1年目のエピローグ
一時間ほど前に前話を投稿しています
4月に入り、チェリーブロッサムの蕾が綻び始め、時には汗ばむような気温になる日が来るようになると、マリリンとダニエルが営んでいる氷屋も、やっと忙しくなり始めた。
そんなある日のこと、マリリンとミケーラはマリリンが営む氷屋の奥で店の帳簿と格闘していた。
「ほら、違う。それじゃあ、貸方と借方が逆。
基本、入りが借り方で、出が貸し方って覚えるの。
たとえば、氷を作る水を仕入れた場合、出て行った現金は貸方、入って来た水は借方。
氷を売った時は、氷−商品は借方、現金、または売掛金は貸方、マリリンとこぐらいの規模なら、間接費用は気にしなくていいから、最終的に、貸方と借方が同じ金額になるように、この表に沿って仕分けをしてみて」
泣きそうになりながら、1月1日からのお金と商品の流れを現金出納帳と売掛帳に記入していく。水から氷を生産した時とか、売掛金を回収した時の振替伝票のことも説明されたが、マリリンの理解が追いつかないので、まずはお金の出入りの記帳を先にし、それ以外は後で記入することになった。
「ちょっと、休憩したらどうだ?」
ダニエルが店の客が途切れたのを見計らって、氷の入った冷たい飲み物を持ってくる。ミケーラは、それを見ると歓声を上げてペンと帳面の類を横にどけた。
「こんな透明な氷なんて贅沢よねぇ。
大学でも、魔法研究室の先生達に氷を分けて貰うんだけど、白く濁っていて美味しくなくて」
「そりゃあ、うちには氷は売るほどあるもの。
それに、うちの氷は結構質がいいんで有名なのよ」
淡い黄金色の梅ジュースを飲みながら、マリリンは氷の自慢をし、ミケーラは、中に浮かぶその氷をつつきながら、作り方を尋ねた。
「ねえ、これってどうやって作るの? 透明な氷は解けにくいから、生ものを保存するのにもいい、って言うじゃない」
「やだ、ミケーラ。それは企業秘密よ。
でも、ミケーラだったら原価で分けてあげるから、いつでも注文して」
ひとしきり、透明な氷で二人は盛り上がって、再び帳簿に向かい合った。
現金の入金、借方。
現金の支払 貸方。
商品を売ったとき。在庫・貸方。
掛売りのとき 売掛金・借方。
売掛金を回収した時 売掛金・貸方、現金・借方。
暇な時期の3ヶ月間だから、記帳だけならすぐに終わる。二人は、最初から難しい講義はしないで、初日はここまでにしようと、テーブルの上を片付けを始めた。
「そういえば、ミケーラ。
大学のほう、常勤になったんだって? おめでとう!!」
「ありがとう。
でもねぇ、そのおかげで来年、このバイト出来るかどうか…。
私としては、その年の景気の動向がモロに反映される仕事だから面白いんだけど…」
「えっ〜!? ずっと一緒にやって来たのに…」
「まぁ、基本的にはやるつもりだけどね。募集されている時期もわりかし講義が休みで落着いている頃だし。入学・卒業に関わらなくて済むなら、十分出来ると思う」
「よかった〜、結構頼りにしてるんだから」
「そうね、
次の申告から、かなり内容が変わるから、一般の人がどういう反応を示すか興味があるのよね」
「変わるって?」
話が脱線をはじめ、二人の片付けの手が止まっていた。
「税率が少し下がるのよ。その代わり、地域税が新設されるから、実質としては増税になるわね。その上で、厄災からの復興税が加算されるから、きちんと計算するとかなり税金が増えるわ。
それに、他の地域では地域税と国税を別々の役所が管理するから、地方の徴税課は地域税を気にしないで処理することが出来るけど、特別地区と呼ばれている王都周辺では、徴税課が国税と地域税を両方担当するからかなりの混乱になるはずよ」
ミケーラの説明に、マリリンはため息をついた。
「役人や王宮の偉い人達は、国全体の事を考えなきゃいけないからそれでいいかもしれないけど、うちら庶民はね、一年後の収入よりも今晩の食事のほうが大事だから、そんなに増税されると不安になるのよね」
「確かにね。だから、国も見かけの税率を下げて、減税しているように見せかけているわけだし、実際、国民はもっと騒いでいいような気がするんだけど、税率を下げる、って言葉に惑わされているんじゃないかな」
「なんか、すっごいズルじゃないかと思うけど…」
マリリンの言葉が途中で途切れる。
その言葉の続きを、ミケーラは口に出した。でも、まだこの国はましよね、と。
隣国では、問答無用で増税して、国が復興するどころか、かえって疲弊した国もあると聞く。
厄災って何だったのかしら。マリリンの呟きに、ミケーラは首を横に振った。
「何十年もすれば判るかもしれないけど、今のところは何があったか公表する気はないみたい」
そこで、ミケーラはいたずらっぽい表情を浮かべた。
「今回、会場で勇者様に会ったんでしょう? 来年また会えたら、直接聞いてみたらいいわよ」
やだ、と、マリリンはミケーラの背中を叩いた。そこまでの興味はないわよ、と…。
「一応今は平和で、食べるに困る程ではないしね」
マリリンに答えるミケーラの言葉に頷くように、暖かい南風が、窓から部屋に春の香りを運んできていた。
とりあえず、勇者様の一年目の確定申告は終了。
広げるだけ広げた風呂敷を、2年目の確定申告で回収できたらいいなぁ。