背を向け腰を地面に下ろす。嘴で乗るように合図した。お姉ちゃんは迷わず毛の掴んでドードーさんに登る。

 ワタシは周りを見てから頭を下げた。

「あの、皆さん。心配してくれてありがとうございました。また来ますね」

 そう述べてから急いでお姉ちゃんの後を追う。ドードーさんの毛は結構ごわごわしていた。

「ふむ。では行こうか」

 ドードーさんが立ち上がる。動物達は見上げて黙ったままワタシ達を見ていた。

 でも、もう一度挨拶する前にドードーさんは走り出す。

 すぐに動物達の群れは見えなくなった。

「結構早いのね」

 お姉ちゃんが後ろを見ながら呟く。ワタシも同じことを思った。

 でも、確かどっかの言葉でドードーってノロマって意味じゃなかったかしら?

 木々の合間を縫いながらあれよあれよと進んでいく彼は、ノロマなんて言葉、全然似合わない。

「ふむ。この森はそんなに深くもないからな。もうすぐ出るぞ」

 ドードーさんの言葉にワタシ達は前を見た。

木々が一斉によけ、視界が広がる。短い灰色の草が風にたなびいていた。

 ドードーさんは止まることなく駆けて行く。後ろを向けば森が遠ざかっていく。前からは別の森が差し迫っていた。

 あれがさっき見たクローバーの3の森なことは間違いない。

「ここだな。降りるがいい」

 ドードーさんが止まって脚を折りゆっくりしゃがんだ。お姉ちゃんは軽やかに飛び降りる。ワタシは怖くてゆっくりと毛を掴みながら下った。

 ワタシ達は二人揃ってドードーさんの前に並ぶ。

「ありがとう。ここまで運んでくれて」

「ほんとう、助かりました」

 二人でお礼を述べる。ドードーさんは目を細めた。それは笑っているようだった。

「いいや。気にすることは無い。私達はアリス、君達の道標の一つなのだ。とても小さなものだがね」

 体を起こし片目を瞑ってみせるドードーさん。そんな仕草にお姉ちゃんもワタシも頬が緩んだ。

「さあ、アリス。行きなさい。君達に必要なのは知識だ。芋虫に会っても何も分からなければ、白兎を追いチェシャ猫を探すといい。もし、挫けそうになっても知る勇気を持ちなさい。さすれば道は自ずと開ける」

 彼は長々と述べてから空を仰ぎ大きく嘶いた。それから、ワタシ達の反応を待たずに踵を返し駆けて行く。とても急いでる様に見えた。

 ほんの少し森から離れただけだけど女王様に怒られちゃうのかも。

 そう思いながら姿が見えなくなるまで見送った。

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