六の夢 煙の語り部
いかれ帽子屋三月ウサギこと帽に連れられてやっとのことでハートの4の森に着いたアリスだったが……。
「全く信じらんないっ! 何で木に引っかかるのよ!」
「あはは、あんまり下を確認しないで落ちたからなぁ」
お姉ちゃんが苛立った口調で叫ぶ。帽さんは悪びれた風もなく軽快に笑った。
「でも、どうするの? 降りなくちゃ芋虫さんを探せないわ」
ワタシが問うと帽さんはワタシを抱いてないほうの手で頬を掻いた。う~ん、と唸り考えているようだ。
「チョット! アンタ達ナンナノヨ!」
急に真横から甲高い声。振り返ると灰色の小さな鳥が木に止まっていた。
「わぁ、可愛い」
「サテハ蛇ネ! アタシノカワイイ卵ヲ奪イニ来タノネ!」
かわいくってついつい触ろうと手を伸ばしてみる。だけど、小鳥は目を尖らせて鋭く叫んだ。そしていきなり飛び上がると……。
「いたっ、ちょっ、やめっ!」
「ウルサイ! 蛇ナンカドッカイッチャへ!」
鋭い嘴で襲ってきたのだ! たまったもんじゃない。慌てて振り払おうと両手をばたつかせた。
「ちょっと、クロ! そんな暴れたら落ち――っ」
お姉ちゃんが全部言い終わらないうちに、ふわりと落下特有の浮遊感を感じる。バキバキと枝の折れる騒音が耳元でした。
ドンッと、鈍い衝撃。そして暫くの静寂。
「ちょっと、二人とも大丈夫?」
静けさを初めに破ったのはお姉ちゃんの声。ワタシは強く瞑った瞼をそっと持ち上げた。目の前に小さなお姉ちゃんを見つけてほっと安堵の息を吐く。それから上体を起こして気が付いた。帽さんを下敷きにしてたことに。慌てて退いて帽さんを抱き起こす。
「だ、大丈夫ですか!?」
「う~ん……。アリス、ありがとう。僕は平気だよ。それより、怪我はないかい?」
彼は額を押さえてから、頭を左右に軽く振りすぐに立ち上がった。そして、いつものように口元へ笑みを浮かべてワタシ達二人を交互に見る。
「平気よ。これっくらい」
「大丈夫です。帽さんが庇ってくれたおかげで助かりました」
ワタシ達の言葉を聞くと笑みを満面に広げて一度頷き「良かったよ」と彼は言った。
「何が良かったのかね。全く、あんた等のせいで昼飯を食い損なったじゃないか」
シューッと隙間風のような音とともに低い声が膝元から聞こえた。見て思わず固まる。
長い体をくねらせて地を這い、黒い舌をちろちろと覗かせているその姿はまさしく……。
「へびいぃぃいいいいっ!!」
頭の中で認知するとともに大きな声で叫んだ。帽さんは長い耳を二つに折って、それを更に手で押さえている。お姉ちゃんも耳を塞いでいた。
「そんな大きな声出さなくても見たまんま蛇さね」
細長い体を起こしてフンッとご機嫌斜めに鼻? を鳴らす。ワタシは帽さんの後ろに隠れてその蛇の様子を伺った。
「そうね。蛇だわ。貴方此処に住んでるの?」
「そうさ、この森の住人だよ。アリス。ところでおいらの昼飯どうしてくれるんだい? あんた等のせいで鳥が警戒して卵が獲れやしないよ」
蛇が尻尾を地面に叩きつけながらチロチロと舌を揺らす。お姉ちゃんは腰に手を当て蛇を睨み付けていた。
「そうだねぇ。クッキーでも食べるかい?」
帽さんが蛇の前にしゃがむ。そして徐に帽子を持ち上げて中から缶を取り出した。その様子を蛇はじっと黙って見ている。缶は蛇の正面に置かれた。
「帽子屋、気持ちはありがたいが……おいらはクッキーなんかより卵が好きだ。後は、食べれてもそこのアリスぐらいさ」
蛇がお姉ちゃんを見て舌なめずりをするもんだから、慌ててお姉ちゃんを拾い上げて蛇から遠ざける。帽さんは可笑しそうに口元を押さえ笑った。
「あっはっはっは。そんなこと言ってるとアリスが色を戻してくれなくなってしまうよ?」
「おいら、色より卵が欲しいね。もちろん、アリスより食べるなら卵が好きだよ。だからそんなに怒らないでおくれ、黒のアリス」
ワタシの目を見ながらたじたじと蛇は言う。帽さんは更に可笑しそうに声を立てた笑った。
「そうよ、クロ。冗談を真に受けるもんじゃないわ。ねぇ、それより! 貴方。芋虫を知らない?」
お姉ちゃんの言葉に思わず口を尖らせる。蛇は肉食だもの。ネズミも食べるんだから小さな人間を食べてもおかしくないわ。それに、あの顔、冗談言ってる感じじゃなかったもん!
