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八の夢 月の探しモノ

 もう一人のアリスと逸れてしまった白のアリスは、彼女に会うため白のチェシャ猫とハートの12の城を目指す。

 一方、ダイヤの6の森で気を失ったまま黒のチェシャ猫ともに姿を消したアリスは……。

 お墓?

 それは誰の?

 とてもとても大切な人。

 それは


 ……誰?


 分からない、思い出したくない。

 大切な誰かの……。

「リス……ア……アリスっ!」

「きゃっ!」

 急に耳に届いた声。驚いて反射的に小さな悲鳴を上げてしまった。鼓動は激しく思考が定まらない。目の前に大きなギョロリとした目があった。

「アリス、目が覚めたんだな?」

「チェシャ……猫さん?」

 意識はまだ混濁しているけど、聞き覚えのある声に相手の名を呼ぶ。彼は小さく頷いた。そこでやっと頭がはっきりしてくる。

 ワタシは、初めて彼の容姿を目の当たりにした。大きな目、初めて出会ったときは暗闇でそれしか見えなかったんだもの。その目の下に、にんまりとした口、その中にもう一つ人の顔が入っていた。見様によっては変わったフードを被った青年。全身に真っ黒い服を纏い、ワタシの肩に掛けられた手さえも黒い手袋に覆われている。目と、その顔だけが白く浮き出ているようだった。

 けど、別にあんまり違和感を感じなかった。 むしろ何処か懐かしい感じがした。

「アリス、大丈夫か? ぼんやりとして……」

「あ、うん! 大丈夫よ。安心して、チェシャ猫さん。ちょっとまだ寝ぼけてただけ」

 暫く彼を観察してたら、気が抜けてると勘違いされたみたい。笑って誤魔化してから、辺りを見回した。

 そうだ、ワタシはお姉ちゃんと骸骨さん達に色を返して……。

 それ以降の記憶が無い。

 激しい頭痛に襲われたことは覚えてる。言い知れない不安を感じたのも。けど、その後どうしたのか、何かとても嫌なことがあったような気がするのに何も思い出せない。

「ワタシ……どうしちゃったの?」

「気を失っていたんだ。あそこに居たのでは危ないから此処まで運んできた」

 チェシャ猫さんがワタシの肩から手を離し、立ち上がってからゆっくりと言った。さっき見回したときに気がついたけど此処は6の森とは違う森の中。あの暗い雰囲気も蔦もなくなっているから、同じなはず無い。

