SECT.26 血の再会
王都ユダで見た貴族のお屋敷はほとんどが白い壁だったのに、このお屋敷は壁が真っ黒だった。
巻きついた蔦が禍々しく演出しているその屋敷は見覚えがあるのかどうかも思い出せなかったが、全身が警鐘を鳴らしていた。
胃が反り返りそうだ。全身の震えも止まらないし、治ったはずだった背の逆十字の傷が微かに痛んだ。冷や汗で背中がぐっしょり濡れていた。
お屋敷自体はもう誰も住んでいない事がすぐに分かった。
窓はあちこち割れていて、壁が崩れている箇所すらある。
アレイさんは躊躇わず扉に手をかけた。
きしんだ音がした、と思ったらすさまじい音を立てて扉は反対側に倒れていった。
その音に思わずびくりとする。
「入るぞ」
静かな屋敷にアレイさんのバリトンが響いた。
「うん」
精一杯の返事をして屋敷に足を踏み入れる。
その途端――血の匂いがした。
もう限界だった。
「うあああああ!!」
全身を凄まじい激痛が貫いた。
目の前を銀髪の天使が通り過ぎていく。むせ返るような血のにおいと真っ赤に染まった視界が自分の中をかき乱す。
自分の手が真っ赤に染まっている。
銀髪の天使の群青の瞳が近づいてくる。6枚の翼が暗闇に閃いた。
痛い 苦しい
「助けて……!」
気が遠くなりそうな痛みと衝撃の中で、様々な光景が目の前を通り過ぎていった。
これまでより少し鮮明になった映像の背景は……
「ラック!」
バリトンの鋭い声で我に返った。
目の前に紫の瞳があって、ほっとした。アレイさんの胸に頭を預けて息をついた。
フラッシュバックは消えたが背中の逆十字の傷はまだ痛んだ。
「ああ、前にも一度こんなことあったね……」
どうやらアレイさんの声を聞くと正気に戻れるみたいだ。
「このお屋敷ね、たぶん知ってる。昔来たことあるよ。もしかしたら、住んでたのかもしれない」
フラッシュバックで見える過去の光景の背景はこのお屋敷のものだ。
そう唐突に確信した。
「何だって?!」
「よく分かんない。ぜんぜん覚えてないんだけど、そういう風景が見えたんだ、さっき」
吹き抜けホールの天井にある大きなシャンデリア。目の前に伸びる大きな階段と、その向こうに見えるのは全面にはられた大きな窓――
「……え?」
その窓を見上げた時、何か影が映った。
とても見たことのある、ずっと捜し求めていたシルエットだった。
「ねえちゃん!」
その瞬間に何もかも忘れた。
背中の古傷の痛みもフラッシュバックの光景も全身を襲っていた嫌悪感も恐怖も、すべてが幻のように消滅した。
十字架に両手を広げて括りつけられたねえちゃんの姿がそこにあった。
先ほどまで全く動かなかった足が動いた。
一気に階段を駆け上った。
「ねえちゃん!」
ねえちゃんはぐったりとしていて眼を開ける様子はなかった。
括りつけられた十字架の根元にはガラスのようなもので出来た球体があり、それは赤くてどろどろした液体で満たされていた。
「すぐ降ろすよ!」
追いついたアレイさんと協力してねえちゃんを降ろそうとした時・・・聞きたくて、でも聞きたくなかった声が響き渡った。
「レメゲトン!」
はっとして振り向くと、階段の下に立っていたのは銀髪のヒトたちだった。
暗闇に浮かぶ銀髪――それは再びフラッシュバックを呼び覚ました。
全身を激痛が貫いた。同時に襲い掛かってくる凄まじい恐怖と嫌悪感、そしてまるで壊れた鏡に映し出されたような断片的な映像群が目の前を駆け抜けた。
これまでで最も鮮明な映像だった。
見たことのある6枚翼の天使は銀髪と群青の瞳、それに彫刻のように整った顔立ちをしている。
その天使は自分のほうに近づいて、細く長い指をこちらに向けた。
額が焼けるように熱くなった。
「あああああああ!」
全身の痛みを全て払拭するような熱さに喉の奥から悲鳴がほとばしった。
額が焼けるように熱い。
あの時と同じだ。
初めて銀髪のヒトの天使さんを見た時と――
「ミ……カエル」
自分のものでない声が喉から絞り出される。
嫌だ。嫌だ。
おれを支配しないでくれ!
