恐怖の安息日、再び!
今回の来庁者は、王都で貸家の大家と都市型農業を営んでいる爺様です。
う~ん、なんか、リアルにもいそうな爺様だわ。
3月の安息日、それは、2月のそれと同じように雪がチラつく寒い日だった。
「なんか、今年は雪が多いな」
店の前の雪かきをしていたダニエルは、持っていたスコップに凭れて暫し息を整える。今日は安息日で当然店の方は休みだが、これだけ雪が積もれば、休みでも雪かきをせざるを得ない。また、安息日でも許可を取って営業している飲食店・食料品店が数軒でもある以上、商店街に所属している手前、商店街内の通路を確保する義務があった。
「おとーちゃん、ごめんね。手伝えなくて」
振り向くと、防寒と足元を整えた外出姿のマリリンが立っている。ダニエルは、いつも通り穏やかな笑みを女房に向けた。
「大丈夫だ、行っといで。
それよりも、明け方相当冷え込んだみたいで、下の方がガチガチに凍っている。滑らないように気を付けろよ」
「うん、行って来る」
マリリンは、雪の中をよろよろと出勤して行く。その姿は、商店街でも有名な愛妻家のダニエルを心配させるに十分な後姿だった。
大人しく通用口で通行証を提示したマリリンは、急ぎ足で申告者の列の脇を通り抜けると、出勤簿を記入するために事務方へ顔を出した。すると、丁度居合わせたマチューに、「今回もm-Taxを使用するので、ミケーラさんと担当してください」と告げられたのだった(前回の安息日に引き続き、今日もマチューは責任者を押し付けられていた)。
彼女は、その指示を了解して、これ以上無理難題を押し付けられないように、ミーティングルーム兼休憩所に使用されている小会議室に退散したのだった。
「おはようございます」と、小会議室に入っていくと、すでに出勤していた何人かの仲間が、話を中断して挨拶を返して来た。
「おはようございます。
今「なんか、今日は行列が少ないですよね」、なんて話していたのですが、3月の安息日って、いつもこんな感じですか?」
「いつもはもっと混んでるわよ。雪が降っているから、少し出足が遅いんだと思う。場合によっては、今日も昼から激混みかもね」
一様に皆ががっかりした顔をする。
『みんな、今日は雪で暇かもしれない、って期待していたんだ』
マリリンは、みんなの期待を打ち砕いて、申し訳ない気持ちで一杯になった。
前回と同じく、マリリンとミケーラはm-Taxに配属されていた。
データを取る意味合いもあるので、簡単な申告の人から面倒なのまで、いろいろな申告者が回されてくる。総じて、簡単な申告の場合は手書きするより早くて楽だった。
前回のトラブルの原因だった税額がおかしい部分も直されていて、操作を注意してさえいれば、割と穏やかに処理が進んでいた。
「あ〜あ、爺さま、何で安息日になんか来るのかしらね」
マリリンは、列の先頭に名物爺さんが立っているに気がついてため息をついた。
「どうしたの?」
「あそこ、今回は誰が犠牲になるのかしら。
さすがに、今日ばかりはm-Taxに感謝ね」
マリリンが示すほうを見ると、毎年トラブルを起こすので有名な爺さまが、ちょうど相談コーナーに案内されるところだった。古株のバイトが逃げに入っているので、かわいそうに、今年初めての学生バイトのところが生け贄になった感じだ。
「あちゃ〜、なんでレティシアのところに。
ごめん、マリリン。ちょっと助けに行ってくるわ。大学の学生なのよ」
「なに、教え子?」
「そう、去年の私の授業を取ってた学生でね、
ホント。いくら雪で農作業が出来ないっていったって、何も安息日に来る必要ないのに…」
ミケーラは、キリのいいところでm-Taxを半分閉めると、急ぎ足でそちらへ向かっていった。
「まって、ミケーラ。あなたあの爺様に直接当たったことないじゃない」
慌ててマリリンが呼び止めたが、既にミケーラは声の届かないところまで移動していた。
「年金からの収入はこの金額で間違いないですか? これだと、かなり税金が高くなりますが」
「間違ってない、いつまで待たせるんだ?」
「でも、すごい税金になるんですが…」
レティシアが、困りきったように記入した下書きを見る。特に、年金収入の必要経費がまったくないので、2枚の赤色事業所得の収入だけの税金に比べて、50万コーブレ(=50ディネロ)高い税額が弾き出されていた。
「お前は何やってるんだ、儂を馬鹿にしてるのか!!!!!
