SECT.16 やるべきこと
ライディーンは真直ぐに自分を見下ろしていた。その視線を正面から受けて、見上げ返した。
静寂が流れる。緊張で皮膚が切れそうなくらい張り詰めている。心臓の拍動がひどくゆっくり、大きなものに聞こえた。
もう聞いてしまった。後戻りは出来ない。
何より長い一瞬の後、ライディーンはため息を吐いた。
「何だ、さっきから様子がおかしいと思ったら……」
ライディーンは空いたほうの左手でこちらの首筋に手を伸ばしてきた。
まるで何かを探すように、するりとくすぐったい感触があって手はすぐに離れていく。
「失くしたのか、コイン」
口をつぐんで答えないでいると、ライディーンはもう一度ため息をついた。
「残念ながら知らない。昨日の晩、部屋まで送ってやった時にはまだあった。それだけは断言できる」
真摯な瞳に嘘の欠片は見当たらなかった。
その瞬間、急に力が抜けた。
「悪いな、役に立てなくて」
「……よかった」
ライディーンじゃなくて。
先ほどまでの緊張感がぷつりと切れて、じわじわと安心感が心に広がっていった。
疑ってしまった事をすごく後悔した。
「ごめん、ライディーン」
「何が?」
「お前が盗ったかと思ったんだ」
そう言うと、ライディーンは目を大きく見開いた。
それを見ていられなくてぱっと手を離して背を向けた。
「今朝起きたらコインのペンダントが失くなってた。おれは昨日の練習で疲れて眠ってたから気がつかなかった」
「だから、俺が盗ったかもって?」
「それだけじゃないよ。悪魔のコインからはヒトに悪い影響を与える気が発せられていて、おれみたいなレメゲトンはその気に対する耐性を持ってる。でも、普通のヒトはあんまり長く触れていると体調崩したり精神が不安定になったりするんだって」
篭手をはずした。
ぱさりと音がして地面に落ちる。
「コインを盗るにはそれなりに耐性がなくちゃ無理だからと思ったんだ。ヴィッキーはダメだった。全然耐性がなかった」
さらにするすると包帯をほどいていった。
「……!」
背後でライディーンが息を呑んだのが分かった。
「試したんだ、ごめん」
目をあわさずに背を向けて、完全に露になった左手を闇に突き出した。
くすんだ黄金に煌く熱を持ったコインには殺戮と滅びの悪魔グラシャ・ラボラスの紋章が描かれていた。その周囲の皮膚は赤黒く黒ずんで、血管が浮かび上がっている。
ずっとこの左手に掴まれていたと知ったら、ライディーンは気色悪いと思うだろうか。
「ライディーンには耐性があるよ。悪魔の血を引いてるって言ってたから当たり前って言われたら当たり前だけどさ」
すごく心が痛んだ。ライディーンを勝手に疑って、勝手に試したこと。
同時に、ライディーン以外のヒトが取ったんだとしたら、探すのは相当困難になる。どうやって探したらいいか分からない――それはとても絶望的なことだった。
何も言えなくなってじっと黙り込んだ。
また紫の瞳を思い出しそうになってぶんぶんと頭を振る。
「アレイさん……」
それなのにぽろりと口から名前が転がり出た。
しまった、と思った。
じわりと目頭が熱くなる。
「クロウリー伯爵がどうかしたのか」
後ろからライディーンの声がした。
答えられない。声を出したら泣き出してしまいそうだった。
沈黙が訪れた。
長い長い静寂の後、ライディーンはもう一度口を開いた。
「なあ、ラック。さっき俺には悪魔耐性があるって言ったよな」
「うん」
その強さのほどは分からないけれど、少なくとも一般人よりは高いだろう。
「それは、俺にもレメゲトンになる素質があるっていうことだと思っていいか?」
「分かんない。おれはミジュクモノだから。でも、少なくともレメゲトンになるには耐性が必要なんだって。じぃ様に聞けば分かると思うよ」
そう言うと、ライディーンはふいに正面に回ってきた。
高い位置にある顔を首いっぱいにして見上げると、ライディーンは真剣な顔で言った。
「ラック、一生の頼みがある」
「何?」
「俺をレメゲトンにしてくれないか」
「?!」
言っている意味が分からなかった。
来年には漆黒星騎士団剣術部隊 鷹に所属するだろう。ファイさんの話からするともう何年もしないうちにリーダーになり、行く行くはライガさんの後をついで部隊長に就任するだろう。
それを蹴ってレメゲトンになりたいと言うのか……?
「だって、ライディーンは騎士なんだろ。強くなるんだろ? アレイさんに勝つんじゃなかったの?」
頭が混乱した。
「でも俺に力があるんならそれを試してみたいと思うのが普通じゃないのか?」
見上げた藍色の瞳は真剣だった。
同時に強い意思の炎が揺らめいていて、その迫力に圧倒された。
「騎士と言う位にはこだわらない。俺の力を知らしめる事が出来るならレメゲトンのほうが有効だ」
「……おれにライディーンをレメゲトンにする権限は無いよ」
あるのは王様だけだ。
「でもお前はレメゲトンだ。未熟者だといっても偉いヒトたちと少しくらい繋がりがあるだろう?」
「そりゃ、じぃ様とかに聞いてみれば……」
「頼むよ!」
ライディーンは深く頭を下げた。
「この騎士団に来て、お前に会えたことはリュシフェルの導きだと思っている。俺に与えられた幸運だと」
「ライディーン」
「俺は自分の力を試したいんだ。自分の力を世に知らしめたいんだ。自分が出来るすべてを見せ付けたい」
「やめて、頭を上げてよ」
そんな風にしないで欲しい。
新しい世界でやっと見つけた友達なのに。
「分かった、明日じぃ様に聞いてみる。きっとじぃ様なら何とかしてくれる」
「本当か!」
ライディーンはぱっと顔を上げた。
「でも、うまくいくとは限らないんだ。おれにもレメゲトンのことはよく分からなくて……でも、ライディーンがそれだけ強く望むのなら、できる限りやってみるよ」
「ありがとう、ラック!」
本当に嬉しそうに笑った彼の顔を見て、がんばろうと思った。
でも、がんばらなくちゃいけないことはいっぱいある。
何より先にコインを探さなくちゃ。その間にも忘れず剣術や馬術を学ばなくちゃ。最終的には今よりずっともっと強くなって早く大切な二人の元へ急がなくちゃ。
やりたいこととやらなくちゃいけないこととがたくさんありすぎて体がばらばらになってしまいそうだ。
一体何から初めていいかわからない。
それでも一つ一つクリアしていく以外にきっと前に進む道は無いのだろう。
この時期を必死になって乗り越えていけばその先に大きな成長があると信じている。きっとあの二人の隣に立てると信じている。
だから――




