SECT.23 加護
ふわりと何かに包まれた感じがした。
その感覚には覚えがあった。
マルコシアスさんの羽根に触れたときの感覚だった。柔らかくて優しくて心から安心できるような空気に包まれた。
閃いた光のもとはラースのコインを隠している左の篭手からだった。
でもこの光はラースのものとは全く違っていた。
光が自分を包むと同時にフラウロスさんから発せられている熱から開放された。
自分に迫っていた炎の玉は光に相殺されて消滅したようだ。
「……フラウロスさん」
ぐるる、と低くうなる獣に一歩ずつ近づいた。
光の加護のおかげで熱さが和らいだせいなのか、最初に出会った時ほどの恐怖はなくなっていた。
それでもこの灼熱の悪魔に手を伸ばすのが躊躇われたのは仕方がないだろう。
「もう、敵はいないんだ」
きっと戦うべき相手を見失って混乱しているだけなのだ。
すっと右手を伸ばすと、一瞬フラウロスさんは警戒したが、にこりと微笑みかけるとおそるおそる近寄ってきた。
こちらが怖がっていたら相手にもそれが伝わる。
大きな大きな猫だと思えばいい。しかも相手はとても混乱している。
だいじょうぶだよ。怖くないよ。
フラウロスさんの妖炎の瞳がこれまでにないくらいに近づいた。
地獄の業火を集めて作ったそれはやはり背筋を凍らせた。
でも、それを悟らせてはいけない。
「だいじょうぶ。もう、だいじょうぶ」
右手をゆっくりと差し出した。
獣は抵抗しなかった。
契約に行く時アレイさんがしてくれたみたいに、安心するようにって両手を首に回してぎゅうっと抱きしめた。
そうするとさすがに光の加護があっても皮膚が焦げる感覚があった。
でも離す気はなかった。
「落ち着いて、フラウロスさん」
ふさふさなのに焼けるように熱い毛並みが頬をくすぐった。
すると、フラウロスさんのしゃがれ声が耳をくすぐった。
その息もとても熱くて、思わず身震いした。
「離せ 娘」
その言葉に従って離すと、フラウロスさんはふん、と鼻をひとつ鳴らした。
「帰る また 呼べ」
「うん、ありがとう、フラウロスさん」
笑おうとすると頬が突っ張った。
どうやらそれなりに火傷を負ってしまったようだ。
灼熱の獣の姿はその場から掻き消えて、太陽の薄明かりがほんの少しだけ残る町並みに静寂が訪れた。
振り向くといつの間にかアレイさんが立っていた。
その肩には黒服のお人形さんが抱えられていて少しびっくりした。
「ネツァクは……?」
「気を失っているだけだ」
アレイさんはそう言うと薄暗い通りに一人立つゲブラさんを睨みつけた。
「ファウスト女伯爵の居場所はわかった。この女は解放するから、連れてさっさとセフィロトに帰るんだな」
ぐったりとした少女をゲブラさんに投げ渡す。
細身のシルエットの手品師は軽々その体を受け取った。
「おやおや、見つかってしまったのですか」
「その女は口が軽い」
「ご忠告どうも。まあ、それは分っていた事ですが」
ゲブラさんはシルクハットをとった。
肩までの黒髪がさらりと落ちた。
「それではごきげんよう。次こそは戦場でお会いしましょう。ぜひ、手合わせ願いたいものです、クロウリー卿」
「……願い下げだ」
ゲブラさんがシルクハットを一振りすると、一瞬で二人の姿は消え去った。
その姿が完全に消え去ってからアレイさんはすぐに行動を開始した。
「何とか退けたな……ねえさんを迎えにいくぞ!」
「うん、わかった」
やっとねえちゃんのところに向かえる!
どきどきした。
「加護の受け方を教えてやる。馬は使わず加護を受けた状態の身体能力を駆使して向かうぞ」
「……わかった」
アレイさんはさっきの会話を聞いていたのだろうか、それとももともと教えようとしていたのだろうか?
いずれにせよ悪魔の加護を受けねば次にセフィラと会ったとき戦闘に持ち込めない。
「誰の加護を受ける?」
「アガレスさん。フラウロスさんは……ちょっと危ないし」
先ほどのことを思い出して身震いした。
あのままフラウロスさんを止められなかったら――そんなこと、考えたくもない。故郷のこの美しい街は跡形もなく消え去っていただろう。
とはいっても今の時点で原形を全くとどめていないのだが。
「それが分かっただけで収穫だ」
そこでアレイさんはいったん口をつぐんだ。その視線の先にあるのはどうやら焼けた皮膚らしかった。
確かに毛皮に直接触れた腕や頬の辺り、首筋にかけてはひりひりと痛んだし動かそうとするといくらか突っ張ったが、動けなくなるような怪我はひとつもなかった。
「おれは平気だよ。早くねえちゃんのところに行こう」
「……無理はするな」
アレイさんは相変わらず不機嫌そうな顔で目を逸らした。
「加護を受けるのはそう難しいことではない。悪魔を使役するのは意志の力だ。こうありたいと願う強い心さえあれば悪魔の力を借り受けることは容易い」
「つまり、力を貸してほしいって思えばいいの?」
「……まあそういうことだ」
アレイさんはまだ何か言いたそうだったが、時間が惜しいと思ったらしい。
それは自分も同じことだ。
「やってみるよ」
右手首に括りつけたアガレスさんのコインを左手でぎゅっと握った。
「アガレスさん、力を貸して!」
おれがアガレスさんの力を使えるように。
ねえちゃんを助けに行くために。
手の中のコインが熱くなる。その熱が全身にいきわたるような感覚があった。
体が軽くなる。どれだけ遠くへでも飛べそうだ。集中したわけでもないのに感覚が鋭敏になっている。
こぶしを握ったり開いたりしてみた。
全身に力が溢れている。これまでにない高揚感が全身を支配していた。
「アガレス、さん?」
「ここにいる」
声が響いた。
同時に目の前にアガレスさんといつも一緒にいる金の目の鷹が舞い降りてきた。
「どうやら大丈夫そうだな……行くぞ、くそガキ」
「うん。でも、どこに?」
アレイさんは黙って東の方向の大きな山を指した。
夕陽が沈んだ今、その山は黒々とした影をあらわにしていた。
「……ラッセル山?」
「急ぐぞ。ついてこい」
「あ、待ってよ!」
すごいスピードで突如走り出したアレイさんを追って地面を蹴った。