「会いたい ミカエル」
やめてくれ!
額と背中の逆十字の傷が熱い。フラウロスさんを抱きしめた時よりも熱い。
気が狂いそうだ……!
「しっかりしろ、このくそガキ!」
アレイさんの声で現実に引き戻された。気がつくとアレイさんと二人の銀髪のヒトが階段下で打ち合っていた。
その背後にマルコシアスさんがいて、加護を受けて一方的な攻撃を仕掛けているのが見て取れた。
荒い呼吸を整えて立ち上がろうとしたが、全身に力が入らなかった。
アレイさんは二人を相手にしながら叫んだ。
「ねえさんをすぐに降ろせ! そのままでは命が……!」
「そうはさせないよ」
「!」
階段の手すりに降り立ったのは、一人の手品師。
体が言うことをきかない。今にも床に沈んでしまいそうだ。
「彼女一人でもセフィロトに持ち帰らないと、王がうるさいんだ」
「ねえちゃんは……渡さない!」
負けるわけにはいかない。
ここにいるねえちゃんを守るんだ。やっと見つけたんだ。絶対に連れて帰るんだ!
「フラウロスさん、力を貸して!」
その瞬間、体の隅々まで力がみなぎった。
アガレスさんに加護を受けた時とは全く違う感覚だった。
体の内に秘められたエネルギーが今にも暴走を起こしそうな感覚だった。
「おやおや、すばらしい成長だね。ほんの数時間で加護まで受けられるようになってしまうとは。本当に面白い素材だ」
「どっか行け! ねえちゃんに近づくな!」
こいつがねえちゃんをこんな風に動けなくしたんだと思うと怒りがおさまらなかった。
その感情に連動するように右手から火の玉が飛び出した。
「おっと」
手品師――ゲブラは軽く跳んで階段の真ん中に着地した。
「感情に任せた攻撃は読みやすい。いくら加護を受けてもそれじゃ僕には勝てないよ」
「知るか!」
両手を前に突き出すと、真直ぐな火の槍がゲブラに向かって飛んだ。
彼は全く慌てることなく天井近くまで飛び上がり、なんと自分の目の前に着地した。
「!」
「真直ぐな攻撃はよけやすい。攻撃はもっと捻ったほうがいい」
熱を込めた右手で殴りかかったが、あっさりとかわされた。
次々こぶしを繰り出したけれど全く当たらない。攻撃がかすりもしない苛立ちでさらに手数を増やすが全く当たる気配はない。
「くそお!」
がむしゃらに繰り出した左足の蹴りも軽いステップでかわされてしまった。
「いや、面白いね。どんどん成長しているよ」
嬉しそうな声に神経を逆なでされた。
そこからは無意識のうちに体が動いていた。
両手に火の玉を作り出した。そのうち一つをゲブラの頭に向かってぶつける。
それが避けられるのは計算のうちだ。本命は次……
「はぁっ!」
気合と共にもう片方の手を横に薙いだ。
先ほどの攻撃を避けたときに軸が後ろにぶれている。体を折って避けるしかないゲブラに、何の慈悲も湧かなかった。
横に薙いだ手を返し様、上に向かって捻りあげた。
そう、ガードがあいたゲブラの喉元に炎の塊をぶつけたのだった。
「ぐっ……!」
苦しげなうめき声と共にゲブラは階段の下に吹っ飛んだ。
そのまま床に倒れこんで動かなくなる。
ちょうどアレイさんが銀髪のヒトたちを床に沈めたところだった。