「ありがとう。助けてくれたのね。でも……お姉ちゃんは?」

「二人のアリスが一緒に居るのは危険だと判断して引き離した」

 返ってきた言葉に勢いよく立ち上がって彼の顔を正面から睨み付けた。

「どういうこと? お姉ちゃんをどこへやったの!」

「アリス、落ち着いてくれ。白のアリスには白のチェシャ猫がついている。心配はない」

 ワタシの剣幕に、彼はたじろぐことも目を逸らすこともせず淡々と言った。その様子にワタシの怒気は一瞬で萎む。

「お姉ちゃんは大丈夫なのね。けど、何処へ行ったの? 一緒に居たら危険ってどういうこと?」

 黙ったままのチェシャ猫さんを見つめ、矢継ぎ早に疑問を口にすると不安が押し寄せてきて涙が滲んだ。お姉ちゃんが居ないのはとっても心細い。

「本当は二人で少しずつ記憶を取り戻してもらうつもりだった。けど、アリス。あんた達は歌骨の記憶ですら耐えられなかった」

 説明を変わらぬ口調でゆっくり続けながら、そっとワタシの頭に彼は手を置いた。その温もりは少し気持ちを落ち着かせてくれる。

 目尻に溜まった涙を拭った。

「あの森以降の記憶は、アリス、あんたに深く関わっているモノばかりだ。下手に記憶を取り戻すとあんた達は……」

「ちょっと待って、チェシャ猫さん。貴方、誰にどの記憶が封印されてるのか知ってるの?」

 身を乗り出し、思わず相手の言葉を途中で遮る。彼はワタシの問いに視線を逸らして余所を見た。

「チェシャ猫さん? 知っているなら教えて。誰に色を返せばいいのか」

「無理さ、アリス。チェシャ猫は答えられない」

 もう一度同じ内容の言葉を繰り返したら、チェシャ猫さんとは別の方向から声が飛んできた。声の主の居場所はチェシャ猫さんが向けた視線の先。

 そこには黒いシルクハットに同じく黒の燕尾服を着ている少年が勝気な笑みを浮かべて立っていた。帽子の横にちょこんとはみ出した灰色の長い獣の耳が生えている。

 服装は帽さんにそっくりだけど身長は低くワタシの肩ぐらいだ。

「チェシャ猫は知っているけど喋れない。それはルール違反だから」

「貴方、だあれ?」

 腰に片手を当て楽しそうに言う少年にワタシは首を傾けた。チェシャ猫は黙ったままじっと少年を見ている。

「オレは、三月ウサギでいかれ帽子屋。ややっこしいし、繋げて呼ぶと長いから月でいいよ」

「あら、じゃあ、貴方が帽さんの言ってたワタシにとってのいかれ帽子屋さんなのね!」

 ワタシは嬉しくなって手を叩き、はしゃいで彼に近づいた。

「ご名答! アリスは、帽に一度会ってるんだね」

 帽子を取ってくるりと手で回してから月さんは頷く。

「えぇ、とてもお世話になったわ」

「それより、三月。あんた此処で何をしてるんだ? クローバーの3の森に居るはずだろう? 此処はスペードの5の森だ」

 ワタシが更に話を続けようとするより先に、黙っていたチェシャ猫さんが口を開いた。月さんの目がワタシからチェシャ猫さんに移る。

「少しばかり探しモノを、ね」

「何を探しているの?」

 帽子を軽やかに投げて頭の上に乗せる月さん。彼の探してるものが気になって間髪居れず問い掛けた。

「アリス、オレは時間君を捜してるんだよ。親愛なる友」

 ふっ、と彼の表情に影が差した。さっきの楽しそうな様子とはうって変わってとても寂しそうだ。

「時間? 確か彼はハートの12の城に居るはずだ。帽子屋と三月、あんた等と喧嘩して女王様の下に行ったと聞いた」

「違うっ! 喧嘩なんかしてないんだっ!」

 だんっ、と言う音とともに目の前から月さんが消えた。激しい憤った声に振り返るとチェシャ猫さんの襟首を引っつかみ食って掛からんばかりの勢いの彼が目に入る。身長差は跳ね上がることでカバーしていた。けれど、いつまでも浮いていられないみたいで、月さんはすぐ手を離して地面へ足を着ける。

「……アレは女王が流した嘘なんだ」

 小さな呟き。さっきまでの勢いは何処へやら、月さんは頭を、耳を垂らした。

「あの、月さん。じゃあ、本当は何があったの?」

 二人にそっと近づく。月さんの瞳を腰を屈めて覗き込んだ。彼は少し戸惑ったように視線を漂わせる。けれど、すぐに真っ直ぐとワタシの目を見返した。

「オレと帽がまだ、あっちに居た頃の話さ。女王様が開いた大演奏会。そこじゃ誰もが歌わなくちゃならなかった。仕方なくオレも歌ったんだ。でも、英語の歌でさ。歌詞をうっかり忘れちゃって……」

