SECT.29 戦地へ
ライディーンはなかなか帰ってこなかった。
不安はなかった。
アレイさんも最初の契約で3ヶ月かかったといっていたし、ライディーンが失敗するはずないと信じていたからだ。
そして、2ヶ月が経ち、今年最後の雪がジュデッカ城と訓練所を白く染め上げた。
外での訓練は中止になり、それでも凍えるような寒さの道場内で剣を振るっていた。
寒さに負けず練習を続けた中でもルークの伸びは目覚しく、ライガさんが驚くほどの上達振りだった。
「これならライディーンの抜けた分が埋まるな」
冗談半分で言ったライガさんは、ライディーンがレメゲトンになったことを知らない。
突然騎士団から姿を消したライディーンをいぶかしむ者もいたが、惜しむ声のほうが多かった。それだけ彼の才能は注目を集めていたのだ。
ライガさんは雪の降りしきる空を見上げ、ふと呟いた。
「あいつも今、何してるんだろうな」
その声で、なぜかどきんとした。
誰かに呼ばれたような、何かが届いたようなそんな不思議な感覚。
稽古後すぐにパラディソ・ゲートに向かった。
雪の中馬に乗るのはとても辛かったが、とにかくまっすぐ神殿跡に駆け込んだ。
「ライディーン」
白い雪の中、真紅の髪がふわりと揺れていた。
「おかえり」
「ただいま、ラック」
藍色の瞳が優しく微笑んだ。
待ち焦がれていた春が来た。
雪が溶け、空は青く澄み、緑が芽吹いて花は咲き乱れる。暖かな風は人々の心に安らぎをもたらすはずだった。
それなのに、東からもたらされたのはとうとうトロメオが陥落したという最悪のニュースだった。
いつもの書類に埋まった部屋で。
時折しか見せない非常に険しい顔をした王様は静かに告げた。
「ラック=グリフィス。レメゲトンとして戦地へ赴き、メフィア=R=ファウスト、アレイスター=W=クロウリー、ベアトリーチェ=アリギエリの3名と共に軍と合流せよ。事態は一国を争う。精錬された力で持って、トロメオを奪還せよ」
「御意」
跪いて、その命令を心に刻み付けた。
長かった半年以上のときが確実に自分を後押ししてくれる。
ねえちゃんの屋敷ではすでに準備が整えられていた。
新しく採寸し、作ったばかりのレメゲトンの正装、新しくこしらえた皮作りの丈夫な篭手。
その全てを身につけ、見送るアイリスとリコリスに向かって微笑んだ。
「んじゃ、行ってくるよ」
「「お気をつけて」」
深く礼をした二人にくるりと背を向けると、馬車に乗り込んだ。
漆黒星騎士団の訓練所に立ち寄った。
馬を変えるためだ。
「さ、行こうか、マルコ」
ヨハンによく似た面差しの馬ににこりと笑いかける。嬉しそうに首を振る癖は小さいときから変わらない。
鞍と手綱をつけた様はどこから見ても立派な戦馬だった。
「マルコ、か。どうしてそんな名前に?」
青いバンダナのライガさんが不思議そうに聞く。
「クローセルさんが、マルコシアスさんのことをそう呼んでた。だから、マルコシアスさんみたいに強くて優しくなれるようにと思って、マルコにしてみた」
「そうか……いい名だ」
ライガさんは唇の端をあげた。
「気をつけろ。軍のいるカシオまではかなり距離がある。山も幾つも越えなくちゃなんねえ。戦場にたどり着く前に迷子になるんじゃないぞ」
「だいじょうぶだよ。おれ、目だけはいいんだ」
にこりと笑ってマルコの手綱を取る。
「行って来ます!」
こっそり旅立ちたかったから、他のヒトには言っていない。
ライガさん一人の見送りで、自分は戦地に旅立った。
東の都トロメオが陥落したいま、戦況は最悪だった。
道中も家を捨てて西や南へ逃げる人たちの集団を見かけた。大きな荷物を背負い、女性や子供、老人ばかりが目立つ旅団がいくつも西を目指していた。
それを見るたび心が裂かれた。
自然と足は速まる。
数日の行程の後、ようやく現在軍が駐留するカシオに到着した。
トロメオのすぐ東に位置するこの都市は商業都市であるため篭城には向かない。トロメオの奪還は最重要課題だった。
兵士の間を通り過ぎて、主要メンバーが揃うカシオの中心の屋敷に足を踏み入れた。
王都の屋敷のような煌びやかさはなかったが、古い歴史を持つ者だけに与えられる威厳がある。重層な建物の最奥で、作戦会議中らしい。
暗い廊下を通り過ぎて、大きな扉の前に立った。
やっと会える。
長かった、半年以上もの間ずっとずっと焦がれていた。
両側の騎士さんが扉を開けた。
目の前に、大きな円卓がある。
開いた扉の手前で跪いた。
「ラック=グリフィス、ただいま到着しました」
半年間ヴィッキーに叩き込まれた敬語が自然に口からすべり出た。
顔を上げると、ずっとずっと会いたかったヒトたちがこちらを見ていた。とても驚いているような気がするのは気のせいなんだろうか。
立ち上がると、肩甲骨の辺りまで伸びた黒髪が頬にかかった。
悪魔紋章が刺繍してある漆黒のドレスと漆黒のマント――レメゲトンの正装だ。
今すぐにでもねえちゃんに駆け寄りたかったけれど我慢した。
「ただいまより炎妖玉騎士団長、フォルス=L=バーディア卿の指揮下に入ります。よろしくお願いします」
真紅の甲冑を身につけたヒトの前でもう一度跪いた。
これでやっと国のために戦える。
振り向いた時に紫の瞳と目があって、にこりと笑いかけた。
一通りの挨拶を済ませて部屋を後にした。
これで猫かぶりはおしまいだ。大きく息を吐いてから、一緒に部屋を出たねえちゃんの胸に迷わず飛び込んだ。
「やっと、追いついたよ。ねえちゃん」
「ラック……本当に大きくなって……!」
手の感触が懐かしくて泣きそうになった。懐かしく、甘い香りがした。
「暴走した悪魔を取り押さえたそうね。フォーチュン侯爵から聞いているわ」
「うん。すごくがんばったよ」
遠い道のりだった。
でも、自分はそれだけ成長して、大切なヒトを守る力を手に入れた。
ねえちゃんにあてがわれた部屋に戻って、少し休んだ。
でも、ねえちゃんの傍を離れたりはしなかった。お茶を入れる間もずっと近くに寄り添っていた。
「もうどこにも行かない。ぜったいねえちゃんと一緒にいる」
そう言うとねえちゃんは穏やかに微笑んだ。
まるでルシファさんのように優しい微笑みだった。
「ふふ、ありがとう、ラック」
そして少し離れたところで不機嫌そうな顔をしている紫の瞳のヒトを指差した。
「ほら、あのでっかいヒトにも挨拶してきなさい。ずいぶんあなたのことばかり考えていたようだから」
「うん」
素直に頷いて、てくてくと長身の剣士の元へ向かった。




