-1- 爽太には不思議な力があった
とある市立高校の教室。張り詰めた空気が漂う中、生徒たちは誰一人口を開かず、ひたすらに頭脳をフル回転させ、手にしたシャープペンシルを動かして、書き込み音を教室内に響かせている。
黒板には『後期中間考査 英語Ⅱ』と大きな字で書かれていた。
時は十二月初旬。そう、生徒たちは年内で一番の壁―期末テスト―に立ち向かっているのだった。
ペンが進まない者、机に伏せて既に諦めた者、そして努力の成果を披露している者。奮闘する生徒の中で特に快調にペンを走らせる男子生徒がいた。
柔めの天然パーマであるため、一見、寝癖のようなボサボサヘアーで不格好な髪型。瞳は生気を失い淀んでいて、目の下に黒ずんだクマが出来てはいるが、昨晩テスト勉強の徹夜をしたからではない。中学生の頃からの付き合いだ。
男子生徒のペンは止まらずに、解答欄を埋めていくが、他の生徒たちとは様子が違っていた。さらっと問題文に目を通すだけで特に悩むこともなく考える間もなく、答えをただ書いているだけだった。
別にカンニングなどの不正行為をしている訳ではない。彼の“特殊な能力”によって、もたらされた動作である。
全ての解答欄を埋めると、最後に『二年三組 藤井爽太』と自分の学年と名前を書いた。
爽太は一息を吐き、もう一度解答用紙を見直して、間違いや記入ミスがないかの確認を行う。
――爽太には不思議な力があった。“未来が解る”という特殊な能力が――
未来が解る為には、ある程度の情報を揃える必要がある。予想と言った方が良いかもしれない。だが、爽太の予想の的中率は尋常ではなく、ほぼ必中させてしまうのだ。
現に今回のテストも、ほとんど予想していたものが出題されていた。その問題の答えを脳に焼き付けるように暗記していたから、悩まずに答えを書けたのだ。
ただの勘が良過ぎるだけと思われるかもしれないが、曖昧な山勘とは大きく違う所がある。
なんとなく見えてくるのだ。未来が解る為の情報が揃うと、未来の映像が、網膜に映しだされるのである。それにテストで出題される箇所の予想は容易いこともあり、爽太にとっては朝飯前であった。
九割ほど正解している手応えを感じて、黙ったまま浅く頷いた。ケアレミスが無いと確信し、一安心した所で現在の時刻を確認する。終了まで三十分も残っていた。
一夜漬けの所為で多少なりとも眠気があったものの、ここで眠ってしまったら折角暗記した次のテストの内容や答えが泡のように消えてしまう気がして、我慢をすることにした。
しかし、何もしないでいるとすぐに睡魔が襲ってくるので、暇潰しにと外の景色を眺める。
冬に相応しく、校庭の隅に植えられている桜の木は寒々しい姿をしており、冷たい風で枝が揺れているだけ。寂しい景色に感化されたのか、
(ツマラナイな……)
爽太の心にも同様の寒風が吹き抜けた気がした。
未来も、このテストの答えのように、ある程度決まっている。それが解るというのは、どんなにツマラナイことか。
爽太は未来に希望を持ってはいない。今、この時を、無難に過ごせれば良い。そう思っているのだった。
(勉強なんかしても意味が無いけど、まだ未成年の身だしな。四十歳まで楽に生きれれば、それで良い……)
それからも残りのテストを受けていき、本日のテストが全て終了を報せるチャイムが鳴り響くと、生徒たちは安堵のため息と共に言葉を漏らす。
「ああ、もうっ! 完璧にヤマが外れたわ~」
「問四の選択肢ってさ、答えはBだよね? え、違う? うそ!」
「明日のテストは、なんだっけ? 明日のテストで取り返さないとな」
悲喜が混ざった感想を語り合う中、爽太は黙って帰りの支度をする。誰も爽太に話しかけたりせず、また爽太からも話しかけたりはしない。
その後、テスト期間中なので自分の机周りの簡単な掃除だけ行い、HRで担任の先生が、
「では、明日もテストがあるから、早く学校が終わったからといっても寄り道はせずに、まっすぐ家に帰って、テスト勉強をするように。以上!」
生徒たちに気遣ってか短い忠告を述べるだけで、早々にHRを切り上げてくれた。爽太は担任の言葉に従うかのように、独り速やかに教室を後にした。
他のクラスでもHRが終わっており、廊下には生徒が溢れかえっている。道すがら、井戸端会議をしている生徒グループの話し声が聞こえてくる。
「ジョイフルにでも寄って、テスト勉強しようぜ」
「先生が寄り道をするなと言っていたでしょう」
「テスト勉強をしているんだから、大丈夫だよ。見逃してくれるよ。他の連中もしてるしさ」
生徒たちが話す中、爽太は誰に呼び止められもせずに、そのまま一人で学校を立ち去った。
他の生徒たちは明日のテストに頭を悩ませてはいたが、爽太は微塵も悩む必要が無かった。
未来が解る力によって、既にどこが出題されるかを予想しており、答えも洗い出している。後は三時間ほど答えを暗記するだけで良いのだ。他の生徒と比べて、勉強に追われることが無いので、時間を持て余していた。
ゲームやマンガなどで暇を潰せば良いのだが、常人の楽しみは爽太にとっては無用のものと化してしまっていた。
未来が解る力は、テストの出題内容以外にも解るものがある。その為に、爽太は独りだった。
ふと寒空を見上げて、爽太は今の現状に、自分自身を、あざ笑った。
寂しくは無い――未来が解ることは、人には理解されないのだから――
真っ直ぐ帰って、家でゴロゴロするか……そう決めて、足早に家路へと向った。