 ふぅ、っと息を吐いて肩を竦め一息置く月さん。チェシャ猫さんもワタシも黙って彼の話を聞いていた。

「適当に歌って見せたら、女王様は凄い剣幕で怒ってこう言った。

『この者は時間を殺そうとしている! ひっ捕らえ首を切れ!』

ってね。オレには何のことだかさっぱりわからない。弁解の余地も無いままこっち側に追いやられ、時間君とも離れ離れにされちゃったんだよ」

 話し終わると月さんは途中でついた溜息よりももっと深い溜息を吐いた。彼が理不尽でならない。

「でも、いったいどんな歌を歌ったの?」

「んー、それは……『キラキラ光るこうもりさん』って言ったかなぁ」

 そう言えば、本のアリスでそんな歌があったことを思い出す。キラキラ星の替え歌で、面白い注釈を読んだことがあるからよく覚えてるわ。

 そう、確かその歌は、あまりに歌詞を変えすぎて、字余り、字足らずになり歌そのものの調子を狂わせてしまっていた。

 女王様が「He's murdering the time(彼は時間を殺している。)」と言ったのは、「調子(time)」を「だいなしにする(murder)」という意味と、「時間(time)」を「殺す(murder)」という二つの意味が折り重なっているからだって書いてあったわ。

「ねぇ、いっそ此処でもう一度歌ってみてよ。聴きたいわ」

 好奇心に操られるまま口を開く。だって、どれだけ調子が外れているのか気になるんだもの。

「うーん。オレ、本当に適当に歌ってたんだ。だからそん時のでたらめな歌詞なんて覚えてないよ」

「今も、でたらめでいいの! 歌ってくれたら女王様がなんで怒り出したのか理由が分かるかもしれないわ」

 本当はもう分かってることなんだけど、敢えてそれは言わずに歌うよう促す。ワタシの言葉にたじたじとしながらも腕を組み、彼は視線を地面に向けた。どうやら迷ってるみたい。少しして、月さんはワタシを真っ直ぐ見て、こっくりと頷いた。

「じゃあ、少しだけだからな。原因が分かったら教えてくれよ」

 じっ、と確認するような視線。ワタシが小さく頷き返すと月さんは視線を余所へ向け、息を大きく吸い込んだ。

「きらきら~りとぅるばっどぅ~」

「ちょ、え……」

 思わず口からはみ出た声に、すぐ月さんは歌うのを止める。いや、だって、あんまりにも予想から外れてたんだもの。ワタシは何も言えずただ其処に突っ立ていた。月さんも黙ってワタシを見ている。

「『きらきら』は英語じゃない。和訳の歌詞の一部だ。『きら』が『kill』に聞こえたんじゃないか?」

 チェシャ猫さんが横から口を出した。月さんは彼を振り返り眉を寄せる。でも、チェシャ猫さんの言い分は、ちょっと無理があるような気がした。でも、そんなワタシの考えは余所に話は進む。

「ありえないことじゃないだろう? 適当に歌ってたんだからきっと、女王様の耳には何処かの歌詞が『kill time』に聞こえたんだろうさ」

 肩を竦め小さく鼻を鳴らすチェシャ猫さん。彼のフードの方の口の両端がぐぐっと上がった。その仕草は相手を馬鹿にしているように見える。

 月さんは顔を赤くして鋭い視線でチェシャ猫さんを睨み付けた。

「そうかもしれない……けど、オレはあんたに原因を探って欲しいなんて頼んでないんだよ! 相変わらず、人を馬鹿にしたような言い方しやがって!」

「いいや、別に普通に話してるさ。しかし、そう思うのはあんたが自分のしたことを馬鹿だと認識してるせいだ」

「ちょ、ちょっと、二人とも喧嘩は駄目よ!」

 双方で睨み合う二人の間に急いで割って入った。チェシャ猫さんの様子はあんまり変わりなかったけど、中間地点で火花が飛び散ってたんだもの。

 二人の視線がワタシに向いたから、お姉ちゃんの真似をして眉間に皺を寄せた。

「すまない、アリス」

 チェシャ猫さんはすぐに短くそう言った。でも、月さんは腕を組んで口を尖らせそっぽを向く。

「そいつが先に突っかかってきたんだ。オレは悪くない」

 拗ねたような言い方。見た目と同じく言動も子供っぽい。何だか少し可愛いと思う反面、どう扱えばいいか分からなかった。だって、小さい子の相手なんてあんまりしたことないんだもの。

