ドストエフスキーの公園
世界は、幾多の生命の輝きに彩られながらも、奥深い怨嗟に咽ている。
人を美と真実と力で屈服させ、戦慄と恍惚の波に誘いながら――
私はその日、秋の予感を孕んだ風に吹かれながら、
見知らぬ街、見知らぬ公園のベンチに腰を落ち着けていた。
「大変混み合っておりまして、お時間を一時間ほど頂く事になりますが……」
九月、第四土曜の午前。
来る冬の季節に向け、私は妻と遅まきながら衣替えを行った。
その際、二年着なかった秋冬物の服は、全て売ってしまおうと妻に提案を持ち掛けられた。私は妻の言葉に困惑を覚えながらも、首肯し、二人分の着なくなった服を鞄に纏めた。
そしてその日の用事を片づけた後、地元から車で四十分程度の距離にある、妻が指定した古着専門のリサイクル店に、一人、車で赴いた。
そこで前述の言葉を、若い、しかし物腰丁寧な店員から告げられた。
受付時刻は四時十二分となっていた。
何でも九月末の二週間限定で、買取二十パーセントアップのキャンペーンを行っているらしい。妻がその事を何処かから聞き及んで、今日の提案が生まれたことを、少し可愛らしく思う。
私は、査定が終わったら電話連絡を入れてもらうことは可能か、と店員に尋ね、
若い店員から、その旨に問題ないとの返答を受けると、店を後にした。
鞄の中には、読みかけの本があった。
そこで散文的な情緒に誘われる儘に、近くを探索してみようと足を進めた。
どこかで、思わぬ素敵な喫茶店を見つける事が出来るかもしれない。
そのリサイクル店がある町は財政力指数も高く、人口減少社会の中にあって人口増加を遂げている発展的な町だった。
結局のところ、期待していた様な喫茶店を見つける事は出来なかった。
しかしその代わりに、緑が繁茂する大きな公園を見つけた。
そこで私は、一人の純朴な学生の頃から憧れていたシチュエーションでもある『公園のベンチで本を読む人』を実現すべく、コンビニでコーヒーを買い求め、公園へと向かった。
東の入り口から公園に入る。
外周の向こうの広大なグラウンドでは、少年サッカーの部員がサッカーに興じていた。公園の敷地面積はかなり広く、グラウンドの奥、視線の彼方には体育施設も見えた。
私は少年の様に高鳴る思いを足の弾みとし、外周を右に折れて道なりに進んだ。
憧れ、思い描き、夢見た自分との同化は、一人の大人を子供に戻す力を、いつまでも持ち続けている。
そして北の入り口付近――
水の抜かれた噴水を中心とした四隅に、四脚のベンチを認めた私は、嬉々としてその一つに近づき、ハンカチを敷いて腰を下した。
そして鞄から本を取り出す。使い込んだラム革のブックカバーには、ロシアの作家の小説が収められており、早速、その二百八十ぺージ目から読み始める。
背後のグラウンドから響く、スポーツに興じる若い声。
噴水の周辺では二組の親子から、シャボン玉の様な笑い声が聞こえてくる。
そして目の前を競歩で過ぎていく、ランナーウェアを纏った白髪交じりの男。
途中から対面のベンチに腰を下した、一組の若い男女。
それは抽象的で、どこにもなさそうでありながら、
地方都市の一角では、具体的にどこにでも見られる――そんな公園の、一風景であった。
だがその光景に、一人の闖入者が現れる。
「ね、ねぇお兄さん。ちょっと、ちょっと話を聞いてくれる?」
ベンチの相席に、私の視界の外から男が突如として現れ、腰を下ろした。
オレンジ色のポロシャツ。ところどころ薄汚れたカーキ色のズボン。
履き古した赤いクロックスを履いた中年の男を、私は面を食らった様に眺めた。
また男の口からは酒の臭気が漏れ、顔は赤らみ、挙動に落ち着いたところがなく、
手には黄金の麦が描かれた発泡酒の缶を握っている。
瞬間、私は怖気に似た感覚に打たれた。
