SECT.29 ありがとう
ゲブラとの戦いで破壊してしまった道にはまだその爪痕が多く残っていた。
灰色の石畳はめくれ上がったままだったし、割れた窓は布で一時的に塞いであるだけだった。焼けた街路樹は黒い傷口を顕わにしていた。
それを見ていられなくて少し目を伏せた。
フラウロスさんがうまく言うことを聞いてくれなかったのは自分のせいだ。
もっともっと強くならなくちゃ。みんなを守れるように。
からんからん、と軽快な音をたててカフェに飛び込んだ。
マスターがお腹をたゆんと揺らしてこちらを向く。
「おう、ラック。ミーナさんはもう大丈夫かい?」
「うん、元気になったよ。ケーキ持って帰って一緒に食べるんだ! フルーツケーキちょうだい。3つね!」
指を3本立てて言うと、マスターはショーケースからフルーツケーキを三つ取り出して箱に入れてくれた。
きれいに包装して包みを渡してもらうとき、ぽつりと言った。
「あのね、マスター。おれ、王都に行くんだ。ねえちゃんと、アレイさんと一緒に」
「そうか」
「立派なレメゲトンになれるようにがんばるよ」
マスターは優しい瞳で笑った。
「大きくなったな、ラック。こうやって子供たちは巣立って行ってしまうんだなあ……」
ねえちゃんと同じ事を言ってマスターは大きな手でぐしゃぐしゃとおれの髪をかき回した。
「行っておいで。でも、ここはお前の故郷に違いない。いつでも帰ってくるといい」
「うん!」
大好きだったマスターのお腹ともお別れだ。
名残惜しかったけれど、ケーキの箱をもってマスターの店を後にした。
ああそうだ、ちびマスターにも挨拶しなきゃ。あとは鍛冶屋のゼルと、それから……
考えながら歩いていると、明るい少女の声がした。
「ラック! もう大丈夫なの?」
「あ、カンナ」
商品を棚に並べている果物屋の看板娘、カンナが声をかけてくれた。
「レメゲトンになったって本当だったのね。もしかするとミーナさんもあの綺麗な男の人もレメゲトンなのかしら?」
「うん、そうだよ。二人ともすごく強いんだ。おれもがんばらないと!」
「じゃあラックはもうこの街には戻ってこないのね」
「おれは王都で立派なレメゲトンになる勉強をするよ。今度は街をこんなめちゃくちゃにせずにあいつらを追っ払ってやるから!」
そう言うとカンナは少し寂しそうに笑った。
「ラックがいなくなると寂しくなるわね」
「また遊びに来るさ」
最初にこの街を離れた時とは全く違う感情が自分を満たしていた。
絶望でも喪失でもない、希望と決意が後押ししている。これまでの世界から離れるんじゃない。新しい世界を創っていくんだと――これから広がっている未来に期待を持つことが出来る。
もっと広い世界を知る事が出来たから。
「ねえラック、鍛冶屋のゼル兄ちゃんから聞いたんだけど、あなた女の子だったの?」
「そうだよ」
今回この街に帰ってきてから何度この質問をされただろう。
いかにねえちゃんの言葉が正しかったかを知る結果となってしまった。
「知らなかった。でも言われて見るとすごく美人になった気がするわ。何で気づかなかったのかしら。年は幾つなの?」
「18歳らしいよ」
「私より年上じゃない!」
カンナは驚いた声を出した。
「もう、ぜんぜん知らなかったわよ。びっくりさせないで。」
「別に隠してたわけじゃないよ。勝手にみんながそう思ってたんだ」
これも何度も繰り返した台詞だ。
「それじゃあ、あの綺麗な男の人はもしかしてラックの恋人なの?」
「コイビト?って、何?」
そう言うとカンナは驚いたように目を丸くした。が、すぐに困ったように笑った。
「そうよね、ラックだものね。いいわ、気にしないで」
「?」
よく分からなくて首を傾げると、カンナはふふふ、と楽しそうに笑った。