「そう言うことばかり言ってるから帽子屋に子供扱いされるんだ」

「なんだと!?」

 ワタシが何か言う前に、また喧嘩を売るチェシャ猫さん。さっき謝ったばかりなのに、反省の色がてんで感じられない。

「もういい。せっかく12の城までの抜け道を教えてやろうと思ったけど、やめたやめた!」

「何だって?」

 ついに背中まで向けて完全に拗ねた様子を見せる月さん。けれど、彼の言葉にチェシャ猫さんが様子を変えた。

「何、知りたいの?」

 少しだけ振り向き月さんは言う。顔はまだ不機嫌そうだ。

「あぁ。6の森の通過が困難になった以上、別の道があるなら是非知りたい」

 チェシャ猫さんがこくりと頷き答えると、彼は表情を変えて笑みを刻み、体ごと振り返った。

「なら、さっきのこと謝ってもらおう。そしたら教えてあげるよ」

 腕を組み直して胸を反り、笑みをより深くする月さん。よっぽどご立腹だったみたい。

「あぁ、よく分からないが、悪かったな」

「よく分からないってどういう意味さ」

 チェシャ猫さんは何の抵抗もなくすぐ謝った。でも、言葉にやや問題がある。そこに食って掛かる月さん。このまま二人に任せて放っておいたらずっとエンドレスで終わらない気がした。

「月さん、一応謝ってるんだし寛大にこれぐらいで許してあげたらどうかしら? それにワタシも、12の城までの抜け道、知りたいわ」

 チェシャ猫さんが更に何か言おうとしたのを手で制して、ワタシは急いで弁護に回った。月さんは考えるように視線を巡らす。

「アリスがそう言うなら……許してあげるよ。寛大に」

 こっくりと頷き、月さんは満足そうに笑む。その時、チェシャ猫さんの耳がピクリと動いた。けど、彼は何も言わない。言い返すのを押し留まったみたいだ。

「それで、12の城の抜け道だけど……ちょっぴり危険を伴うかもしれない。あ、でも、今の6の森を通過するよりは全然大丈夫なんだけど」

「もったいぶってないで早く話せ」

 真剣な表情でワタシの目の前まで近づき月さんは話を始める。前口上の長さに対してチェシャ猫さんが茶々をいれた。月さんはチェシャ猫さんを振り返り眉間に皺を寄せる。

「焦らなくても抜け道は逃げたりしないよ。まぁ、手っ取り早く話すとジョーカーの13の塔を通るのさ」

「まさかっ!」

 渋い顔を悪戯っぽい笑みに変え、チェシャ猫さんの方を向いたまま月さんは楽しそうに言った。チェシャ猫さんは目をより大きく見開いて、尻尾をピンと逆立てている。驚いてる、のかな?

「ぶっ、あはははっ! アンタのそんな驚いた顔、はじめて見たよ! でもさ、いいと思わないか?」

「いや、しかし、あそこは……」

 お腹を抱え一通り爆笑してから、月さんは目尻にたまった涙を拭い、チェシャ猫さんに問い掛けた。けど、チェシャ猫さんは戸惑ったように言葉を濁す。

「ねぇ、ちょっと待って。そのジョーカーの13の塔って何なの?」

 話から置いてけぼりにされていたワタシは、この気にまず根底にあるモノの説明を求める。月さんはこちらを振り向いてぽんっと、手を叩いた。

「そっか、アリスは知らないんだ? えっとさ、まず12の森と城が時計を模して円形に並んでるのは知ってる?」

 問われて少し考えてから首を縦にする。確か、ドードーさんが似たようなことを言ってたわ。

「そう? まぁ、それでね、その円形の中心に聳え立ってるのがジョーカーの13の塔なんだ」

「だが、そこの住人が厄介だ。大人しく通してくれるとは到底思えない」

 月さんが弾んだ声で説明するのと相反するようにチェシャ猫は沈んだ声で言う。しかし、月さんは首を横に振って得意げに片口端を吊り上げた。

「いいや、奴等に見つかんなきゃ大丈夫さ」

「見つからない道を見つけたとでも言うのか?」

 月さんがさも楽しげに発した言葉に、チェシャ猫さんは勢い込んで一歩踏み出す。ちなみにワタシはまた話についていけてない。塔の住人さんてどんな人なのかしら?

