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現代ファンタジー短編。なんかの序章

作者: 豚吉

 拳打、拳打、拳打、拳打、拳打。

 青年が道場で黙々と巻藁を叩いていた。普通の巻藁より2、3回りは大きい。それを延々と叩いている。時折、蹴りも入れている。

 どれほど打ち続けているのだろうか。裂けて血を流し、ピンク色の肉が見える青年の拳頭と、何度となく巻藁に打ちつけたのであろう、内出血で青黒く変色した足、そして、青年の足元で水たまりのようになっている汗と血だけが、青年の積み重ねた時間の長さを物語っていた。

 それを気にも留めず、ただ黙々と拳を振るう青年の姿には、危機迫るものがある。

 明らかに、まともな修練ではない。遠からず、青年はその身を壊すだろうと予感させた。


「――何をしているんだい?」


 その修羅の背に、声をかける者が居た。


「見て分からないか?」


 青年はその涼やかな声に振りむくことも、拳を止めることもせず、そっけなくいった。

 青年はその声の主を知っていた。


「……マゾヒストなりのオナニー?」


「死ね、滅びろアホ女」


 涼やかな声の主は少女だった。涼しげな瞳が大人びていて、学生服を身につけていながら、どこか色っぽい。温かな氷を思わせるような不可思議な魅力が、その黒い短髪から香るような少女だ。そんな少女が道場の横開きの入り口に背を預けている。


「ひどいな、テストの順位でなら、同学年でボクより上は居ないのに。ね、最下位君?」


 少女が低く笑った。青年の言葉に気を悪くした様子もない。むしろ、青年の暴言を楽しんでいるようだった。

 青年も本気で少女をアホだと思っているわけではない。少女はおそらく、学年どころか教師を含めても学内で最も頭が良いだろう。テストの成績など、彼女の知性のほんの一滴が外に漏れだした結果に過ぎない、そう思っている。だが――


「訂正してやる。死ね、滅びろ頭の良い女」


 その頭の良い女が、事あるごとに自分に絡んでくるのは、気分の良いものではない。

 どすん、と青年が一層強く巻藁を蹴った音が道場に響いた。


「ちゃんとテストを受ければ最下位なんてならなかったのに、なんで出なかったのかなぁ?前期のテストでは一応中の上くらいだったんでしょ?」


「……俺の勝手だ、ほっとけよ」


 巻藁に蹴りを叩きこんだ勢いを利用し、全身のバネを絞って、次は拳を叩きこむ。既に何千何万と繰り返してきた動きだが、今回は少しよどみが見てとれた。


「……僕は知ってるよ、ヒーローは強くなければ駄目だものね?」


「…………」


 事実、青年はヒーローだった。それも漫画のように荒唐無稽なヒーロー。

 3か月ほど前、青年は、本当にたまたま、偶然に、人型と犬を混ぜたような化け物が人を襲っている、冗談のような現場に居合わせてしまった。その現場には自分と化け物と襲われている人物しかおらず、襲われている人物には抵抗する力が無いように思われた。

 だから、助けた。

 結果として命がけになったが、襲われていた人物を護りきったまま、化け物を殺す事ができた。護りきった相手が学校のクラスメイトだったと気がついたのは、次の日クラスで話しかけられてからだった。

 助けた相手は、少女だった。それからずっと、付きまとわれている。


 暴風のような連撃を青年は巻藁に打ち続けていた。

 通常より太い巻藁の芯が、終わらぬ衝撃でしなり、今にも折れそうに変形している。


「……別に、ヒーローでなくても男なら誰だってああしたはずだ」


「君がそう思っていても、ボクはそうは思わない。それに、ボクを助けてくれたのは他のだれかじゃない、君だ」


 いつのまにか道場の入り口から離れた少女が、青年の背のすぐ後ろに立って、青年の背へと手を伸ばした。


「……ねぇ、君はもう一度、アレと逢いたいの?」


 バキリ 


 少女の手が青年の背に届く前に、凄まじい音を立てて芯が折れた巻藁が吹っ飛んだ。青年の暴力旋風に巻藁が耐えきれなくなった結果だった。

 少女の手がまた伸びる前に、青年は少女へと振り返った。


「……アレがなんだか、知っているのか?」


 怖気が走るような目で青年は少女を見つめた。暗い熱に囚われた、狂気の目。

 青年は、あの化け物を殺してから、その血を浴びてから、狂ったようなある衝動を身に宿していた。もう一度、あの化け物と、全身全霊を賭して戦いたい。次はもっと、うまく殺したい。

 その想いが溢れるように、青年は時間を惜しんで自分をより鍛えるようになっていた。


「推測だけどね。今なら会おうと思えばまた会えると思うよ」


「逢う方法を教えろ」


 言外に、暴力を背景にする圧があった。いわなければどうなるか。

 少女はそれを浴びてなお笑った。


「いいけど、簡単な条件があるよ」


「言えよ、金ならないぞ」


「お金はかからないさ。ボクと付き合ってよ」


「……どこまで?」


「古典的なボケだね。とりあえずこの後ボクの家まで、できることなら、ベットの中までかな。今日、ボクの家だれもいないんだ」


「…………」


 少女の表情は笑ってこそいるが、目は笑っていない。本気であることが見てとれた。


「分かった。お前と付き合おう」


「男女としてだよ?」


「分かってる」


 条件としては破格に楽だと青年は思った。少女のことは別に好きでも何でもないが、恋人になるだけでまたアレと戦えるのかもしれないのだ。なんなら、アレに会う方法を聞くだけ聞いた後に別れても良い。


「ああ、うん、分かってるなら良いんだよ……。なら、恋人らしいこともしてくれるよね?」


「ちょっと待ってろ。これを片付けてシャワー浴びたらそのままお前の家に行くぞ」


 青年が折れた巻藁を差して言った。これではもう修練は続けられない。

 外はもう暗い。道場の全てを片付けてからカギを掛けて出ないと、次の日の部員に迷惑がかかる。


「じゃあその間にボクがモップを掛けておくよ」


「いらん」


「彼氏との時間を出来るだけ早くとりたいんだ。ボクの方からも、恋人らしいことがしたい」


「……かってにしろ」


 青年が折れた巻藁をまとめて担ぎあげて、少女の横を通って道場の入り口を出て行く。

 道場には、少女と、青年が残した熱気と血と汗の水たまりだけが残された。

 少女が、先まで青年が立っていた、血汗が溜まった床の横に膝を折った。


「……僕ってマゾで変態かも……」


 青年の血汗に指先で触れながら、とろけたような顔で少女は呟いた。


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