SECT.24 末裔の千里眼
体が軽い。信じられない速さで景色が後ろに跳び退って行く。
金目の鷹は全く遅れることなく自分にぴったりと寄り添うように空を切っていた。
「山のどの辺りかわかるの?」
斜め前を飛ぶような速度で走るアレイさんに問う。その背に浮かんでいるのは見慣れた褐色の剣士の姿だった。
飛び荒ぶ風の音がうるさい。
「おそらく登山道からそう外れてはいない」
「どうして?」
風に逆らうように声の音量を上げた。
アレイさんのバリトンが轟音の合間に鼓膜を揺らす。
「おそらくねえさんがバシンで移動した先はレグナの住処だからだ」
「え?」
「事件のあった日、レグナの住処から轟音を聞いた者がいる。それは十中八九セフィラとねえさんの戦闘によるものと見ていいだろう。だが、そこにねえさんはいなかった」
あっという間にカトランジェの街を駆け抜けて、ラッセル山に向かう一本道に入った。
日が沈んでから辺りはどんどん暗闇に支配されていく。ところが加護を受けている今、全く視力は衰えなかった。それどころかいつもより遠くまで見渡せそうな気さえした。
「そうなると考えられるのは、セフィラがねえさんをどこかへ運んだということだ。このあたりにまだいたことから考えて、天使の力による移動は行っていないようだ。なぜそうしないのかはまったく分らない。ねえさんを束縛した時点ですぐにセフィロト国へ送ればよかったものをこんなところでぐずぐずと……まあ、こちらにとってはそれが好都合だったわけだが。いずれにせよ、セフィラが物理的にねえさんを移動したことは間違いない」
「だから登山道からそう離れたところには運べない、って言うんだね」
「そうだ」
なるほど。そういう風に考えればいいのか。
ひとつずつパズルを組み合わせるように、積み木を積んでいくように理論を組み立てていけばいいんだ。
「先ほどの二人がどういう行動をとるかは分らない。とくにあの細長い方のセフィラ……奴は何かがおかしい。とてもセフィロト国を第一にして動いているとは思えん」
「そうなの?」
「そう思わなかったか? あいつの実力は俺でも勝てないかもしれない……それなのにフラウロスの加護を受けているわけでもないお前がほんの数刻だとしても耐えられると思うか?」
いわれて考えてみると、確かにあの手品師は自分と戦うよりも話すほうがずっと楽しそうだった。
加護についてもそうだった。弱みを突くどころか、まるで弱点を洗い出して正そうとしているかのような口ぶりだった。
先ほどのやり取りでいろいろな情報を得た気がする。
「男のヒトが好きだって言ってたよ。アレイさんが好みなんだって」
「……」
返事がなかった。
微かにマルコシアスさんの笑う声がした気がした。
「それとね、天使さんには悪魔さんの片割れがいる事があるって言ってたよ」
「どういうことだ?」
「おれにもよくわかんない。ただ、フラウロスさんはカマエルさんとすごくよく似てて、お互いがお互いを消そうと思ってるみたいだったよ」
「マルコシアス、何か知っているのですか?」
一瞬の沈黙があって、マルコシアスさんは抑揚ない声で言った。
「耳にした事はある だが我よりアガレスの方がよく知るだろう」
「ねえ、アガレスさん。知ってる?」
真横を飛ぶ金目の鷹に問いかけた。
「同じ魂は惹かれあい いつか互いを滅ぼすだろう」
アガレスさんの台詞には聞き覚えがあった。契約の時アガレスさんが自分に言った言葉ととてもよく似ていた。
「一つを別つ元は 光輝にある 古の戦がそもそもの発端 光は世界を二分した 波紋は様々に」
「……」
やっぱりよく分からないよ。
アガレスさんはもう少し言葉を減らすか簡単な言葉にするかどちらかにして欲しいな。
「半身を捜せ 滅ぼせばそれが真実だ 幼き娘」
「ありがとう、アガレスさん」
分かりにくいアガレスさんの返答はひとまず置いておいて、記憶の糸を手繰り寄せてフラウロスさんそっくりな天使のカマエルさんを台詞を思い出した。
――いつか互いのいずれかを滅ぼさねばならぬ相手
ちりり、と痛みにも似た熱い感覚が額を軽く焦がした。
やけどの痛みとは違うそれに、思わず額に手を当てたが特に変わった様子はなかった。
むしろ走っている間は、風が焼けた皮膚に当たって気持ちいい。
「悲しいな。自分の分身と戦うなんて」
カマエルさんの言葉に胸が締め付けられた理由はきっとそこにある。
同じもの同士戦うなんておかしい。一緒にいたらその力は倍になるはずなのに。
「戦って一人を消すんじゃなくて、二人が一緒になって一つになったらいいのに」
言うとマルコシアスさんは唇の端で微笑んで、アレイさんはすごい速さで走っているというのに器用にもため息をついた。
「……お前の言葉はたまによく分からん。きちんとした言葉を習ったほうがいいぞ、くそガキ」
「おれにだって分かんないんだよ!」
むっとして答えたが実際これ以上何も分からないのだ。
ただ黙って人間にはありえない速度でラッセル山の麓まで続く道を駆け抜けた。
山の登山口に立って、アレイさんはやっと歩を緩めた。ぶつかりそうになって慌ててブレーキをかける。
足を止めてみたが全く息が切れていない。不思議なくらい力が沸いてくる。
「すごいね。ぜんぜん疲れないや。加護を受けてるヒトには生身じゃ敵いっこないってこと、よくわかったよ」
軽く跳んだだけでアレイさんの身長を楽々と凌駕できる。
悪魔の加護があるだけでこれほどの身体能力が手に入るとは……!