そんなに、税金が高い訳ない!!」
イライラと、レティシアの手元を覗き込んだ爺様が爆発する。
「しかし、払い込んだ金額がわからないから…」
「そんなの去年のを見てやれ、一体、毎年儂がいくら税金を払っていると思ってるんだ、ここは徴税課だろう」
毎年、彼が来ると響き渡る怒鳴り声が聞こえてきた。一体、あの枯れ木のような身体のどっからあんな大声が出るのだろう。
ミケーラは、マチューの渋い顔を気にするでもなく、泣きそうなレディシアとその爺様のところへ割り込んで行った。
「先生」
「代わります。あなたは、マリリンを手伝ってあげて」
ほっとしたような、申し訳ないような顔をして、レティシアが席を外したのを確認すると、やっとミケーラは老人に向き直った。
替わったはいいが、この爺様、毎年、新人職員やバイトを馬鹿にして無理難題ばかり言っている爺様で、バイトの身分のままじゃ、とても太刀打ちできないのは判っている。職員と代るのが一番いいのだが、そう思ってあたりを見渡すと、今年の新人職員が一斉に顔を伏せた。どうやら、爺様の話は聞いているらしく、誰も代わってくれそうもないのは明白だった。しゃーない、伝家の宝刀を抜くか。
「税務代行士のミケーラ・バレーヌといいます。今日は上級職員が少ないので、代わりに担当させて頂きます。
最初からになって申し訳ありませんが、ご持参された書類をもう一度確認させて頂きます」
ミケーラは、たまたま持っていた資格の方で名前を名乗った。そして、書類を確認しようとして、途中まで本人が書いたらしい下書きと、赤色事業所得の農業と不動産しか無いのに気が付く。
赤色事業所得の方は、農業収入は赤字、不動産収入(貸家収入)は庶民の収入の3倍ぐらいで、書類としては、農業ギルドの担当者の名前が入ったキチンとしたもので、何の問題もなかったが、それ以外の添付書類はぐちゃぐちゃとしか言いようがなかった。
まず、ギルドの共済保険から支払われている金額、支払った金額が判らないし、年金なのか満期金なのかが判らない。おまけに、ギルド管理の年金も貰っているんだけど、源泉証明書が無い。次に、奥さんの誕生日は判るんだけど、生まれた年が判らない(もっとも、これは結構判らない旦那さんが多くて、よく処理が止まる原因になる)。ついでに、傷害保険とか、下書きには支払ったことになっているんだけど、控除証明書がない。
他にも、商家や工房への出資なんかもしてるみたいなんだけど…。
レティシアが途中まで書いた下書きをみると、セオリー通り最低限の控除しか記入されていなかった。
つまり、保険の満期金は、一時所得扱いで経費5%、年金は収入に入れない(これは税金を安くすることができるが、後で申告漏れの罰金を払う可能性が大きい)、奥さん一般扶養扱い、支払った保険は、控除とみなさない。で、さっきの怒鳴り声になったようだ。
「必要な提出書類がありませんが、今日はお持ちではないですか?」
「いつも、そんなもん提出しとらん、そんなの、去年の分を確認すればいいだろ」
そこへマリリンがやって来て、レティシアの下書きを攫って行く。なんか、とても目の表情が怖い。
そして、無言で何か書き込んで、それをミケーラに渡すと去って行った。
去年、一昨年の場合
保険収入→雑所得、経費60%
年金額→申告通り記載
配偶者控除→老人扶養
支払い保険料→申告通り記載
2年前、保険・年金収入の申告漏れで査察があったので、「書類がないので申告書が作れない」というと、騒ぎが起きる。
苦労したんだ…。
爺様について、マリリンは毎年ミケーラに溢していた。
まさかそこまで、と思っていたが、どうやらマリリンは控えめに言っていたらしい。彼女は、マリリンの書き込みに沿って申告書類を作成していった。
「申告通りに書類を作成するとこうなります」
「いつも通りだな、ま、そんなもんだろう」
「だたし」そこで、ミケーラは語気を強めた。
「先ほども申し上げたように、提出書類がまったく足りません。
来年度から地域税が導入され、実質、税金が値上げされることになり、それに伴って、収入に関して今まで通り自主申告で構いませんが、控除の方は証明書がないと控除されなくなります」
「なに、訳の判らないことを言っているんだ?」
