期限後申告
わ~~、夏の暑さに脳みそが溶けてた間に、次の確定申告が目の前だよ~~!!
前日の夜半から降り出した雪は、多分に湿気を含み、朝の街を白く染めていた。
そして、確定申告期間もあと残り7日と終わりが迫り、ストラトス老にあれ程避けたほうがいい、と忠告を受けていた安息日に、チラつく雪の中、アニエスとヤンは早朝から申告会場に向かって歩いていた(もっともこれには、老のいうことがどこまで本当か確かめたい、という好奇心も働いていた)。
「しっかし、本当にこんなに並んでいるのね」
会場時間の少し前に着いた二人は、すでに300人程は並んでいようかという列に、今日来たことを後悔し始めていた。すでに、先頭集団の頭には雪が積もり始めている。
「おや、アニエスとヤンじゃないか」
列に並ぼうかどうかどうか考えていると、後ろから顔見知りの大先輩冒険者に声をかけられた。
彼、リュカ・マリヴォーは、さっさと列に並びながら、二人に声をかける。
「あんた達は並ばないのかい?」
聞かれて、ふたりは慌ててリュカの後ろに着く。ただ、このまま並ぶかまだ迷う気持ちがあったので、並びながら、前方の列とまだ列に流れ込んで来る人達を見比べていた。
「この時期、確定申告に来るのは初めてかい?」
二人が頷くと、彼は二人の不安そうな顔に合点が言ったようだった。
「初めてこの行列を見ると不安だもんなぁ。
俺だって、初めてこの行列を見た時はたまげたもんだ。
当然、空いてる時期に来ようと毎年誓うんだが、つい計算が面倒で混んでる時期になっちゃうんだよね」
「明日以降もこんなに混んでるんですか?」
「う〜ん、今日がダントツピークだと思うんだけどね。今年はこの雪のせいか、ずいぶん列が短くて、それを考えに入れると、明日からの申告、いつもより混むような気がする。
そういえば、申告に来たのはお前達だけか? 他のメンバーはどうしたんだい?」
「フロランはもう提出したって言ってました。セルジュは、今日来るって言っていたけど…」
「まあ、あいつじゃ、来ることには受付終了しているだろうな」
「ええ、間違いなくそうだと思います。
で、ストラトス老は…」
「老は問題ないだろう。アミラががっちり管理してる」
「ご存知だったのですか?」
驚くアニエスとヤンに、リュカの方がびっくりする。
「なんだ? お前ら知らんかったのか。あの二人が付き合ってるのは結構有名な話だぜ? 二人とも、特に隠してもいなかったし。
実際、若いころのアミラは、かなり可愛いかったみたいで、俺の先輩達はみんな嘆いていたよ。『鳶に油揚げ攫われた』って。
もっとも彼女、俺より15は年上だから、俺には彼女のどこがいいかよく解らなかったけどね」
おしゃべりしていて時間の経過が気にならないのか、実際にそうなのか、フロランに聞いていたよりかなりスムーズに列は進んでいた。
そして、結構和やかな雰囲気の中を半刻程で受付へたどり着く。待ち構えていた受付は、3人が冒険者なのを確認すると、彼らを一番行列の短い列へ案内した。
「意外に人数が少ない?」
「ああ。だけど、この列は面倒なのが多いらしく、一人が案内されるのにすごく時間掛かるんだ。今年はどのくらい時間がかかるかなあ?」
それから半刻、彼らは、さらにその場に待たされていた。
申告その物は特には問題もなく、相手をしてくれた担当の言う通りに書類を記入し提出した。もっとも、ヤンの方は結構失くした書類も多くて、そのたびに担当者が『同じパーティのアニエス氏の申告を参照』って書き加えながら認めていた。
そして最後に、「来年はきちんと領収書を保管して、全部合計してから来てください。それから、領収書等は5年間の保管が義務付けられています」と釘を刺されてから申告書を提出し、控えを貰って完了だった。
「お昼か〜、結構かかったわね」
申告の終わった二人が、まだ相談を続けているリュカに挨拶して会場から出ると、申告者の列はかなり長くなっていた。ただ単に、今日が空いているのではなく、雪で出足が遅かっただけのようである。そして、「早めに来てよかったわね」なんて話している二人の前を、「本日の受付は終了しました」のプラカードを持った屈強な兵士が通り過ぎて行った。当然、向かっているのは列の最後尾である。
「もう受付終了なのね」
ポツリとアニエスが呟くと、二人は黙ったまま出口へ向かった。
(こんなんだったら、ダンジョンに潜っていた方がよほど気楽だわ)とは、二人の内心の声である。