まだ睨み付けていると蛇は居心地が悪そうに頭を低く地面につけた。
「知ってるよ。教えるから睨み付けるのやめておくれ」
「あはははは、滅多なことは言わない方が身のためだったね」
帽さんは笑いながらクッキーの缶を帽子の中にしまう。流石にそろそろ可哀相に思えてきて睨むのをやめた。
そ、そんなに怖かったかなぁ?
でも、昔から怒るとお姉ちゃんより怖いとか、お姉ちゃんのこととなると人が変わるとかよく言われる。
もちろん、そんな自覚は毛頭も無いのだけど。
「ありがとう。その芋虫が何処にいるか教えてくれない? アタシ達、会いたいの」
「ふぅん、奇特だね。あの人に会いたいなんてさ。ま、いいや。あの人に会いたいなら聞いてごらん。煙に主人は何処か、ってね」
ワタシとお姉ちゃんは目を合わせる。いまいち言っている意味が分からなかった。ここの世界じゃ煙も喋るのかしら?
「じゃあ、おいらはもう行くよ。卵の獲り方を考えなきゃ腹が減って仕方ないね」
「行かせておあげ、アリス」
するりと踵を返す蛇。それを引きとめようとするワタシ達を、いち早く帽さんは言葉で止めた。蛇は体を器用にくねらせ茂みの中へと消えていく。
「ちょっと、何考えて……」
お姉ちゃんが言葉を途中で止めた。帽さんの手元を見たからだと直ぐに理解する。
「煙ってのは多分、これじゃないかな?」
彼の手には白いぼやけたモノが絡まっていた。いや、正しくは掴んでいる……みたい?
「煙って掴める物なの?」
「現に掴んでいるけど?」
お姉ちゃんの問いにすぐさま帽さんは答えた。煙を引っ張りワタシ達の前に差し出す。そっと指先で突っついてみた。ぐにっ、と柔らかいゴムのような感触。指先で摘んでみる。その白くぼやけたモノはワタシの指についてきた。
「すっごぉおい! 面白いわ、お姉ちゃん!」
摘んだままもう片方の手に乗せたお姉ちゃんの目の前へ引っ張った。お姉ちゃんが胡散臭げに眉を寄せつつ、煙に触る。お姉ちゃんはペタペタと数回触ってから首を捻った。
「変なの。煙じゃないみたい」
「どっからどう見たって煙だよ、アリス。さあ、早速主人の居場所を教えてもらおうじゃないか」
そう、帽さんが言った瞬間に凄い勢いで手が引っ張られた。よく見れば煙がワタシの腕に、お姉ちゃんの体にしっかりと巻きついている。あまりのスピードにワタシさえ宙に浮いていた。
とふん、と柔らかい衝撃。ゴムのようなその感触はさっきの煙と同じものだった。
お姉ちゃんと帽さんを探して辺りを見回す。白い煙が視界を遮っていて何があるのかよくわからない。
「お姉ちゃん! 帽さんっ!」
大きく叫んだ。でも、響きもしないし、何も返ってこない。不安になって立ち上がった。とても足場が悪くふらふらとして早く進めない。怖くて涙が滲み出てきた。
ひとりぼっりはとても心細いし一番怖い。
もう一度二人の名を呼ぼうとして、近くに人影があることに気が付いた。急いで駆け寄る。黒い影でしかなかったそれは徐々に形を成していった。
「あら……いらっしゃい。よく来たわね。アリス」
その人影が喋る。両口端を軟く押し上げ、手にした何かをくるくると回した。
「あの、貴方は?」
「煙の主。煙の語り部。人はそう呼ぶわ」
手にしたものを口に咥え、でもすぐ外してふぅっと、白い息を吐く。
煙の根源はこの人?
