SECT.12 コイン
漆黒星騎士団の訓練所に来てからはや2週間が経とうとしていた。
最近では一般志願兵の訓練も同時に行われるようになっていた。その人数は数百人にも上り、騎士団のヒトたちが講師として呼ばれることも多かった。
とはいえそれは先輩たちの仕事であり、鴉と行動を共にする自分にはあまり影響が無い。
他のことは何も考えず、朝から晩まで稽古をする日々。毎日が充実していて自分が少しずつ強くなっている感覚があった。
一度だけ戦況は拮抗しているという情報が噂として入ってきた。軍は軍で、レメゲトンはセフィラと互角の戦いを繰り広げているらしい。
しかしセフィラは10人もいるのだ。戦線に立つねえちゃんとアレイさんがいくら強いと言っても二人だけではいつか押されてくるだろう。
早く行きたいという気持ちと、まだ早いという現実の狭間で心が破れそうになる毎日を過ごしていた。
そんなある日だった。
その日も夢を見ていた。ここの所ずっと同じ夢だ。
とても暗い部屋で壁がどこにあるのかも分からない。周りには数人の大人たちがいる。みな黒いフードを目深にして顔は分からない。長いローブは全身を覆っていて、男女の区別すらつかなかった。
そして目の前にあるのは黒々とした魔方陣。直径3メートルはあろうかというそれは、周囲に灯された蝋燭の光に照らし出されて禍々しい空気を放っている。
自分はそれを見つめている。
紋様に見覚えはない。魔法陣の辺縁に所狭しと書かれている文字が古代文字だと言う事以外何も分からない。
するとふいに両腕をつかまれ、地面に伏せられる。
抵抗する間もなくその魔方陣の中央にうつぶせにさせられ、両手両足を鎖で拘束された。大の字にうつぶせる形で動けなくなる。
床が冷たい。鎖は太く全く身動きが取れそうにない。
叫ぼうとすると口に轡を噛まされ、抵抗できない状態に陥った。
凄まじい恐怖が全身を駆け抜ける。
周囲の大人たちは言葉を発しない。周囲の蝋燭が風も無いのにふわりと揺らめく。
蝋燭の明かりに煌くものが照らし出された。
――銀のブレイドがこちらに向けられていた
はっと目を覚ます。
もう朝だ。
汗に濡れた全身をベッドの上に起こし、辺りを見回すとすでに同室の3人はいなかった。
「みんなもう練習に行っちゃったのか」
ふう、と一息つく。どうやら寝坊してしまったようだ。
起きて着替えようとして違和感に気づいた。
何かが足りない。
「……!」
気がついて顔から血の気がさっと引いた。
コインのペンダントが首から消えていた。
心臓の音が耳の傍にある。
呼吸が苦しくなった。
「昨日の夜……はあったよね。」
千里眼の練習をしたから。
だいぶ使えるようになった能力でずいぶん長い間遠くの町を観察していたんだ。
調子に乗ってやりすぎて、ふらふらになってしまって歩けなかったからライディーンに部屋まで送ってもらって……その後倒れるように眠ってしまったんだ。
ペンダントは?
うん、首にかけてあった。
じゃあその後だ。
眠っている間に誰かが盗った?一体誰が?
いずれにせよコインを失くした、もしくは盗られたとなると大問題だ。
「誰に言ったらいいんだ……?」
ライディーン?違う。
ヴィッキー……じゃなくて。
「クラウドさんっ!」
篭手をするのも忘れて、短衣にサンダルという姿で部屋を飛び出した。
どうしよう。どうしよう。
恐ろしい考えが頭の中をぐるぐる渦巻いている。
訓練所内を一気に駆け抜け、以前教えてもらった騎士団長の居住を目指した。
到着した時にはすでに息が切れていた。苦しい。もう走ったせいなのか恐怖が原因なのか分からない。とにかく心臓が破れそうなほど飛び跳ねている。
膝に手をついて息を整えていると、聞きなれたテノールが降ってきた。
「ラック。どうしたんだい、こんなに朝早く」
「クラウドさん!」
姿を見た瞬間に泣きそうになった。
尋常でない様子に何かを感じ取ったらしい。
「……何かあったのかな、可愛いラック。落ち着いて」
漆黒の騎士服に身を包んだ団長さんは、なだめるように肩に手を置いた。
「あの、コインが、アガレスさんとフラウロスさんが……!」
「ゆっくり話すんだ」
「失くなった、の」
かろうじて紡いだ言葉に翡翠の瞳が大きく見開かれた。
「朝起きたら……コインが無くて……」
「それは他の誰かに言ったかな?」
「ううん、クラウドさんに、言わなくちゃと思って……」
「いい判断だ」
クラウドさんはぽん、と頭に手を置いてくれた。
その瞬間に泣きそうになったのをぐっとこらえた。
「中に入って待っていて。すぐ戻る。そうしたら詳しい話を聞かせて欲しい」
「わ、分かった」
震える声で返答した。
クラウドさんはもう一度頭を撫でると、黒いマントを翻してどこかへ向かった。
クラウドさんの部屋でじっと待っていた。
自分たちの共同部屋とそう変わらない造りだったが、客間が一つ付いている事だけが違っていた。大量の武器が置いてあったけれどそれらを見る余裕もなく、ただじっとソファにうずくまっていた。
コインが無い。
アガレスさんに会えない。フラウロスさんを呼び出せない。
そんな自分はもうレメゲトンじゃない……?
恐ろしい考えに肩が震えた。自分の体を抱くように肩を掴んで震えを止める。
どうしたらいい。自分は一体何をしたらいい?
「助けて」
紫の瞳を思い出しそうになってぶんぶんと頭を振った。
ここにあのヒトはいない。目の前の選択肢は自分で減らすしかないんだ。
よく考えるんだ。
まず、何故コインを盗る必要があったか。
理由を考えたとき最もあり得るのは敵、つまりセフィロト国の仕業だということ。しかし、セフィラでもない限りこの王都の側壁に沿うよう作られた訓練所には入れない。盗られたのは夜中だからセフィラは天使を召還できない時間だ。
他に考えられる理由としては、高く売れると思った、国を脅そうとした、もしくは自分に対する個人的な恨みなどがあるが、どれもぴんと来ない。ここが騎士団の訓練所である以上忍び込むのにはかなりの度胸と強い動機が必要だろう。
すると、考えられるのは……
コンコン
その時ドアをノックする音がした。
「はい」
「失礼します」
入ってきたのはオレンジの髪の女性――鴉リーダー、ヴィクトリア=クラークだった。
「ああ、ラック。大丈夫か?団長に体調が悪いと伺って服を持ってきたのだが……顔色が悪いな。無理をせず休んだ方がいい」
「ありがとう」
体調が悪いわけではなかったが、本当のことは言えなかった。
ひどく心苦しい事ではあった。
しかし、ヴィッキーもコイン盗難の容疑者である事は間違いない。
特にあの時同じ部屋にいたのだから最も疑ってかかるべきは彼女とメリル、シアの3人だ。
「鷺部隊長には私から言っておこう」
「お願い」
そうして見上げたヴィッキーの顔色が悪い事に気づいた。
「ヴィッキー? おれよりヴィッキーの方が辛そうだよ? だいじょうぶ?」
「ああ、少し動悸がするな。いや、大丈夫だ。休めばすぐ……」
そこまで言ってヴィッキーはふらりと床に崩れた。