「ねぇ、あれ、セルジュじゃない?」
アニエスは、入口の方へと、急ぎ足で二人の前を通り過ぎるセルジュを見つけた。
「本当だ。さっきの兵士、『受付終了』のプラカードを持っていたよな。やっぱりあいつは間に合わなかったか」
「でも、明日からまたクエストよね、最終日までに帰って来れないんじゃない?」
二人は、思わず顔を見合わせ、次のセリフがハモっていた。
「見なかったことにしよう」
セルジュが申告会場から伸びる行列の最後尾にたどり着くと、そこでは一寸した騒ぎが起きていた。
「確定申告、最後尾はこちら」というプラカードと「本日の受付は終了しました」というプラカードを持った屈強な兵士が二人。どちらも2メートル近い大男である。その二人に対して、今日しか時間が取れないから、なんとか受付させてくれ、と懇願する人々、兵士は、そんな彼らに「まだ7日あるから、その間に出直すよう」に告げていた。また、「申告書を提出するだけの方は、今日は通用口のところに、時間外受付箱がおいてあるので、そこへ入れるように」とも。
諦め切れない人々の侵入を、彼らは断固そこで阻んでいた。
「時間外窓口はどうやって使うんだい?」
セルジュは、念のため兵士に聞いてみる。
「本当は、申告期間終了日夜九つまでですが、実際には翌日徴税課が業務を開始するまでは通用口のところに設置されています。
使い方は、申告書と添付書類がバラけないように袋に入れて貰って、箱の中へ入れて貰えば大丈夫です」
「ふ〜ん、それで記入する書類はどこで貰うんだ?」
「王城の各通用門の門番に声を掛けてもらうか、事業所得振興会とか、冒険者、商業、農業といった各種ギルドの事務所に置かせて頂いてますので、そちらの方で入手してください」
そう答えながらも、兵士は脇をすり抜けようとする人々と攻防戦を繰り広げている。
「明日からまたクエストだし、家に帰って作ってみるか…」
彼は、白紙の申告用紙を手に入れる為に、そのままギルドに向かって歩き始めた。
翌朝、セルジュは寝不足気味の顔をして待ち合わせの場所に現れた。この日は、10日程で片付く筈のクエストを引き受け、仲間達と出発のはずだった。
「おはよう、なんか眠そうだな」
「ああ、昨日申告に行ったら、ちょっとの差で受付が終わっていたんだ。それで、何とか自分で作成できないかと夕べ頑張ったんだが…。
さっぱりわからん。
お役所の文章って、何であんなに解かり難いんだ?」
すると、ストラトスが盛大に噴き出す「儂も35年前に同じことを思ったよ。だから、確定申告会場が混むんじゃがな」
「老、笑い事じゃないぜ? ホント、あれは判らん。おかげで、期限に間に合わないこと確定だし…」
「まあ、少しぐらい大丈夫じゃろう、多少の延滞税は取られるだろうがな、混んでるところへ行くよりよっぽどマシじゃわい」
そうかもしれないけどさ〜、と、セルジュはストラトスに口を尖らせて見せた。女の子だったらかわいい仕草かも知れないが、生憎セルジュは男で、ストラトスは、年を経てもアミラ一筋の面白みに掛ける老人だった。
「なんだ? 気色悪い奴だな」と、老は言下にセルジュを切って捨てた。「確定申告なんてものはな、先手必勝じゃ。出遅れた奴の事なんか知らん。
そんな事より、ほれ、行くぞ。今回は大したクエストじゃないんだから、さっさと片付けるに限る」
そうだそうだ、とフロラン達が同調し、彼らは王都を出発した。
確定申告最終日から3日が経っていた。
例年のごとく、マリリンをはじめ数名のバイトが期間延長をし、遅れて申告に来る人達の相手を行っており、ピークを過ぎて10分の一程度に縮小した会場で、彼女達はかなりのんびり申告の手伝いをしていた。
「なんか、この間が嘘みたいだけど、いつもこんな感じなの?」
「まあ、こんなもんよ、
本当は、5年間は還付の人はいつ申告してもいいから、この時期に来るといいと思うんだけど、もし納税になったら、と不安なんでしょうね」
誰も申告者がいないことをいいことに、集まっておしゃべりをしていたマリリン達は、申告者が入って来た気配に口を閉じ、急いで持ち場へ戻っていく。見ると、丁度入口のところで、若い男が受付と話をしていた。
「マリリンさん」
やがて、呼ばれてきたマチューが、受付から説明を聞きマリリンを手招きした。
「御用ですか?」
「ええ、この方の申告書の作成手伝いをお願いします。ただ、無申告加算税の計算をしなければなりませんので、税額の算出が終わったら呼んでください」