「ラック相手じゃあの人も大変ね」
何だかねえちゃんも似たようなことを言っていた気がする。
そりゃおれは馬鹿だし記憶力も全然ないし何にも出来ない弱いレメゲトンだけど、アレイさんに迷惑をかけるつもりはさらさらないはずなのに。
「あのね、ラック。あの綺麗な男の人、すごくラックのことすごく大切に思ってるのよ。私が助けを呼びに行った時だって何もかも放り出して飛んでいっちゃったんだから」
「嘘だあ。アレイさんはおれのことうるさいガキだと思ってるよ。いっつもイジワルだしシツレイなことばっかり言うし」
そりゃたまに、ごくたまに優しい事だってあるけれどそれは本当に珍しいことだ。
「そうなのかしら。でも、お礼は言ったほうがいいわよ」
「うーん……分かった」
でも、素直に言えるかなあ。
言えたとしてもアレイさんからまたイジワルな台詞を受け取ることを予想して、今のうちに少し身構えておくことにした。
マスターの店のケーキとカンナのところで貰った桃を手にねえちゃんの店に戻ると、アレイさんは店のテーブルでいつだったか教えてくれたカードの占いをやっていた。
おれが入ってきたことに気づくとカードをすぐに片付けてしまった。
「何を占ってたの?」
「ガキは知らなくていい」
すでにその口調にむっとしたけれど、ケーキの箱と桃のことを思い出して機嫌を直した。
うん、それにちゃんとお礼を言うって決めたんだった。
「あのね、アレイさん」
「何だ?」
「カンナがね、あ、カンナっていうのは果物屋さんの女の子だよ」
「ああ、あの時の」
「アレイさん、おれが助けてって言った時にすぐに来てくれたって聞いたから、あの……」
改めて言うのって何だか照れくさい。
真直ぐにアレイさんの紫の瞳を見るのが何だか気恥ずかしくて、すこし視線を外してしまった。
「ありがとう」
なぜだろう。これまで人の目を見るのが恥ずかしいなんてことなかったのに。
ありがとうと思ったらちゃんと言えたし、話す時は人の目を見なさいというねえちゃんの教えに従っていた。
それなのに今はすごく照れくさくてアレイさんを見る事が出来なかった。
こんなこと初めてだった。
アレイさんは予想通りイジワルな返答をくれた。
「そんな嫌そうな礼はいらん」
「嫌なわけじゃないよ。ただ……かしこまって言うのがすごく恥ずかしかっただけだ」
「恥ずかしい? お前にそんな感情があったのか」
「知らないよ。おれだってびっくりしてるんだ。今までこんなことなかったのに……」
本当に不思議だ。でも、すごくドキドキしている自分がいる。ただお礼を言うだけだって言うのに、なんでこんなにも照れくさいんだろう。
唇を尖らせると、アレイさんはいつもみたいに無表情でぼそりと言った。
「お前はいつも危なっかしいからな、知らない場所で危険な目に遭われると厄介だ。これからは……」
アレイさんは言いかけて口を噤んだ。
「これからは……何?」
「何でもない。忘れろ」
アレイさんは早口でそう言うとそのままそっぽを向いてしまった。
「気になるよ」
「絶対言わん」
そんな力込めて言わなくてもいいじゃないか!
むっと唇を尖らせると、ねえちゃんが店の奥から出てきた。
「あらどうしたの、また喧嘩したの?」
「ねえちゃん聞いてよ。アレイさんがねー……」
「やめろくそガキ」
「ガキって言うな!」
「アレイ、ラックをからかうのはやめなさい」
ねえちゃんが窘めてくれたけれど、アレイさんは返事をしなかった。
「もう……明日には王都に帰るのよ。二人とも準備しなさい!」
「はあい」
アレイさんが何を言おうとしていたのかとても気になったけれど、きっとイジワルな台詞に違いない。
聞かなくてもよかった。
そう思ってすぐに忘れてしまった。