疑問を浮かべながらよく観察すると、彼女が手にしているのは水煙草だと言う事が分かった。写真とか絵とかで見たことはある。でも実物を目にしたのは初めてですぐにそれとは判らなかったのだ。
「アリス、私に用があるんじゃなくて?」
すらりと伸びた足を組み替えて彼女は言う。チャイナドレスのようにスリットが入った服。ただ腰から布は三枚に分かれててとても長い。それに袖から肩に掛けての布も下に垂れとても長かった。布には細かい模様が刺繍されている。その模様は何処かで見たことがあるような気がした。
「あの、貴方、もしかして芋虫さんですか?」
「そうね、つい最近までは」
くすり、と妖しく口元を歪め、また煙管を咥える。「最近?」と問えば、上に向かって煙を吐き出しワタシを手招きした。それに応じて近くまで歩み寄る。
正面に立つと、彼女がとても小さいことが分かった。今のお姉ちゃんぐらいの大きさだ。
目線を会わす為しゃがもうかとも思ったが、彼女が座っている煙はワタシの目の前までふわふわと浮かんできた。
「また暫くすれば幼虫に戻るわ。私は絶えず繰り返すのよ。子供から大人への歩み」
視線が同じ高さになると、彼女は静かな声でさっきの答えを口にする。でも、それの意味はよく分からなかった。
「うんと、えっと、じゃあ、芋虫さんではないの?」
「今は蝶、よ。成虫になると名前が変わるの」
そこで思い当たった。彼女の服の模様はアゲハチョウの羽の模様と酷似している。
そっか、芋虫さんは蛹になって蝶に羽化したのね。
ちょっとほっとした。実は芋虫さんとまともに喋れる自信は無かったの。正直虫は全般的に苦手。特にあの足がたくさんあってウニョウニョしてるのなんて見たくも無い! 帽さんみたく人間に近い姿ならいいなぁ、って思ってたぐらい。
「それでアリス。用は何?」
「あの、実は聞きたいことがあって……」
問われてもごもごと答えながら辺りを見回した。やはりお姉ちゃん達は何処にも見当たらない。
「気にしなくても貴方の連れはもう一人が相手をしてるわ」
「もう一人、煙の主が居るの? お姉ちゃんは今近くに居るの?」
ワタシが身を乗り出して聞くと、蝶さんは眉尻を下げて苦笑いを浮かべた。
「やはり白のアリスが居ないと落ち着かないようね。仕方ないわ」
そう言うと彼女は煙を今までよりずっと多く吐き出した。それがワタシの体に纏わりつく。ふわりと煙に持ち上げられた。そして、また引っ張られれ凄い速さで移動する。あまりの速さに何が何だかよく分からなくなった。
少ししてその動きは急に止まる。けれどやはり煙に覆われた世界からは抜け出なかった。
「クロっ!」
お姉ちゃんの声が後方から飛んでくる。煙を体からはずして急いで振り返った。帽さんが初めに目に入って、その肩にお姉ちゃんが居るのを見つける。二人の元にすぐさま駆け寄った。
「お姉ちゃん! 帽さんっ!」
「やぁ、アリス。一人で何処へ行ってしまったのかと思ったよ」
にっこりと毎度のように笑顔を浮かべて、帽さんは肩からお姉ちゃんを降ろしワタシの手に乗せた。ワタシの手に移動するとお姉ちゃんは腰に手を当てキッと眉を吊り上げる。
「まったく、心配させないでよね!」
お姉ちゃんが怒った。でも、ワタシの頬は安心して思わず緩んでしまう。
「さてさて、感動の再会はそれくらいにしてちょうだい」
「そーよ! あたい達にある用を早く済ませちゃってよ!」
一つはあの蝶さんの声。でももう一つに聞き覚えが無い。声のほうへ振り返って思わず固まってしまった。
「あぁ、ごめんなさい。でも、貴方誰よ?」
お姉ちゃんが蝶さんを見やり訝しげに問う。ワタシは一歩後退った。
「あら? この子から聞いてない? 蝶よ。貴方達が探していた煙の主の片割れよ」
「ちょっと、そこのあんた! 何遠ざかってんのよ!?」
蝶さんがお姉ちゃんの質問に答えてる間、そろりそろりと後退してたワタシ。でも、後退る原因に見つかって怒鳴られてしまった。
だってだって! まんま芋虫なんだもんっ!
