SECT.25 過去への道標
全部を受け止めることは無理だ。情報量が多すぎる。
懐中電灯で照らすようにして一方向の情報を整理することから始めた。そのほかの情報は遮断する。
そうしようと思ってもなかなかうまくいかない。
いつもなら聞こえない音が様々に入り混じって頭痛を誘発する。見えないはずのものが見えて目の奥が熱くなる。
それでも必死に手がかりを探した。
ねえちゃんを運び込んだならその痕跡が何かしらあるはずだ。
集中していた時間はほんの数十秒に過ぎなかったと思うが、まるで何時間も何かを探していたかのように脱力した。
全身から汗が噴出した。
思わず膝をついて荒くなってしまった呼吸を整えた。
それでも……
「見つけた……よ」
ここから見える範囲ぎりぎりのところに、大きな道から横に入る細い道が伸びていた。ずいぶん長い間使われていなかったのか草が隠していたのだが、そこを最近何かが踏み荒らした跡が残っていた。
おそらく、セフィラたちがねえちゃんを運んだ跡だ。
きっとそうに違いない――そうであって欲しい。
「立てるか?」
「……うん」
膝が笑っている。
いくらか集中しただけなのに体中の力を使い果たしてしまったみたいだ。
それでも渾身の力を込めて近くの木にもたれかかるようにして立ちあがった。
「それでは動けないだろう」
「だいじょうぶだよ。ねえちゃんのところに行かなくちゃ……」
一歩踏み出してよろけた。
それをアレイさんが支えてくれる。
「そんな状態では足手纏いだ。ここで待っていろ」
「やだ、行く。ねえちゃんに会いたいんだ」
とは言っても先ほどから駆使した眼は白い靄がかかったように前が見えないし、アレイさんの声はすごく遠くに聞こえた。木にかけた手に力は入らないし、足元はふらついて真直ぐ歩けそうになかった。
どうやらアガレスさんの加護がなくなってしまったらしい。一瞬意識がとんだのが原因だろうか。
アレイさんのため息が聞こえて、体がふわりと浮く感覚があった。
「連れて行ってやるからおとなしくしていろ」
目の前にアレイさんの黒髪があった――どうやらここはアレイさんの背中の上らしい。
いつの間にかマルコシアスさんの加護も消えていた。
ぼんやりと霞がかった視界は夜の闇も手伝って周囲の様子はほとんど分からなかった。
「場所はどこだ?」
「小さい道。ここから見えるぎりぎりくらいの所、すぐに草で隠れてて見づらいんだけど左に抜ける細道があるよ。少し踏まれてるからすぐ分かると思う」
「わかった」
正面から風が吹いてきた。
それは風が吹いたのでなくアレイさんが走り出したからだとすぐに気づいた。ぼんやりした視界の中で、アレイさんが草に分け入ったのも分かった。
この先にきっとねえちゃんがいるはずだ。
どきどきした。
小道は入り口こそ隠してあったが、しばらく行くと平坦な道に変わった。
「かなり人が通った跡があるな。頻繁に使われていたらしいが……ここ数年は使われていないようだ」
「そうなの?」
視界がぼんやりしてよく見えない。
「ああ。この先に何かあるのか……それこそレグナの住処にあったような天使崇拝の村や教会が残っているかもしれない」
「!」
レグナの住処、と聞いて胸がずきんと疼いた。
それを隠すようにアレイさんの首にぎゅっとしがみついた。
「……あまりくっつくな、暑苦しい」
「でも」
「離れろ。置いていくぞ」
「むぅ……」
仕方がないので手をほどいて体を離した。置いていかれては困る。
少しずつ視界が晴れてきた。
眼が慣れてくると今アレイさんが歩いているの道は小さな馬車が一台とおれるほどに幅の広い未知だということが分かった。
いったい何故こんな外れたところに整備された道があるんだ?
「本当にこの先は何かの隠れ里らしいな。だが轍の具合から見てもすでに何年か使われていないだろう。捨てられた里と見て間違いない」
まだ先が開ける様子はない。
暗い森の中に向かって道が続いていた。
どれだけ歩いただろう、完全に眼と耳が復活した頃にようやく先が見えてきた。
木々の間に建物の影が見え隠れしている。
とてもこの山の中に似つかわしくない立派な建造物だ。王都ユダの貴族のお屋敷みたいに大きな館が森の中に忽然と現れた。
ひどく不自然だ。道を隠しているのにこんな堂々と居城を構えたのでは隠れ里の意味がない。
「これが隠れ里?」
アレイさんがいぶかしげな声を出した。
それはそうだ。確かにそうなんだけど……
「アレイさん……」
声が震えそうになった。
「止まって。降りるよ」
「どうした?」
訝しげにしながらもアレイさんは自分を降ろしてくれた。
心臓が耳元でばくばくと音を立てている。
怖い。怖い。
「わかんないけど、あのお屋敷が怖いんだ」
何故だかわからないけれど震えが止まらなかった。開けてはいけない扉を開けかかっているようで息が苦しくなった。
屋敷を視界に入れないようにしてアレイさんの背中に張り付いた。
だんだん気持ち悪くなってきた。
フラッシュバックの時と同じだ。
「ここで待っていろ。ねえさんを連れてすぐ戻る」
アレイさんが行こうとしたけれど、マントの裾をぎゅっと掴んで離さなかった――離せなかった。
一人になるのが怖かった。
紫の瞳が歪んだ。
怒ったのかな。そうだよね、ワガママ言ってるもんね。
でも、どうしてもあのお屋敷は怖いんだ。
「行くか行かないかすぐに決めろ。これ以上ねえさんをほうっておくわけにいかない」
単純な質問がとても難しく感じた。
行きたくない。でも、一人でここにいるなんて無理だ。
きっとあの屋敷にねえちゃんがいるんだ。助けに行きたい。ねえちゃんに会いたい。会いたい、会いたい……
でも震えが止まらない。
「行……く」
お腹の底に力を入れて声を絞り出した。
それだけで吐きそうになるほど気持ち悪かった。
「無理するな。駄目だと思ったらすぐに言うんだ」
アレイさんはそう言うとゆっくりお屋敷に向かって歩き始めた。
全身を襲う恐怖と嫌悪感に立ち向かいながら、その背中を必死で追いかけた。