「ご名答! まぁ、見つかりにくい。が正しいけどね。それに、万が一見つかってもアリスが居る」

 急に二人の視線がワタシに向いた。どうしていいか分からず、首を傾ける。

「あの、ワタシが何か役に立つの?」

「もちろんさ! アリスならきっと奴等も頼みを聞いてくれると思うね」

 ぴょんと軽く跳ねてワタシの鼻先に人差し指をつけて、自信満々に月さんは言った。そんな彼をチェシャ猫さんが襟を掴んでワタシから自分に顔を向けさせる。身長差のせいで月さんは地面に足がついていない。

「あいつ等がどう出るか、確定的な事は言えないはずだ。アリスの頼みを聞かない可能性も十分ある。そんな危険な目にアリスを合わせるつもりはない」

「だから、見つかった時の最終手段だって! そんな心配しなくてもいいと思うけどな」

 チェシャ猫さんは淡々言いながら、しかし不愉快そうに尻尾を揺らす。それに対して月さんは頭の後ろに手を回して組み、気楽な笑みを浮かべたままこともなさげに言葉を返した。

「ねぇ、二人とも。そんなに塔の住人さんって怖い人なの?」

 二人の会話を聞いていてふと疑問に思ったことを口にする。二人は一度ワタシを見てからすぐに、双方で顔を見合わせた。

「怖いと言うか、厄介なんだよね。普通に塔に入るなら、住人が出した問題を解かなくっちゃならない。しかも、挑戦して間違えたらその場で食べられちゃう! だからまず、誰も塔には近づかないのさ。女王様もね」

 今だ襟首を持たれ、ぶらぶらと揺れながら月さんは肩を竦める。

 確かに答えを間違ったら食べられちゃうなんて怖いわね。出来ることなら行きたくない。

ちろり、とチェシャ猫さんを見やる。あの大きい目と視線がかち合った。

「あの、どうしても塔を通っていかなきゃならないの? 12の城に何かあるの?」

「アリス、あんたは12の城へ行かなくちゃならない。それに、そこへ向かえば白のアリスにも会える」

 チェシャ猫さんが付け加えるように言った後半の言葉に怖いのも何もかも頭から吹っ飛んだ。ぐっ、と一歩彼の方に身を乗り出す。それに驚いたのかちょっぴりビクッと身を震わせて、チェシャ猫さんは月さんの襟から手を離した。月さんがボテッと落ちる。

 けど、ワタシは今、それを気にしてなんかいられない。

「本当?」

 勢い込んで更にもう一歩前進し、叫ぶように確認を仰いだ。彼は一歩後退してこっくりと頷く。

「あぁ。白のチェシャ猫もアリスをハートの12の城へ導くだろう。だから、そこまで行けばもう一度会える筈だ」

 彼の言葉に自然と頬が緩んだ。嬉しくなって手を合わせて胸元でぎゅっと強く握る。

 お姉ちゃんに会える! それはワタシにとってすごく心強いこと。ちょっとくらいの怖さなら乗り越えられそうな気がした。

「んじゃ、話は決まり、かな?」

 パンパン、とズボンを叩きながら立ち上がり、ワタシの顔を覗き込んで笑みを浮かべながら首を傾げる月さんに、ワタシは一度首を縦に振った。

「よーし、それなら早速……塔へ出発しよう!」

「何だ、あんたも行くのか? 道を教えてくれるだけでいいんだぞ」

 ぐっ、と片手に拳を作ってそれを天高く掲げた月さんに、チェシャ猫さんは冷たく言い放つ。このままだとまた険悪な雰囲気が再来しかねない。

 なんで、こんなに突っかかるのかしら?