アゲハチョウの幼虫そのまんまで人語話してるのよ!?
正直ワタシには耐えられない。お姉ちゃんが何で平気なのか不思議でしょうがないわ!
「前に私が幼虫だった時もそうだったわね。黒のアリス」
蝶さんが苦笑いを浮かべ芋虫を手で静止する。ワタシも苦笑いを返すしかなかった。
「ちょっと、クロ。苦手なのは知ってるけど離れたら話が出来ないわ」
お姉ちゃんが振り返り腕を組んで困ったように言った。ワタシは絶えず苦笑いを浮かべ続ける。帽さんがひょいっとお姉ちゃんを摘み上げ、ワタシの頭をくしゃりと撫でた。
「とりあえず、見えない位置に居たらいいよ」
帽さんの言葉に苦笑いがとれる。見上げると、彼は優しく笑い返してくれた。
「ありがと、帽。じゃあ、話を進めましょうか?」
「えぇ、そうね」
お姉ちゃんが仕切りなおすように言う。蝶さんがゆっくりと頷いた。
そんなやり取りを横目にワタシは帽さんの後ろへ移動する。お姉ちゃんと蝶さんがギリギリ見えて、芋虫さんが見えない位置を探し、そこに落ち着いた。
「あたし達、どこに色を返せばどの記憶を手に入れられるか知りたいの。貴方達が何か知らないかと思って、訪ねてきたのよ」
お姉ちゃんが目的を説明すると、蝶さんは横を見る。多分、芋虫さんと顔を見合わせてるんだ。
「関係のあることは知ってるよ。でも、核心部分は知らないよ」
「いいわ! 知ってることを教えて」
芋虫さんの声。お姉ちゃんは身を乗り出してそれに答えた。蝶さんが煙管を加え一息置く。
「いいわ。私が説明してあげる」
ふわりと煙を吐き出して彼女はワタシ達を順に見てから言った。お姉ちゃんも頷いたのでワタシも一度首を縦に振る。
「簡単なことよ。アリス。全ては女王様が知っている。女王様はあらゆることを知っているわ。この世界の何一つ分からないことは無いのよ」
「ドードー達はそんなこと言ってなかったわ」
ゆっくりと話し始めた蝶さんの言葉にお姉ちゃんが疑問を投げかける。でも、蝶さんは嫌な顔せず、逆ににっこりと笑った。
「彼等は知らないだけよ。6の森からこちら側の住人はあまり女王様に謁見することはできないの。知っているのは多分、私達と、そこのいかれ屋さんぐらいね」
一斉に皆の視線が帽さんに集まる。それに対して彼は、ははっと小さく笑った。
「そりゃあ、まぁ、昔はあちら側だったからね。ちょっと、とある理由で追放されたのさ」
「とある理由?」
興味をそそられ言葉の一部を反復して問う。帽さんは振り返りワタシに一度視線を向けて、困ったように笑いながら頬を掻いた。
「言ったら多分、月に怒られるから……内緒」
頬を掻いてた指を口元に運び悪戯っぽい笑みに切り替えて言う帽さん。でも、そう言われるとますます気になっちゃうわよね。それに『月』って誰かしら?
