SECT.21 遺伝子の壁
「ライディーン、おめでとう!」
「ラック!」
数日ぶりに会ったライディーンは満面の笑みで迎えてくれた。
「ありがとう! 全部お前のお陰だ!」
ライディーンは躊躇せずにおれの体を抱きしめた。
少しびっくりしたけれど、その大きな腕は誰かを思い出させて少し切なくなった。
「離して、苦しいよ」
「やだ」
ライディーンはますます腕に力を込める。
仕方ない。
力ずくで……と思ったのに、ほどこうとした腕は頑として動かなかった。
「俺に力で敵うわけないだろう?」
勝ち誇ったようなライディーンの声に、なぜか恐怖を覚えた。
「お前がいくら強いと言っても、俺は男でお前は女なんだから」
「!」
別にライディーンだって怖がらせるつもりはなかったんだろう。
でも、抵抗できないと思った瞬間の恐怖は本物だった。
「離せっ!」
自分が叫んだことに驚いて腕が緩んだ隙にぱっと振りほどいて距離をとった。
心臓が早い。
息を整えていると、ひどく傷ついた顔のライディーンの姿が目に入った。
「あ、ごめん……」
思わず謝罪の言葉が口をついたが、それで二人の間の断裂を埋める事は出来なかった。
ライディーンは表情を凍りつかせたまま。
居たたまれなくなって自分はそんなライディーンを置いて部屋を飛び出してしまった。
ライディーンを傷つけてしまった。
だが、それ以上に先ほどの恐怖が脳裏に焼きついていた。
男と女の力の差。抵抗できない状態での恐怖――これまで気づいた事などなかった制約に、自分自身が混乱してうまく考えられなかった。
体術の組み手などではない。
完全に自由を奪われたとき、それを跳ね返す筋力は自分にはない。それは訓練の問題ではなく生まれついての体の仕組み自体が問題なのだ。
怖かった。
自分の力でどうにもならない事態が存在する事が――
「ラック!」
ジュデッカ城の長い廊下を駆け抜ける自分を呼び止めたのは、唯一自分のことを女性として扱ってくれた皇太子だった。
「少し、落ち着いた?」
「うん、ありがと」
サンの私室で温かいココアをご馳走になって、やっと息をついた。
ねえちゃんちにある自分の部屋のさらに何倍もありそうなこの部屋は本当にサン一人で使っているのか疑わしいくらいの広さだった。
「どうしたの、すごく……辛そうな顔をしていたよ」
答えられずに俯くと、サンは少し寂しそうな顔で微笑んだ。
「話しては貰えないのかな。僕じゃ駄目?」
「ううん。そうじゃなくて、うまく言葉に出来そうになくて……」
「いいよ」
はっと見上げると灰色の瞳が優しい光を灯していた。
「ゆっくりでいい。いくらでも聞くよ。ずっと待つよ。だから、話して」
「うん、ありがとう」
先ほどのことをもう一度思い出しながら、少しずつ言葉を紡いでみた。
「サンはよくおれは女だからって言うじゃん。でも、おれ今までそんなこと気にしてなかったんだ」
正直にそう言うと、サンはとても複雑そうな顔をした。
「ねえちゃんはいつか分かるわって言うから考えずにいたんだけど、さっきライディーンに抱きしめられたとき、おれはそれを振りほどけなかったんだ」
「ライディーンと言うと今回新しくレメゲトンになった少年だね。どうして彼は君に抱きついたりしたの」
サンの言葉にはかすかに怒りが混じっていた。
「ん、別に、ただありがとうーって言いながらぎゅーって。レメゲトンになれるようにじぃ様にライディーンを紹介したのはおれだったから」
「へえ、そう」
サンの言葉に今までにない冷酷さが混じっている。
それに少し首を傾げながらもとりあえず続けてみた。
「んで、すごく大きな力の差を感じちゃってさ。おれは鍛えてるって言っても所詮もとが女だから絶対に力で男のヒトには勝てないんだって思ったらすごく怖くなったんだ」
生物学的な差。それは自分の力ではどうしようもない事だった。
「剣術とか体術とか、技術でカバーできない力ってもうどうしようもないのかな。おれはどんなに鍛えても弱いままなのかな」
悲しい気持ちを抱えたまま灰色の瞳を見上げた。
「やっとサンが言った意味、少しだけ分かったよ。おれは女だからやっぱどこかで力の差を埋めなくちゃいけない。それはすごく大変な事なんだね」
「そうだよ、ラック。だから僕は――」
サンはそこで言葉を飲み込んだ。
代わりにこんな風に質問された。
「ラックはじゃあ、それに気づいてどうしたいと思ったの?」
「ん、分かんないんだ」
何か歯車がかみ合わない。自分の中の価値観が揺らいでいる。
「怖いよ。おれはこれまでやれば出来るって思ってきたけど、もしかしたらそれは間違ってるのかもしれない。がんばれば何でもできるって言うのはもしかしたら……幻想かもしれない」
それに気づいてしまっても、自分は本当にまだがんばれる?