「道は複雑で口じゃ説明できないよ。それにオレだって城に用があるのさ!」

 むっとした顔でチェシャ猫さんを振り返り、ややつっけんどんに言う月さん。

「用ってなに?」

 ワタシはすぐさま会話に割って入り、気を逸らさせた。月さんはこちらに顔を向け表情を緩める。

「初めに話しただろう? オレは時間君を探してるって。彼は今、女王様の城に囚われてるんだよ。それを助けに行くんだ!」

 喋りながら月さんは段々と熱が入り声が大きくなっていく。いつの間にか両手が拳に変わっていた。

 友達のために危険を冒して助けにいこうなんて、なんて偉いんだろう。

 ワタシは月さんの拳を両の手で覆った。

「そうだったのね……。一緒に行きましょう、月さん。ワタシも何か手伝えるなら手伝うわ!」

「アリス……ありがとう!」

 少しはにかんで、でも嬉しそうに笑顔を浮かべる月さん。一方、チェシャ猫さんは会話に混じらず彼の横で肩を竦めていた。

「あら、チェシャ猫さんは不満なの?」

 月さんから手を離し、黙ったままのチェシャ猫さんの瞳を覗き込む。彼は緩く頭を振った。

「いいや。アリス、あんたの好きにしたらいい」

「ありがとう。チェシャ猫さん」

 彼の言葉に笑顔を向けてお礼を述べると、彼は大きな瞳を微かに細める。その仕草に何か感じるものがあって、自分の意図とは関係なく急に表情が強張った。

「どうかしたの? アリス」

 月さんがワタシの服を引き、眉を顰めて訝しげにワタシの顔を見上げている。慌てて首を勢いよく左右に振る。

「何でもないわ! それより、早く塔に向かいましょう!」

「アリス、塔までの道知ってるの?」

 誤魔化すように急いで歩を進めようとした矢先、月さんの言葉でストップを掛けられた。

塔は森達に囲まれた中心に立っている……けど、どっちの方向に行けば中心にたどり着けるかワタシに分かるわけがない。

「森の周りを流れてる川を辿ればいい」

「下るの? それとも上るの?」

 チェシャ猫さんが間髪入れず説明を口にする。けど、ちょっと答えとして足りないものがあったからワタシは問い直す。すると彼は不思議そうに首を横へと傾けた。

「上るも下るもないよ、アリス。フシ・ギノ国の川は塔から流れてきて塔へ帰っていくんだ。森や城を一周してね」

 そんなチェシャ猫さんを見て月さんが彼の代わりに答える。けど、その回答は突飛でワタシの想像力を越えていた。

「そ、そうなの? よくわからないけど、まず川まで行かないとね」

「そうだよ、アリス! とにかく森を抜けよう。見ればアリスだってきっとよく分かるさ!」

 はしゃぐように両手を広げ満面の笑みを浮かべる月さん。つられてワタシの口元にも笑みが零れた。その時、チェシャ猫さんがワタシの腕を引く。そのまま彼は何も言わず、やや屈んで掴んだワタシの腕を自分の首に掛けた。そして膝の後ろを持ち上げる。所謂お姫様抱っこだ。

「よし、行こう」

 ワタシが口を開くより早く、その言葉が耳に届き、次いで上へ飛び立つような重圧感が襲ってきた。落ちそうな気がしてチェシャ猫さんの首にしがみ付く。黒い服には毛が生えていて結構ふかふかしてた。

 黒い木々が後ろへ走っていく。正しくはチェシャ猫さんがワタシを抱えたまま枝から枝へ凄いスピードで飛び移ってるのだけど、ワタシには木々の方が動いてるように見えた。風が頬に当たり髪をなびかせてる。

 そしてあっという間に森の出口へ辿り着いた。すっ、とゆっくり丁寧にチェシャ猫さんはワタシを下ろす。

 良かった。ちょっと恥ずかしかったのよね。

 両の手で頬を押さえながら視線を巡らす。幾度か見たあの草原が相変わらず広がっていた。しかし、月さんの姿が見当たらない。

 途中ではぐれちゃったのかな?

