SECT.27 グレイシャー=L=グリフィス
荒い呼吸を整えて、すぐにねえちゃんのほうを振り返る。
だいぶ扱いに慣れてきた炎で括りつけていた縄をすぐに焼き切った。ぼう、と音がして縄が焼けるのが分かった。
ふわり、とねえちゃんの体が宙に浮く。
「ねえちゃん……」
おれの力だけじゃ本当は無理だけど、今はフラウロスさんの加護があるから軽々とねえちゃんの体を受け止める事が出来た。
やっと帰ってきたねえちゃんの瞼は硬く閉じられていて、まるでもう目を覚まさないかのような不安を覚えた。
それでも今腕の中にいるというだけで泣きそうなくらいに嬉しかった。
「やっと戻ってきたな」
いつの間にかアレイさんが隣まで来ていた。
「すぐに戻ろう。おそらく血がかなり足りていないはずだ」
「血が?」
そう言われてはっとして十字架の根元についていた硝子の球体を思い出す。
赤くてどろりとした液体で占められていたもの。
「血の制約だ……死なない程度に、しかし動けない程度に血を流させる。それをずっと繰り返すことで人質を動けなくする一つの方法だ」
「っ!」
「この十字架はそのための器具だ。それも流した血を集められるようになっているらしい」
信じられない。そんな悲惨な物が存在するなんて!
ところが、振り向くと十字架の根元に赤い球体はなくなっていた。
同時にゲブラの声が階下から響いた。
「仕方ないからこれだけで我慢するよ」
銀髪のヒトを片手で二人抱え、さらに反対の手には真っ赤な液体で満たされた硝子の球体を乗せたゲブラは、さすがに先ほどの攻撃が効いているのか、苦しそうな表情をしていた。
「さっきの攻撃、かなり効いたよ……本当に先が楽しみだ。今度こそ戦場で会おう、黄金獅子の末裔のグレイシャー=L=グリフィス?」
「?!」
その名前に忘れられていた魂が反応した。
心臓がどくりと脈打って、冷や汗が顎まで伝った。
「それ……おれの名前なのか?」
「そうじゃないかな。ここを使う前に屋敷をチェックしたら、ここは王都を追放されたグリフィス家の隠れ屋敷だったようなんだ」
「何?!」
「ああ、資料はもうすべてセフィロト国に送ったから探してももう何もでないよ。グレイシャー=L=グリフィス……資料に一人娘の名前として載っていたよ。年は今年で18になる娘というと君ぐらいしかいないだろう。君は黄金獅子の末裔なんだろう?」
返答できずに口をつぐむと、ゲブラはくすくすと笑った。
「本当に大変だよ。ティファレトが君に執着するわけだ。かく言う僕もそうだけどね、君の隣にいる彼もきっとそうなんじゃないかな?」
「どういうことだ?!」
「そのうちきっと分かるだろう。背負うものの大きさに。世界の広さと関係性に。そしてその時君はいったいどういう結論を下すんだろうね?」
まるでアガレスさんが紡ぐように全く理解できない台詞を吐いて、ゲブラはくすくすと笑った。
「とても楽しみだよ」
そうしていつものようにふいに姿を消した。
天使さんも召還していないのに、なぜあのヒトはいつも消える事が出来るのだろう?