「それなら今のお前には見つけられるはずだ」
「え?」
「もともとお前の洞察力は突出している。今は加護を受けて人知を超えたものに達しているはずだ。山に入ったら周囲をよく見ろ。おそらく何かしらの痕跡が残っているはずだ」
「……分かった」
アレイさんの紫の瞳を見つめ返して頷いた。
山道としては整備された部類に入るラッセルの山越えは、それでもかなりの急坂だ。
斜面を這うようにくねった坂道が続いている。道の傍まで木々が迫っていて、完全に太陽が沈んでしまったこともあわせて実際よりずっと狭い道に見えた。
アガレスさんの加護があるおかげで光がなくてもあたりの様子は分かったが、それでも夜の山道は不気味さをかもし出していた。
きっとねえちゃんが近くにいるはずだ。
感覚をさらに研ぎ澄ます。
その瞬間、木々の葉の動き一つ一つが見えた。静寂の中で小動物の動きが聞こえた。風の動きが目に見えるくらいはっきりと感じ取れた。森のざわめきが迫るように耳を侵して、風は気持ち悪くなるほどねっとりと肌に絡みついた。
いつもと比べ物にならない情報が脳に流れ込んできて、思わずくらりとした。
眩暈を感じて体が傾いだ。
「しっかりしろ!」
アレイさんのバリトンが脳を揺さぶるような大声に聞こえて、頭の芯にまで響き渡った。
思わず顔をしかめると、だんだん感覚が元に戻ってきた。木々のすれる音が遠ざかって、風の揺らめきは目の前から消え去った。
膝をついて呼吸を整える。
心臓がすごい速さで脈打っている。
「うん、だいじょうぶ……ちょっと情報が多すぎて、びっくりしただけ」
ずきずきと痛む頭に手を当てた。
「加護を受ければ 凄まじい負荷が罹る」
マルコシアスさんが静かに言った。
「慣れるまで苦労するだろう」
「うん。でも、この力を使いこなせたら何もかも見えそうな気がするよ」
「黄金獅子もその力を有していた」
マルコシアスさんの言う黄金獅子、というのは自分のご先祖様に当たるゲーティア=グリフィスというヒトだ。稀代の天文学者と呼ばれる、72人の悪魔と最初に契約を交わした張本人だ。
アレイさんの顔色が変わった。
「まさかそれは『千里眼』と呼ばれるものですか?」
「周囲の者はそう呼んでいた」
「……!」
紫の瞳が大きく見開かれた。
「黄金の瞳は 大地を見 風を聞き 流れを感じ 全てを知った」
金目の鷹――アガレスさんはまるで一遍の詩のように滔々と語った。
「黄金獅子を獅子たらしめた 能力だ」
「せんりがん?」
首を傾げると、アレイさんは信じられないといった口調で答えてくれた。
「稀代の天文学者ゲーティア=グリフィスは優れた五感を有しており、遠く離れた地の出来事を見て、鼓動の音でヒトの感情を読み取り、さらには肌で風を感じ気配を呼んだという。そしてその能力は『千里眼』と呼ばれていた、と伝承に残っている。まさか同じ能力をお前が持っているとは……」
「黄金獅子の末裔とは よく言ったものだ」
マルコシアスさんが微笑んだ。
「じゃあやっぱりこの力を使えればねえちゃんを探せるよね!」
「……そうだ」
アレイさんはまたもとの無表情に戻っていた。
アガレスさんの加護を全身に感じながら、もう一度山道を睨みつけた。
「じゃあ、もう一回がんばってみるよ」
一つ大きく息を吐いて、集中する。
肌が鋭敏になる。視界が広がる。森のざわめきが近づいてくる。
その瞬間、またも大量の情報が全身のいたるところから流れ込んできた――