 そう思った矢先、上から声が振ってきた。

「早かったね! アリス!」

 その声に反応して上を向くより早く、彼が目の前に降ってきた。ストッと軽快に地面へ着地する。

「あんたが遅かっただけだろう」

「ちょっと勢いよく飛びすぎただけさ。それよりアリス! アレが塔に続く川だよ!」

 チェシャ猫さんの言葉にちょっとむくれた顔をしたが、すぐに屈託のない笑顔を浮かべ、月さんは遠くを指さした。

 その方角を見てからワタシは首を捻る。だってただただ白い草原が広がってるようにしか見えないんだもの。

「んー、今は草の色と同じだから分かりにくいかな? 空から見れば境目がはっきりしてるのが分かるんだけど……。まぁ、近くへ行けば分かるよ!」

 ワタシの様子を見て考えるように腕を組む月さん。けど、すぐさま目を輝かせワタシの手を取り走り出した。ワタシは戸惑いながらも引っ張られるまま彼の後についていく。

 少し行ったところで風景の微かな違いに気がついた。

 初めは草が動いてるのかと思った。でも、違う。

 もっとも近くまで行ってやっとその正体が分かった。

 白い水が流れてる。月さんから手を離し、近づいて掬ってみると、それは透明の水。どうやら底が見えないほど深いみたい。

 でもそれだけじゃない。近づいて気がついたことはもう一つ。川は丁度真ん中で流れが逆になっていた。

 横にじゃなくて縦。同じ川の中に上りも下りも存在してる。とても不思議な光景に幾度も瞬きを繰り返した。

「どうだい? アリス。上りも下りもないだろ?」

 そんなワタシの後ろで腰に手を当てて何処か得意げに言う月さん。ワタシは振り返りこっくりと頷いた。チェシャ猫さんが彼の隣に立つ。

「これをあちらの方向へ辿っていくんだ」

 そして森とは反対の方向を指差した。川の先は地平線に飲み込まれ何があるか見ることはできない。

「よし、行きましょう」

 言いながら胸の前でくっと手を握る。二人がこっくり首を縦に振った。

「でも、アリス。歩いていくにはとても遠いよ?」

 ワタシが一歩踏み出すと同時に月さんが口を開く。そこで立ち止まり頬を掻きながら考えているみたく見えるように視線を泳がす。もう一度お姫様抱っこは恥ずかしいので嫌だった。

「俺がアリスを連れて行く。それでいいだろう?」

「え、チェシャ猫ばかりずるいよ。今度はオレが連れて行きたいな」

 ワタシの思いはなんのその、チェシャ猫さんはさっきと同じ方法を取るつもりらしい。けど、それに対し月さんが口を尖らせた。

 確かに今までのことから考えたら二人のどちらかに連れてってもらえれば早いんだろうけど……。

 睨み合う二人に困ってたじたじとしていると、突如足首に違和感を感じた。濡れた冷たいものが触れた感触。それが何かを確かめる前に強く引っ張られる。

「きゃっ!」

 ワタシの小さな悲鳴にチェシャ猫さんと月さんが振り返った。けど、彼等が行動を起こすより早くワタシの体は水の中に飲み込まれる。大きく息を吸ったつもりが水を大量に飲んでしまった。

 足は未だに川の奥へと強い力で引っ張られている。外そうともがくけど、どうにもならなかった。

 苦しくて意識が朦朧としてくる。

 ワタシ、どうなっちゃうの?

 泣きたくなって、無意識にお姉ちゃんを呼ぼうとして、また水を大量に胃に送ってしまった。助けを求めようにも出来なくて、苦しくて細かいことは考えられない。そして、意識はあっさりと暗闇の中に落ちた。

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