「判りました。
それでは、こちらへお願いします」
マリリンは、その男性をブースへ案内すると、いつもの手順通り必要書類の記入を促し、その間に、ざっと書類の中身を確認する。彼女は、冒険者としても異例な程多い収入と経費に驚かされ、陛下からの報奨金と厄災関係のクエストの謝礼証明書を見て合点がいった。
『勇者さまご本人ね。まだお若いけど、超一流の冒険者ということだわ』
彼女は、書類を4つの山に分けると、その二番目に大きな山を、さらに細かく分けていった。収入は、全て冒険者稼業で稼いだもののようだ。
「まず、こちらは申告不要分なのでお仕舞い頂いて大丈夫です」
彼女は、そういって王室からの報奨金と厄災に関するクエストの謝礼の明細書を返して来た。
「で、それ以外の書類ですが、こちらが収入で、こちらが経費扱いになります。これを元に収支内訳書を書いていくことになりますが、今までに事業所得者登録をされたことがありますか?」
「???」
「こういった書類を書いて提出された事がありますか?」
セルジュの頭の上を、「?」が大量に飛び交っているのを見て取ったマリリンは、急いで席を立つと、申請書を持って来てセルジュに示した。彼は、しばらくそれを見つめて、静かに首を横に振る。マリリンは、ほっとしたようにもう一枚書類を引っ張りました。
「では、こちらの書類で間に合いますので、ここに住所、氏名、連絡先と、屋号のところにパーティー名、加入団体のところにギルド名を記入してください」
業種によっては、同じ職種でも複数ギルドが存在する職種があり、時々ギルド名不備で問題になることがある。幸い、冒険者ギルドは全国規模のが一つあるだけで、もしそこが記入漏れでも問題になることはないのだが、マリリンは規定通りに、ギルド名の記入を促した。
「それから、収入と経費の計算をしなければなりませんが、アバカス(算盤)の使用方法はご存知ですか?」
彼女は、丸い饅頭のような小さな木の珠を10個、やはり木製の軸に通したものを一本とし、それを10本木のトレイにセットしたものを取りだした。右から二本目の軸だけ、他とは違い赤く塗られている。
「使ったことはないですが、どうやって使うのですか?」
「使い方は簡単です。
赤い軸を一の位とし、左に向かって10の位100の位となっています。
そして、上にあげた木珠の数で数字を表します。数字の1だったら木珠を一個、5だったら5個上にあげるといった感じです。数字を足したり引いたりするときは…」と、彼女は大雑把に説明する。
「面倒そうに見えますが、紙とペンで計算するよりも速くて正確なので、計算の多い方にはアバカスの利用をお勧めしています」
「えっ? 自分で計算するの?」
セルジュは、机の上の書類の山をみて溜息を吐いた。
一刻の後。
セルジュは、まだアバカスとペンとメモで格闘していた。普段、書類仕事などしないから、何度計算し直しても数字が合わないのである。とうとう匙を投げた彼は、手持ち無沙汰で向いに座っているマリリンに泣きついたのだった。
「集計は、御本人様の責任で行って頂いているので、私たちが手伝ってはいけないことになっているのですが…」
マリリンは、やはり暇そうにしている職員の方をチラッと見ると、『今回だけですからね』と釘をさしてから計算を始めた。
慣れ、とはこういう事を言うのだろうか…。
セルジュが一刻かけて終わらなかった計算を、マリリンは検算込みで四半刻で終わらせた。
「俺の専属で出納管理してくれない?」
「御冗談を」と、マリリンはつれない。「そういう事は、お母さまか奥様に頼んでください」
そして、算出された数字の記入を指示する。
「ところで、回復薬の領収書とか、一般の冒険者の方に比べてかなり少ないのですが…」
「すみません、領収書をかなり失くしてしまって、これじゃあ(申告)出来ないですか?」
「出来ないことはないですが、大分税金が高くなりますよ? それに、買取証明書と鑑定証明書が無いのはまずいですね。誰か、同じパーティのメンバーから借りられませんか?」
マリリンの言葉に、何か思い出したように彼は鞄の中を探し始めた。
「そういえば、『どうせ領収書なんか取ってないだろうから、これを持ってけ』って仲間に持たされたんですが…」
それは、ストラトスの帳簿の写しだった。それを、ざっと目を通した彼女は、マチューのところへ転記の許可を貰いに行った。