「そこが内緒、なのは構わないけど、何で女王様のこと言わなかったの?」
ワタシがもう一度追求するより早く、お姉ちゃんが眉を顰め問い詰めた。口調がやや荒い。そんな中で内緒な部分が気になるとは到底言い出せないわけで……。
「それは、僕に対しての質問に無かったから。それに、一気に沢山説明しても理解しきれないだろう? 後、話すのを忘れていた、っていうのもあるね」
さらりとこともなさげに言う帽さん。お姉ちゃんは拳を硬く握っている。最後の一言は余計だと思った。何ていうか火に油注いでるような……。
「はいはい、じゃれ合うのはそれぐらいになさいね?」
そこで蝶さんが割ってはいる。お姉ちゃんが拳を解いて蝶さんに体を向けた。上手い具合に気が逸れたみたい。帽さんは笑いながら肩を小さく竦める。
「ところで、アリス。貴方達、私の話を聞いて女王様に会いに行く気になったかしら?」
「えぇ、もちろんよ」
蝶さんはそのまま問いを口にした。お姉ちゃんがすぐに答える。ワタシはただ黙っていた。
「そう、言うと思ったわ。でも、女王様は貴方達の願いを容易く聞き入れてはくれないでしょうね」
「何故?」
そのまま蝶さんはふっと笑って言葉とともに煙を吐き出した。煙はハートの形を作り、そして直ぐ空中へと消えていく。お姉ちゃんは訝しげに眉間に皺を刻む。
「何故か? それはとても簡単なことよ」
そこで一度言葉を切って彼女は目を細めた。
「女王様は、アリス。貴方が記憶を取り戻すことを望まない。決して喜ばない」
一言一言ゆっくりと噛み締めるように言葉を紡ぐ。ワタシは彼女の言葉を心の中で反復した。
望まない。
喜ばない。
何故かは分からないけれどそれが当たり前のように思える。女王様を知らないはずなのに彼女をとてもよく知っている気分になった。
「彼女はどうあろうとも邪魔をするわ。たとえ永久に自分の色が戻らなくても、ね」
蝶さんの続けられた言葉に身体が震えた。
ワタシは確実に女王様について何かを知っている。でも、思い出せない。ううん、思い出したくないみたいだ。
「そ、そう」
お姉ちゃんの声のトーンが落ちている。やや戸惑った響きも感じられた。きっと同じ感覚に襲われてるに違いない。
「何、気落ちしてんのよ? さっきまでの元気は何処いったんだか」
さっきまで黙っていた芋虫が急に喋った。お姉ちゃんがそちらを振り返る。
「べ、別に気落ちしてたわけじゃないわよ! どうやったら口を割らせられるか考えてただけだわ」
ふんっと、腕を組み胸を張ってお姉ちゃんがいつもの強い口調で言う。蝶さんが口元を抑え笑っていた。
「あっはっはは、白のアリスらしいね」
帽さんも陽気に両の口端を吊り上げ笑った。空気が軽くなってさっきの雰囲気が消える。ほっ、と肩の力が抜けた。
「さあ、女王様に会う方法を教えてちょうだい。彼女のところまで案内してくれるほうが早くて助かるけど、方法を教えてくれるだけでもいいわ」
「そうね。案内してあげたいのは山々なのだけれど、無理な話だわ。いかれ屋さんも同じでしょう?」
お姉ちゃんの問いに、蝶さんは眉尻を下げ苦笑いを浮かべる。それから帽さんへ視線を投げた。帽さんはその視線にこっくりと首を縦に動かす。
「うん、そうだね。僕等、1の森から5の森の住人は女王様の許可が無くっちゃ6の森を通れない。けど、女王様の城へ行くには絶対に6の森を通過しなくちゃならないんだ」
「そうなの? でも、許可がいるならあたし達も通れないかもしれないわね」
お姉ちゃんが考えるように首を捻った。それに対し蝶さんが頭を振る。
「大丈夫よ、アリス。アリスなら許可は要らないわ。貴方はこの世界を自由に動き回れるのよ」
「分かったらさっさと行っちゃいなさいよね!」
蝶さんと芋虫さんが交互に言う。芋虫さんの言葉にワタシの顔は苦笑いに変わった。あんまりワタシ達、芋虫さんに好かれてないみたい。まぁ、そりゃあ、ワタシが悪いのは分かってるけど……。
「あ、そういえば貴方達に色、返してないわね」
お姉ちゃんの唐突に口にした言葉にワタシの心臓が飛び上がった。色を返すってことは、すなわち触るってことで……。
その話題にならず出ていけそうでちょっとほっとしてたのにぃっ!