ミケーラの剣幕に押されて爺様が後退る。
「これからは、証明書の類は必ず取って置いてください。
今日はこれで受け付けますが、今年から審査が厳しくなっていますから、後で呼び出しがある可能性が大きいので、予定して置いて下さい」
爺様は、コクコク頷くと、慌てて退散していった。
「さすが」
ミケーラが振り向くと、マリリンとマチューが惚れ惚れしたといった目で、ミケーラを見ていた。
「これで、来年からキチンと申告してくれると、もっと嬉しいんですけどね」
やはり、あの爺様に散々泣かされたマチューがしみじみと呟いた。
朝からずっと降積っていた雪も夕刻には止み、墨を流したような空に満天の星が輝く頃、やっと最後の申告者が帰途に着き、マリリン達アルバイトは仕事から解放された、
「今年の安息日は、いつもに増して大変だったわね」
「ホント、これでも、いつもより早く受付を締め切ったみたいなのにね」
「そうそう、通用門のところでかなり揉めたみたいよ。
さっき、交代してきた衛兵がぼやいていたわ。昼九つ下がりに締め切ったんだけど、雪で出遅れた人達がなかなか諦めなくて大変だったって。
でもなんで、今年は変な申告が多いの?」
帰り支度をしながらのおしゃべり、本日、ドマーニ卿が用意したおやつは、高級チョコレートが二粒づつ。彼女達申告バイトのリピーターは、前から思っていた疑問を口にし、当然のように、彼女達はミケーラの言葉を待っていた。
「う〜ん、一言で言うと厄災のせいね。
今年は厄災のせいで雑損控除を受ける人も多いし、商人や冒険者の中には、厄災関連で怪我をしたり荷物を失った人も多いから、特別救済処置がいろいろ取られたしね。
面倒なのは、知っての通り、こういった見舞金や保険金は今回に限り非課税になるけど、特例扱いの非課税だから申告しないと受けられないのよね。それで、みんな特例を受けようとやって来るってことと、厄災も2年近く続いたでしょう?
厄災が始まってから2回目の確定申告だから、申告側に特例の条件が周知されて、今まで申告しなかった人が申告に来るわけよ。
その為、今年は去年の分も持って来る期限後申告と更正の請求がやたら多くなり、その上復興景気でバイトの人数は少なくて、一人一人の手間がいつもの3倍になっている訳」
説明されれば納得だった。
そして、納得した一人が厄災のキーワードで発言し、話が別のところへ飛んでいった。
「そういえば、今日、勇者様の仲間が申告に来ていたわね。あの報奨金、申告不要なんでしょう? うらやましいわ〜」
「しょうがないわよ、おかげで伝説の厄災があの程度で済んだのだから。
それよりも、勇者様誰か見かけた? 勇者様クラスになると、全額申告不要なのかな?」
わいわい、きゃぴきゃぴ、結構いい年の女性たちが、勇者様の話題で盛り上がる。そして、話題はさらにマリリンのところへ飛び火した。
「勇者様、とまでは行かなくても、マリリンの旦那も結構がっちりした体格でかっこよくない? 若い頃はもてたでしょう?」
「知らないわよ、そんなこと」
すると、ミケーラが窓の外を指差した。
「あれじゃあ、からかわれても仕方がないわね。お迎えよ」
「へっ?」
間の抜けた声を出して窓の外を見たマリリンは、あわてて防寒服やバックを掻き集めて立ち上がった。
「ごめん、私先に帰る。
お疲れ様でした」
あわてて飛び出していくマリリンの背後から、大爆笑の合唱が聞こえてきた。
彼女たちが何を言っているかは、想像に難くなかった。
確定申告時間終了まであと7日になりましたが、勇者様はまだ申告会場に現れていません。今年の申告はサボりですかね?
さて、エリス王国の通貨ですが、二種類の通貨が流通しています。
信用貨幣としての通貨がコーブレとディネロで、
1コーブレ = 1円
1ディネロ = 1,000コーブレ
です。
ディネロのほかに、この世界共通の貨幣として金貨・銀貨・銅貨があり、こちらは本位貨幣となっています。
交換レートは、
金貨1枚 = 10ディネロ
金貨1枚 = 銀貨200枚
銀貨1枚 = 銅貨200枚
で、金貨とディネロの交換はおおよそで、交換レートは日々変更になります。」
当然、金貨銀貨の方が信用度は高いですが、税金はデイネロで納めねばなりません。