そして恐怖と不安を一息に通り越した後の静けさを身に感じながら、彼がある種の不審者であることを知る。
だが腰を上げる間もなく、私は彼の関係性に絡め取られてしまった。
私の返答を待たず、男は論理的な文法を失ったまま「あのね、あのね」と言葉を散らかし始める。
私は手元の文庫本を畳んだ。小説のタイトルは「虐げられた人びと」。
現実を見失いかけた私は、あたかも自分が本の世界の、任意の一行になってしまったかの様な感覚に襲われた。
その小説の舞台は、十九世紀後半のロシア。
農奴解放を行い資本主義に侵略されたその地では、一握りの成金と共に、無数の落後者が生まれていた。
現代の日本とは、およそ異質な文化、異質な社会。
だがその小説の中に生きる人物たちは、ある種の現代の日本人と、共通した精神状況を生きていた。
自分の生命に、未来に、将来に思考を停止し、殻に閉じこもる。
だが惨めな全能感を拭い去る事は出来ず――他人の生々しい現実に無関心となりながらも、限りなく傷つきやすい、侵されざるべき神聖な”私”を振りかざす。
男に話しかけられる前まで、私の世界では孤児の女の子がアパートの大家に殴られ、蹴飛ばされ、唾を吐きかけられていた。その光景を同じアパートに暮らす住人が、眉を顰めながらも無関心に、無感動に眺めている。
私は一つの諦めを抱きながら、その世界の延長線上に存在する様な、男の話に耳を傾けた。
ただ彼が滅茶苦茶に喋り、時に同じことを何度も反復し、先に進むかと思えば進まずに、また話の出発地点に戻るといった塩梅で、男の話の全容を把握するのには努力が必要だった。
私なりに、彼の話をまとめる。
まず彼は、近隣の介護施設に勤めるパートタイムの労働者で、これまでに月十一万七千円の所得を得ていた。
だが先ほど彼がATMに訪れると、九万円しか振り込まれていない。
上司に連絡したところ、健康保険の為に引いたのだという。
彼はその事に大いに憤慨し、困惑していた。
何故なら彼は今まで健康保険には入っておらず、またすこぶる健康体である為、その必要がないと考えていた。
それが何の説明もなしに、いきなり健康保険に加入させられてしまった。
そして健康保険の額を仲間に聞くと、一万五千円だという。
所得から消えた二万七千円の内、一万五千円は保険の為のお金だとするならば、一万二千円はどこに消えたのか。
また彼にとって、その一万二千円がなければ、これまで通りの生活は立ち行かない。
彼はその納得いかない世界で、どうにか自己納得を得ようとして、昼間からこの公園で酒を飲み続けているらしい。だが、考えれば考える程に分からなくなる。オカシイと思う。
彼はその事を私に伝える為に、およそ十五分の時間を費やした。
私は彼の話を黙って傾聴していたが、その間に公園の風景は一変していた。
噴水の近くで遊んでいた親子は、不審な視線を男に投げかけ、その場を去った。
対面のカップルはベンチから腰を上げ、棒立ちの男の子を残して女の子が私に近づき、「あの……」と遠慮がちに話し掛けてくれたのだが――
(今思うと、彼女はなんと善良なのだろう。私の状態を慮った末に、私がその場から逃れる、何らかの切っ掛けを与えてくれようとしていたのだ)
――私は微笑を湛え、手を上げてその言葉を遮った。
そして心優しい彼女の良心と、それを育んだ環境に、最大限の敬意を込めた眼差しで彼女を見て、軽く頷くと……その場から二人を去らせた。
こうして公園のベンチには、発泡酒を片手に何事かを喋りまくる男と、私が残された。
当初は「厄介なことに巻き込まれたな」というのが、私の隠さぬ本音だった。
だが私は、ある光景を目にした瞬間、「男の話を、粘り強く聞いてやらねばならぬ」と強く感じるようになった。