思わず想像して泣きたくなった。芋虫なんて生まれてこの方触ったことがない。
「いいわよ、要らない! どうせ、触れないんだから!」
「こらこら、そんな言い方しちゃ駄目よ。アリス、気にしないでね? 私達色がなくても大丈夫よ。だから安心して行きなさい」
ふんっと、ひねたような言い方の芋虫さん。何だか罪悪感をヒシヒシと感じる。
「ご、ごめんなさい! 蝶に羽化したらまた色を返しに会いに来ますから!」
「その時は私が幼虫だわ」
帽さんの影から慌てて述べた謝罪に蝶さんが笑った。芋虫さんはふんっと、鼻を鳴らしただけ。
「それってどういうこと?」
興味をそそられたのかお姉ちゃんが不思議そうに蝶さんを眺め問う。
「あら、簡単なことよ。彼女が成虫になるころ私は一度死ぬわ。そして彼女が産んだ卵から幼虫として孵るの。私達は永久に繰り返すのよ。子供から大人への歩みを、ね」
蝶さんが煙を吐き出す。それは言葉に合わせ蝶の形を成し、一度散って、卵のようなになったかと思うと芋虫のような形へ変化した。そして蝶に戻り、また散る。
「すご~いっ! それどうやってるの?」
感心して思わず手を叩いた。彼女はクスリ、と小さく笑んで「企業秘密よ」とだけ述べる。まじまじと水煙草を眺めてみたけど何か特殊なところがあるのかなんて判らなかった。
「さ、それより、行くんでしょう? この森の上まで煙で飛ばしてあげるわ。6の森まで運んであげたいのは山々だけど煙は私からあんまり遠くに離れられないの」
話が一段落したと判断したのか蝶さんが話題を変える。申し訳なさそうな口調に急いで首を横へ振った。正直、その気持ちだけで嬉しい。
「でも、いかれ屋さん。貴方の脚力をもってしたなら、5の森を飛びぬけて6の森の前まで行くことができるわよね? この森の天辺からなら」
蝶さんが口元を緩く吊り上げ、細めた視線を帽さんに投げた。どこか挑戦的だ。
「もちろん、出来ない事はないさ。でも、残念なことに僕の愛用の傘は今壊れててね。着地に失敗してしまうかもしれなんだ」
「それなら、この子の煙で傘を作ってもらうといいわ」
帽さんから返ってきた答えに蝶さんはすぐ切り返す。彼女の視線は芋虫さんが居るあたりに向けられていた。
「彼女の煙なら遠く離れようとほんの暫くは消えないし、いいわよね?」
「いいわよ。餞別にくれてやるわよ」
蝶さんが煙管を芋虫さんに手渡した。ちょっとだけあの沢山ある短い足が見える。
けど、煙管を手にしてすぐ帽さんの影に引っ込んだ。
そして、直後、白いものがひょっこり顔を出す。何だか風船に空気を入れてるようなそんな感じの膨らみ方でどんどん大きくなった。
あっという間に煙の傘は完成する。ちゃんと帽さんの大きさに合わせられた傘だ。
「とっても、素敵な傘だね。ありがとう」
手にとってクルクルと回してみたり掲げてみたりしてから、帽さんは微笑んで礼を述べる。
「礼なんて要らないよ。それより、アリス。アンタ達はこれでも持っていきな!」
変わらず怒っているような口調で芋虫さんは答えた。この場合は多分、照れてるんだと思う。ちょっとカワイイなぁ、とか思ってたら急に上から何か落ちてきた。
反射的に手で受ける。
「キノコ?」
お姉ちゃんが呟いた。そう、ワタシの手の中に納まっているのは正しくキノコ。
もしかして……。
