SECT.24 夢と現実の狭間
クラウドさんは千里眼を発動した事に気づいてくれたようだ。
もちろん千里眼の事は知らないはずだから、詳しいことは分からなくても勝負に出た事くらいは確実に伝わったはずだ。
その証拠に一気に闘気が上昇したのが分かった。
向かいを見るとフラウロスさんの毛並み一つ一つの動きまで分かる。もちろんみるみるうちに体温が上昇していくのも――炎を吐くまであと2秒と少しと言ったところだろう。
自分が間合いをつめるまであと1秒はかかる。
ぎりぎりだ。
それをコンマ2秒ほどで考えて、一足飛びに間合いに踏み込んだ。
ここまでが1秒!
レラージュさんが大振りに降った長剣は自分の頭上で空を切る。ほとんど止まっているように見えるその太刀筋を見切るのは簡単だ。
剣が空を切る音が大きすぎて頭に響く。
耳のレベルを少し下げて、目と触覚に集中した。
途端に全身が焼けるように熱くなる。
この状態で炎を食らったらまずい!失神じゃすまない。
皮膚の感度をさらに下げ、視覚のみに集中した。
音のない世界。触覚のない世界。
まるで水の中を漂うような感覚で目の前で繰り広げられる世界を見据えた。
クラウドさんがこちらに向かってきているのを確認し、眼前に迫ったフラウロスさんの炎を避けるように空中に飛び上がった。
炎の塊がレラージュさんを包み込む……と思ったが、紅髪の剣士はまたも剣圧でその炎を両断した。
間髪いれず頭上から奇襲を仕掛ける。
強く両手で握った小太刀を、全体重をかけて振り下ろした。
剣がぶつかり合ってびりびりと腕が震える。
反動で地面に足をつくと、すぐさま足を踏み出して小太刀を突き出した。
その隙を見計らったようにフラウロスさんの炎が迫る。
ごめん、ライディーン、熱いけど我慢して!
と思った刹那。
「まだ甘いデス」
ライディーンの頭上にくすんだ緑のフードをかぶった射手の上半身が現れた。
放たれた弓が炎と接触した瞬間、フラウロスさんの炎は瞬く間に白く変化した。
「!」
驚いた途端に集中力が切れた。
世界が目まぐるしく回りだす。
射手がこちらを向く。緑のフードの中は暗くてよく見えなかった。ただ、半袖の緑の服とそこから伸びる腕は、声よりずっと幼そうな印象だった。
きりり、と弓が絞られる。
やばい、避けなくちゃ!
思ったがめぐる速度の変わった世界についていけず、咄嗟に足が動かない。
「終わりデスね 黄金獅子の末裔」
勝ち誇ったような声が響いた。
まずい!
思わず小太刀を目の前に据えて身をすくめた。
ところが矢が飛ぶ前に、その射手の悲鳴が響き渡った。
「ぎゃあああ!」
「愚か者」
地獄から響いてきたフラウロスさんの声。
なんと灼熱の獣はその鋭い爪で、紅の髪の上に浮かぶ緑色フードの射手の顔を切り裂いたのだ。
続いてそのしなやかな肢体を躍動させてさらにその影に飛び掛った。
「!」
目の前で信じられない出来事が起こった。
何もない空間からずるりと射手の下半身が現れ、フラウロスさんは現れた射手の全身を完全に地面に拘束したのだ。
悪魔を魔界から引きずり出した?いや、支配を引き剥がしたというのか?!
いずれにせよこれは好機だ。
アガレスさんの加護を受けた全身を奮い立たせ、小太刀を右手で逆手に握った。
まだ支配が微かに残る彼の体は、まだ剣を離さず構えている。
「ライディーン!」
もう一度千里眼を発動した。熱い風が全身を支配する。
既にかなりの負担が肢体にかかっていた。
――これが最後のチャンスだ。
両手で掬い上げるような剣先を完全に見切ってすれすれで横にかわした。
靡いた髪が剣に触れて一房風に舞った。
そんな事気にも留めず左の拳を顔面に向かって突き出した。もちろん彼は軽く頭を傾けて避ける。
予想済みの動きに、逆手に持った小太刀を閃かせた。
頭を傾けた方向からの斬撃。
むろん峰打ちだ。
完全に決まると思った。
それが油断に繋がっていたのかもしれない。
自分の小太刀がライディーンの側頭部にヒットする直前に、緑色フードのレラージュさんを取り押さえていたフラウロスさんの体が跳ね上がった。
視界の隅に白く変色したフラウロスさんの前脚が映る。
そこから白い煙が上がっている。あれは……凍らされた?!
炎を操るフラウロスさんにとって凍らされるという事は考えうる限り最悪の事態だ。
「フラウロスさん、魔界に戻って!」
意識をそらして叫んだ瞬間、腹部に打撃が加わった。
「ぐっ……は……」
感覚を最大限に広げた状態でのダメージは普段の何十倍にも増幅される。
両手が攻撃に向かいがら空きになった腹部にライディーンの剣の柄で衝撃が叩き込まれていたのだ。フラウロスさんに意識を移した一瞬の隙を突かれ、無防備にその攻撃を受けてしまった。
全身を激痛が貫き、体が後ろ向きに吹き飛んだ。
ゆっくり体が落下する感覚があるが、あまりの痛みに体が動かない。
受身を取る事もできずそのまま地面をすべるように転がっていった。
全身が痙攣しているのが分かる。
もう痛いのか熱いのか何なのか分からない。ただ自分の体が深刻なダメージを負っていて全く機能しないという事だけがかろうじて理解できた。
目の前の景色がぼやけている。
微かにテノールの響きが耳に届いたのは夢か現実だったのか……
黒衣を纏った大人たちが自分を取り巻いている。
ああ、これはいつもの夢だ。
足元にぬるりとした血の感触を確かめながらゆらりとその場に立った。
ところが黒いフードで顔も分からぬ大人は銀のブレイドをこちらに向かって閃かせる。
「リュシフェル様の贄となれ!」
「その命でもって誓いとせよ!」
意味が分からない。
でも、刃物をこちらに向けた大人たちの殺気だけは敏感に感じ取れた。
このままじゃ、自分はこのヒトたちに殺されるだろう。
直感でそう感じ取ってくるりと銀のブレイドに背を向けた。
周囲は闇。
だがなぜか自分はある方向に駆け出した――誰かに呼ばれている気がしたから。
壁に行き着いたその闇の中には、さらに闇へと続く階段が口を開けていた。この先に自分を呼んでいるものがいる気がする。
後ろから追いかけてくる大人たちから逃げるように、転がるように階段を下った。
気の遠くなるような逃避行の後、たどり着いた部屋には明かりが一切なかった。
それでもなぜか感覚に敏感に触れる何かがそこには存在していた。
導かれるように手を伸ばすと、何かが指の先に触れた。
石か何かでできた台の上に丸い形状の薄い物体が乗っている。ひんやりとしたその感覚はなぜか心を落ち着けた。
手にとって握り締めた。
後ろから大人たちが叫ぶ声がする。
逃げ場がなかった。
……名を呼んデ
突然頭の中に声が響いた。
声の主は分からないというのに、口が勝手に動いていた。
「グラシャ・ラボラス……」
――目の前を暗黒の霧が包み込んだ。