現職の人間には及ばないが、私は前職の関係で心理療法に従事していた過去があった。十年を続ける事は叶わなかったが、その経験が少なからず私を鼓舞した。
私は当初、男に顔を向けながらも、男の目を見ないで話を聞いていた。
だがふとした折に、男の目を覗き込むと――
男は何とも言えず、純朴そうな、円らな目をしていた。
そして……その瞳に、涙を溜めていたのだった。
「おかしい、絶対、おかしい!」
私はその水の膜を視界に認めた瞬間、身じろきができなくなった。
男は黄昏に染まり始めた西の空を背負い、目を赤らめ、瞳に抑え切れぬ感情をため込んで……自分の憤慨を語っていたのだ。
その光景は私の印象に強く残り、やがて心象風景の全てとなり、男に対する重要感を私に高めさせた。
それから私は、斜陽に燃える公園で彼の話を受け止め、纏め、思考の筋道を示し、補助線を引いた。
またその感情はどうすれば解消されるかを自問自答させ、考えさせ、彼自身が答えを見つける為の手助けをした。
気づくと私がベンチに腰を下ろしてから、一時間近くの時が過ぎていた。
結論としては、男の給与明細を施設長(彼が煙草を吸う際によく話し、親交があるという)に見せてもらう様に、話しを持ち掛ける事で落ち着いた。
男は自分の為すべき事を見つけた途端、突如として陽気になった。
「そうじゃん! そうじゃんか!」と猛った声を上げる。
その後も、何度もその事を私と確認していると、私の携帯電話が着信の音を告げた。予定以上に見積もりに時間を要したことを、リサイクル店の人間が丁寧な口調で謝罪した。
そこで私は男に、この場を辞去せねばならぬ旨を告げ、求められて握手まで交わし、ベンチから腰を上げた。
「話します! 明日……じゃなくて月曜日に! 話します!」
男の手は飴でも握り込んだかの様に、粘着質な汗に湿っていた。
私はその事を僅かに不快に思ったが、男の自尊心を損なってはいけないと思い直し、公園の水道を素通りして、元来た東口に向かった。
その途中、後ろから、自転車のベルの音が鳴り響いた。
振り返ると、男がペダルを漕ぎながら、にこやかに手を振っていた。
私はその子供らしい仕草に苦笑し、にこやかに手を振り返す。
男が私の横を通り抜け、私も前方に向けて再び歩み始めると、前を行く男が振り向いて言った。
「ばぁぁぁぁぁぁぁか!」
心臓が強く打ち、得体のしれない恐怖に喉を締め付けられた様になる。
だが男が私個人に対して欝憤を叩きつけたのではなく、どうしようもない男の世界の欝憤を、私が代表して受けたことを瞬時に悟ると――
「お体に……気を付けてくださいね」
とだけ、かろうじて声帯を震わせて応えた。
すると男は自転車のブレーキペダルを引き、私の少し前で片足を地面に下ろした。
奇妙に冷めた思考の中、私は男に殴られるだろうか、という事を考えた。
だが男の瞳に、自分を見つめる冷静さが戻ると、再び水の膜が張られ――
「ば~か! ば~か! ば~かぁ!!」
男は大きな声をあげ、その場を去った。
その遣り取りを見ていた老夫婦の内の老婆が「最近多いんですよ、あぁいう人」と、気遣うように私に声をかけた。
私はゆっくりと頷き、「お気づかい頂き、有難う御座います」と謝辞の言葉を述べると、来た道を戻り、水道の水で手を洗った。
心には、どんな感想も浮かんでこなかった。
ただ過去に業務の一環として心理療法を行い、生気を取り戻して診察室を出ていった人が……施設の外でわざわざ私を待ち構え、同じ様な言葉を吐き捨てていった事を思い出し、苦笑した。
またその時、同行していた大先輩に『人間が自尊心を取り戻した際に、まま見られる現象だ。うん、よくやった』と褒められながらも、忸怩たる思いは拭い去れなかった。
無心で手を洗う。
私はリサイクル店に戻ると、見積もり金額を知らされた。