キノコから顔を上げ振り返れば、お姉ちゃんの目の前にまったく同じキノコが横たわっていた。
「あら、いつの間にそのキノコ採ってきたの?」
「さあね。それより準備は出来たんでしょ? 早くやってちょうだいよ!」
いつまでも不機嫌そうな口調で話す芋虫さんに蝶さんはおかしそうにクスクスと笑った。
「相変わらず素直でないんだから……。まぁ、いいわ。じゃあ、アリス。お別れね」
「ちょ――っ」
ちょっと待って! と言おうとした瞬間足元が盛大に揺れる。言葉は途中で喉の奥へ押し戻された。帽さんが手早くワタシを抱える。
「ちょっとっ! このキノコ何なのよ!?」
お姉ちゃんが大きな声で叫んだ。キノコはしっかりと抱えている。そこでやっと初めてワタシは芋虫さんと目? が合った。
「片側なら大きくなるし、反対側なら小さくなるよ」
それだけ言うとくるりとそっぽを向く。彼女の姿はもうそんなに気持ち悪く思えなかった。
彼女達がどんどんと遠退き小さくなっていく。ワタシ達の足元の煙だけ上に盛り上がって行っているのだ。
「ありがとーございましたーっ!」
見えなくなる前に大きく叫んだ。蝶さんが笑った気がした。芋虫さんがこっちを向いたように見えた。でも、もう遠すぎて小さくて正確なことは判らなかった。
煙を抜け、黒い葉を茂らした木々の間を通過する。更にそこも突き抜けて白い日差しが眩しい空の下へと出た。
眼下にハートの形をした森が広がっている。
帽さんが膝を曲げて飛ぶ準備をする。
ふわり、と、煙の足場から体が離れた。
ハート型の森の上を飛び、野原を越える。帽さんは真横に飛んだのだけど徐々に落ちてきていた。スペード型の森を飛び越した辺りであの煙の傘を掲げる。
一瞬引くような衝撃があって、その後は何だか宙ぶらりんになっている感覚がした。
ふわりふわりとゆっくり降下していく。今までの落下とは全然違った。
「わぁ……傘でこんな風になるんだぁ」
「うん、傘があるととっても着地が安全なんだよ」
ワタシが小さく漏らした呟きに帽さんは弾んだ声で答えた。お姉ちゃんが帽さんの手の上で眉を寄せ首を捻る。何だか納得いかないって感じが伝わってきた。
思わず笑いそうになるのを堪える。お姉ちゃんは変なとこで現実主義なんだから。
ここで、ワタシ達の常識がろくすっぽ通じないのは今更なのにね。
「ところでこのキノコってほんと、何なのかしら?」
「片側なら大きくなるし、反対側なら小さくなる。って芋虫さん、言ってたよね?」
お姉ちゃんは傘のことを諦めたのかキノコに視線を落とし呟いた。ワタシは芋虫さんの言葉を一言ずつ思い出しながら口に出した。
「片側ってどこよ? 円形のキノコに片側も反対側もあったもんじゃないじゃない」
不機嫌そうにお姉ちゃんが口を尖らす。ワタシと帽さんは顔を見合わせた。ワタシはキノコの片側がどっちだか判る。だって、本のアリスもお姉ちゃんみたく悩んでいたもの。
「分からないなら、勝手に決めちゃえばいいんだよ」
帽さんがいつまでも頭を唸らせているお姉ちゃんに笑いながら助言する。ワタシもこくこく頷いた。
お姉ちゃんは眉間に皺をより強く寄せワタシ達を見たが、何も言わずキノコの笠の一片を摘んで引き千切る。そしてそれを一口かじった。
「あ、アリス。こんなとこで大きくなったら――っ」
ぐんっ!