あとには静寂が満たす空間におれとアレイさんとねえちゃんだけが残された。
「グレイシャー=L=グリフィス……それがお前の本当の名前なのか?」
「分かんない……ぜんぜん覚えてないんだ」
改めて階段の上から玄関ホールを見渡した。
確かにフラッシュバックで見る光景の背景と同じではあったが、何の懐かしさも感じない。本当に自分はここにいたのだろうか。
全く思い出せない。
無理に思い出そうとするとまたあのフラッシュバックが帰ってきそうだった。
「まあいい。それは後でも調べられることだ。とにかくねえさんを医者に連れて行かねば」
「分かった」
と、言ったはいいが視界がぐるりと回転した。
おかしいな、と思ったときにはもう遅かった。
フラウロスさんは魔界へ帰ってしまって、加護を失った自分は完全に意識を失ってしまったのだった。
きっとその後一番苦労したのはアレイさんだと思う。
ねえちゃんとおれを一人でカトランジェの街まで運んで、医者を呼んでさらにはほとんど付きっ切りで看病してくれたんだから。
目が覚めたとき、隣のベッドにねえちゃんが眠っていた。
顔は蒼白だったが、近づいて見ると息をしているのが感じられてほっとした。
「起きたか」
バリトンの声が響いた。
「アレイさん……ここは?」
「ねえさんの店の奥だ」
言われてみると天井の白さとか壁の絵なんかに見覚えがあった。
ベッドに起き上がると、少しだるさは残っていたがずいぶんと回復していた。ただ、動くと顔とか首とかの皮が突っ張った。
そういえばフラウロスさんの炎で少し火傷をしたんだった。
手のひらを見ると真っ赤になって腫れていた。ここも火傷したらしい。
服はそのままだったが、両手の篭手ははずされていた――左手の甲のラースのコインが剥き出しになっていて落ち着かない。
「アレイさん、篭手は?」
「ここだ」
アレイさんが渡してくれたのは、焼け焦げた黒い篭手と黒く変色した一枚の羽根だった。
一瞬首を傾げたがすぐに気づいた。ここに旅立つ前アイリスに頼んで篭手の裏に縫い付けてもらったマルコシアスさんの羽根だ。
「フラウロスに直接触れるなど自殺行為だ……マルコシアスの加護に守られたな」
「あっ、あの時の……」
フラウロスさんの炎が目の前に迫った時に優しく包み込んでくれたのはきっとこれだ。灼熱の炎の中で自分を守ってくれたのはマルコシアスさんの光だったのだ。
変色してしまった羽根を受け取って両手で包み込んだ。
これがなかったら大火傷、運が悪ければ命を落としていたかもしれない。
「ありがとう、マルコシアスさん」
いつもみんなに助けられてばかりだ。
どうやら自分はまだまだ未熟者らしい。
「マルコシアスさんにお礼が言いたいんだけど、呼び出してくれないかな」
「いいだろう」
アレイさんが名を呼ぶとすぐに褐色の肌の剣士が姿を現した。
この狭い部屋で背の大きな翼は少し邪魔そうだった。
「無事で何よりだ 幼き娘」
「ありがとう、マルコシアスさんのお陰だよ。この羽根がおれを守ってくれたんだ」
「それは我が加護の一部 主を守るよう働く だがフラウロスの炎は 防げぬようだな」
マルコシアスさんの手が腫れた頬に触れた。
微かに痛んで顔をしかめると、すぐに手を引いてくれた。
「こうなるのが分かってたの?」
「お主の性格上 命の危機があると思った」
「だろうな。考えなしの無鉄砲だからな」
アレイさんがため息をついた。
むっとしたけれど本当のことなので言い返せない。
「これからもきっと何回も……」
言いかけてアレイさんは口を噤んだ。
「心配事が尽きぬな」
マルコシアスさんは優しげに微笑んだ。
その笑顔を見て思わずどきどきした。
「これは クローセルからだ」
「クローセルさん?」
思わず首を傾げると、マルコシアスさんは一枚の羽根を差し出した。
受け取って見ると、彼の羽に似ていたがほんの少し根元が青みがかっている気がした。
「水を使うクローセルの加護があれば フラウロスの炎も遮断できるだろう」
「クローセルさんがおれにくれたの?」
「持っているといい きっと役に立つ」
「わかった。今度お礼言っておくね!」
「我の加護も 与えよう」
褐色の肌の剣士は自らの翼から一枚の羽根を抜き取って手渡してくれた。
純白のそれは手の中で風もないのにさざめいて柔らかな感触をもたらした。
「ありがとう。大事にするよ」
「出来れば使わないでいて貰いたいな」
「アレイさん、もしかしておれのこと心配してくれてたの?」
「……してない」
「そうなの?」
「お前は心配して欲しいのか?毎回毎回死にそうな目にあうんだ、心配していたらこっちの身が持たん」
「おれだって好きで危険な目にあってるわけじゃないよ!」
「少しは努力しろ」
アレイさんがいつもの調子に戻ってしまったようだった。
今回の旅の間はいろんな事を教えてくれてちょっとだけ優しかったのに。
「アレイさんのいじわるー!」
「好きに言え」
そのやり取りを見て楽しそうに微笑んだマルコシアスさんは、そのまま空気に溶けるように消えていた。