基本的に、クエストの収入はセルジュが持ち込んだものを元に処理し、それ以外の事業所得の収支に関しては、ストラトスの帳簿の写しから転記する。また、医療費等、個人の収支に関しては申告通りで書類を作成する。
おおまかな基本方針を決定すると、彼女は再び窓口へ戻り、セルジュにそれを説明した。
基本方針に従って収支内訳書と申告書を記入し、呼ばれてきたマチューが無申告加算税8%と延滞金5%の日割り計算を行った。
示された金額を確認し、加算税を除いてもこんなに取るのか、とセルジュは驚く(というより、あきれる、と言った方が正しい?)、払えない金額ではないが、腕に覚えのあるセルジュでも、持って歩くには不安な金額になっていた。
「それで、どこで払えばいいのでしょうか?」
「王室公認の両替商で納める事ができます。冒険者ギルドの預り所も公認両替商に認定されていますので、冒険者の方はギルド経由で納めて頂く方が多いです。
なんにせよ、今日の七つ半までに納めて頂かないと日割り計算の分が変わり、後で呼び出しという事になりますので、必ず今日中に納付という事でお願いします」
「了解です。
ところで、ひとつお聞きしたいのですが…」
「何でしょうか?」
「何かの手続きをすると、税金が安くなることがあるって聞いたのですが…」
「「????」」
マチューとマリリンの頭上をハテナマークが飛び交っている。二人は顔を見合わせ、それから見本で持ってきていた事業所得者登録申請書へ視線を落とした。
「これのことかしら?」「これのことだな」
二人のつぶやきがハモって、それがため息に変わる。今年度の事業所得者登録申請期間は、疾うの昔に終了していた。
「すみません、今年の申請期間はすでに終了していまして…」
マチューは「事業所得者登録申請書」を手渡しながら頭を下げた。
「来年の申告…今年の収入分を申告する時にこの用紙を記入してお持ちいただくと、再来年の申告分から適応になります。
その分、来年1月1日からの帳簿の記入が必要になっていますので、今年の内から準備をお願いします」
「え〜っと、来年の確定申告の時にこれを提出すればいいのはわかりましたが、その結果がどうなるのかよくわからないのですが…」
「そうですよね、判りにくくてすみません。
この手続きを行うと、来年の1月1日から12月31日までの収入と支出に関して、再来年の2・3月の確定申告で事業所得者控除を受けることができます。
詳しいことは申請受付時に説明していますが、それだと1、2月分の処理が後手に回ることもあるので、あらかじめ財務部徴税課にある相談窓口か、冒険者ギルドの中にも会員向けの同じような窓口があるので、その辺で相談されるのがいいのではないかと思います」
「はぁ〜〜??」
確かに、『はぁ〜…』としか答えようがないよね、と、マリリンは思った。
彼女の氷屋も、そこら辺がよくわからないから、ずっと事業所得者控除を受けて来なかったのだ。それを、今年申請したのは、あくまでもミケーラという知恵袋を確保するのに成功したからだった。実際、これ、一人でやれって言われても出来るわけないよね。
そんなことを考えていたマリリンは、勇者様が自分のほうを凝視しているのに気が付かなかった。
「ねえ、俺の、というか、俺のパーティの帳簿付けやってくれない?」
「はっ? 冗談ですか?」
突然、勇者からリクルートのお誘いを受けて、目を白黒させるマリリン。しかし、セルジュは真剣にマリリンを勧誘していた。
実際、今年の確定申告すら一人で真面にできなかったのに、ストラトスから渡された書類のような帳簿がとても一人で処理できるとは思えない。だったら、それが出来る人材を雇い入れた方がどう考えても楽である。セルジュは、首を振ってマリリンの言葉を否定した。
「冗談じゃなく本気だよ。適材適所っていうでしょ、給料弾むから、俺たちの帳簿やってくれない?」
「自分のお店が潰れたらね。
私、普段は町の東側のサラスヴァ・マーケットで氷屋をやっています。
魔法で作るのとは違って、透明で飲料や氷細工に適した氷を提供していますので、御用の節はぜひご利用ください」
と、ちゃっかり店の宣伝も会話に盛り込みながら、速攻でセルジュの提案を断った。
そろそろ暖かくなって、お店の方も忙しくなってくる。
マリリンは大げさにしょげ返る勇者、セルジュ・オービニエを見送ると、今年の確定申告を終えたのだった。