帽さんの言葉終わらないうちに落下速度が上がった。見るとお姉ちゃんがワタシと同じ大きさに戻っている。流石に傘も三人分の重さには耐えられないようだ。
「仕方ないな。アリス、傘を持っててくれないか?」
帽さんは悠長に傘をワタシ達二人の手に握らせる。地面は後少しってとこまで迫っていた。
この落下スピードで地面に着いたらきっと痛いじゃすまないと思う。またちゃんと着地できないのかなぁ。
「絶対に放しちゃ駄目だよ?」
ふと、今までの着地のことを思い出してると、帽さんがにっこり笑って傘とワタシ達から手を離した。驚いてただ見送る。
ふわり、とワタシ達の落下速度が和らいだ。帽さんとの距離が離れていく。
帽さんが怪我しちゃう!
そう思った。目を瞑りかける。けど、予想に反して彼は軽く舞い降りるように地面へ着地した。拍子抜けして力が抜ける。
ワタシ達は帽さんの後を追うように、ふわりふわりとゆっくり地面へ到達した。
「やあ、アリス。怪我はないかい?」
帽さんは何事も無かったかのように笑って言う。お姉ちゃんは呆れたように息を吐いた。
「それはこっちのセリフでしょ? 無茶しないでよ」
「無茶はしてないよ。あれ位の高さなら傘が無くても大丈夫って知っていたのさ。それよりほら、ダイヤの6の森に着いたよ」
お姉ちゃんの言葉をさらりと流して、帽さんは親指を立て後ろを指す。そこには鬱蒼と黒い森が広がっていた。今まで見たどの森より黒い。やや不安にさせるような雰囲気を纏っていた。
「それじゃあ、アリス。僕はここまでだ。一緒に居れた時間はすごく楽しかったよ」
森から帽さんへ視線を戻す。既に目頭が熱くなっていた。お別れなのはとても寂しい。
「あの……」
「本当、ありがとう。助かったわ」
頭を下げるものの言葉がつっかえて出ない。お姉ちゃんがワタシの続きを口にしてくれた。お姉ちゃんの手がワタシの頭に置かれる。泣きそうで顔を上げられないのを察してくれたんだ。
「お役に立てて光栄だよ、アリス。またいつでもお茶を飲みにおいで。待ってるから」
声が耳に届く。今、顔が見えないからあれだけど、きっと変わらず彼は笑ってるんだろう。
「えぇ、またお邪魔するわ。眠りネズミによろしくね」
お姉ちゃんが受け答えをする。その声は至って普通だ。お姉ちゃんは寂しくなんてないのかな?
「あぁ、伝えておくよ。それじゃあ、またね」
帽さんの声がまたして、お姉ちゃんの手のほかにもう一つの温もりがワタシの頭に触れる。涙腺が緩んで更に顔を上げられなくなった。
そして風がすぐ横を駆け抜ける。一人分の影が地面から消えていた。
「ほら、もう行っちゃったから顔上げたら?」
お姉ちゃんに言われて、上体を起こす。目の辺りを袖で強く拭った。
「あんたって涙もろいんだから」
小さく呟いてから、お姉ちゃんはワタシの手を握る。そして優しく引いて歩き出した。引かれるままにワタシは着いていく。
「また会いに行けばいいでしょう」
お姉ちゃんの言葉に声なく幾度か頷いた。お姉ちゃんが口元に小さく笑みを浮かべる。でもそのまま喋らないで無言のままワタシ達は6の森へと足を踏み入れた。