端数は覚えていないが、十五着で三万六千円程度だったと記憶している。
そしてそのお金を現金で受け取った時、私は奇妙な心の働きを感じた。
そのお金をなぜか、先ほどの男に、二万七千円を失い茫然自失として昼の公園で酒を飲み始めた男に、渡したくなったのだ。
全く馬鹿げた憐憫。酷い憐憫だ。
その心の働きを指して、男を馬鹿にしていると言われても、私は反論出来ない。
だが私は、一切の自尊心の肥大ではなく。その様に思ったのだ。
あの純朴そうな瞳を持った男を思い。生き難い世界を思って……。
私はその夜、寝室で妻と酒を飲みながら音楽を聴いていた。
一つの音楽が終わる。
その合間に私は堪らない衝動に駆られ、公園での一幕の事を話した。
「これは全く、現実味の薄い話に聞こえるかもしれないけど……」と前置いて。
男が私に最後に言った言葉は、省略して。
なぜ省略したのか。
私は妻に、人間の良心の力を見損なわせたくなかったのだと思う。
人間は多くの場合、自らの意志で、生活を規定する事が可能だと信じている。
だが現実は違う。むしろ生活によって、自らの意志を規定されているのだ。
残念ながら、人間の心とは、精神とは、人格とは、その様に出来ている。
だから問題にすべきは、その人間を支えている基盤、土台、社会なのだ。
私が話し終えると、妻は私の手を取り、
そのしなやかな指で、私の指を愛撫しながら――
「生きるということは……やっぱりとても大変ね」と言った。
私には、生まれながらにして両親がいなかった。
そして地元の開業医の家に生まれ、今ではその家業を継いだ彼女もまた、ある時期に――
その後、私たちは電気を消し、それぞれのベッドで眠りにつこうとした。
だが私にはあの公園での一幕が余りにも鮮明で、どうしても頭の中から消えようとせず、なかなか眠りにつくことが出来なかった。
男の純朴そうな瞳を、涙を溜めた瞳を思い出して、考える。
男は恐らく、仕事に際しては多くの老人から慕われる様な、そんな人間ではないかと。
その予感はその時の、穏やかな初秋の夕暮れによく似ていた。
茜色に輝く空から放たれた西陽が、胸の奥まで射しこんでくる様で……。
そしてその考えは、次第に私の中で一つの確信のように育つ。
それと共に男の光景は、私にこう勧めるのだ、こう迫るのだ。
他人に対してもっと優しく、もっと気を遣い、もっと愛情を持つことを。
他人の為に自分を忘れる様な一幕を、もっと多く持つことを。
理想論だと言われれば、返す言葉もない。
そんな抽象的な考えでは、誰も救えないと言われれば、ごもっともだ。
言葉は、行動で表さなければ意味がない。
お前の様な上から目線で物事を論じる輩が、一体何をなそうと――
全て、全てその通りだ。
そもそも私は、人間の完全性というものを信じていない。
むしろ私は人間の救い難い醜さ、弱さ、狡猾さの方をより多く信じている。
それと共に自分が狡猾であり、多淫であり、
自分から一歩も外に出る事の出来ない、矮小な人間であることをよく知っている。
だが――いや、だからこそ――
陣痛に苦しむ世界の中で、私は出来るだけ、出来るだけ――
出来るだけ、人に優しくなりたいのだ。
誰かにされたら傷つく様なことを、出来るだけしない様に努め、
誰かに貰って嬉しい優しさを、いつまでも覚えているような――
そして貰ったものを、より多くの人と共有していくような――
そんな物語を、自分の物語として生きていきたいと、そう願っている。
私はまどろむ意識の中、そんなことを考えていた。
そして知る。私もまた、あの男から貰ったのだということを。
理性の光を、人間の醜さを、生きるという事の……尊さを……。
思いやりだけでは、人は救えない。
だがそれこそが最も重要で、全人類にとって唯一の規範であると……私は信じたい。