未来が見えない。これから先自分がどうなるのか分からない。それはこんなにも不安な事だったんだ。
「どうしたらいいのかなあ……?」
これまで立ち止まらず必死に剣技を学んで、体術を教わって、馬に乗る練習をして千里眼を稽古してきた。
それは自分の力で国を守りたいと思っていたからだ。もしその力の可能性があるなら。
自分の力を試すという点では、ライディーンと自分は同じ動機を持っているのかもしれない。それによって得られるものがたとえ違っていたとしても。
でも、果たして自分にはたくさんのヒトを救う力などあるんだろうか。
強くなりさえすればいいと思っていたけれど、本当にそれでいいんだろうか。本当に自分は――まだ強くなれるんだろうか。
分からない。
ねえちゃんに会いたい。アレイさんに会いたい。
分かんないんだって言ったらきっと何か返してくれる。それはイジワルな台詞かもしれないし、アガレスさんのように難しい言葉かもしれない。
それでもよかった。
温かい言葉をかけて欲しかった。
「無理しないで。僕はいつでも待ってる」
「うん、ありがとう」
そうやって最後に逃げ道を作ってくれるサンは本当にとても優しいんだと思う。
「聞いてくれてありがとう、サン」
にこりと笑って立ち上がった。
悩むのは後でもできる。
でも、今しか出来ないこともある。
「とりあえずライディーンに謝ってくるよ。すごく……傷つけちゃったから」
「そう」
サンはとても悲しそうな顔をした。
「どうしたの、サン。すごく悲しそうだよ」
「何でもないよ、ラック……気をつけて」
「うん」
サンの表情は少し気になったけれど、今はとりあえずライディーンの元に向かおう。
そして、ちゃんと謝るんだ。
先ほどの部屋まで足早に廊下を歩いていった。
ところが部屋にライディーンの姿はない。
ちょうどそこにいた衛兵さんに聞くと、どうやらすでに神殿へ向かったらしい。
神殿、と言うことは……
「契約!」
急がなくちゃ。
城を出て、真直ぐに神殿への道を駆け抜けた。
日は完全に西へ傾いている。
長く伸びる影を見ながら神殿に飛び込んだ。息を整えながらステンドグラスでカラフルに彩られた床を探すが、地下への道が分からない。
「ああ、もう!」
確かこのあたりを杖でついてたような……
適当に床をごんごんと叩いていると、唐突に床がせり落ち始めた。
どうやら当たったようだ。
目の前を真っ暗な空間が占めていく。目がなれると、やっと人影がぼんやり見えた。
「ライディーン!」
ところが、その空間にいたのはクラウドさんとじぃ様だけだった。
「ライディーンは?」
「今ちょうど旅立ったところだよ。どうしたんだ、ラック」
しまった、遅かった。
「……さっきライディーンにひどいことしちゃったから謝ろうと思って。でも間に合わなかった」
「そうか」
クラウドさんは隣に来てぽんぽん、と肩を叩いてくれた。
「帰ってきてから言うといい。きっとライディーンも許してくれる」
「ほんと?」
「ああ、本当だ。だから、訓練所に戻ろう。明日からまた訓練が始まる」
「……ここで待ってちゃダメ?」
「ラック、ライディーンはより上を目指す事を知っている。きっと君が訓練を怠ることを望んではいないよ」
「分かった」
でもとても心配だった。
なぜか分からないけどすごく不安で、よくない事が起こりそうな気がした。
あの時と同じだ。
セフィラがジュデッカ城に乱入してねえちゃんが連れ去られたあの夜と――
背筋が震えたが、だいじょうぶだと自分に言い聞かせて神殿を後にした。




