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LOST COIN  作者: 早村友裕
第二章 LAST DANCE
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SECT.20 レメゲトン

 実戦の場にアガレスさんを呼び出すのは初めてだった。

 肩に金目の鷹を止まらせた老紳士は、手入れの行き届いた茶色の外套を羽織り、ごつい皮の黒ブーツで地面に降り立った。頭髪は白くひげも蓄えていたが、その全身から放たれる闘気はとても老人のものではなかった。

「セフィラか 久しいな」

 目が見えなくてもやっぱり分かるらしい。

 アガレスさんは唇の端で微笑んだ。その仕草には高貴さと共に余裕が感じられた。

 自分たちを取り巻いている街のヒトたちが驚いているのが分かる。声も出せず、突如現れたアガレスさんの姿に呆然となっているヒトが多かった。

 絶対に街のヒトたちを傷つけさせるわけにはいかない――強い気持ちでアガレスさんを見上げた。

「来てくれてありがとう、アガレスさん。街のヒトたちを避難させたいんだ。少しだけでいいからあの二人を足止めしてもらえないかな」

「承知した」

 アガレスさんは大きく手を広げた。

 次の瞬間!

「きゃっ!」

「おおっと」

 手品師マジシャンと黒いお人形さんの体が宙に跳ね上がった。

 その部分の地面だけが不自然に歪んでいる。まるで波打つようにうねって、二人の体を放り出したのだった。

 地面にぶつかってもその体はもう一度跳ね上がる。

 第2番目のコインの悪魔アガレスは地震を起こすことができる――王様は確かにそう言っていた。しかもあの二人の足元だけに地震が起こっている。

「なんだ、これは?!」

「地面が動いて……」

「いまのうちに早くみんな家に入って!」

 必死に叫んだ。

 きっと長くは持たない。いまのうちに街のヒトたちを避難させないと……

「危ないんだ。この二人はすごく強い敵なんだ。早く逃げて!」

「ラック、そのヒトは……」

「悪魔?!」

「何故お前が!」

 口々に驚きの声を上げている街のヒトたちは、一向に減る気配がない。

「お願いだから逃げてよ!」

「それならラック、お前も……」

「おれは」

 逃げるわけにいかないんだ……おれの持っている全部の力を出したってこの二人には勝てないかもしれないけど。

「おれは逃げるわけにいかないんだ……みんなを守らなくちゃいけないから。」

 そして、この二人に勝ってねえちゃんの居場所を聞き出さなくちゃならない。

「何でお前がそんなことしなくちゃいけないんだよ、危ないならお前も逃げろよ!」

 ゼルが叫んだ。

 どうしておれは街のみんなを守りたいかって?

 そんなのみんなが好きだからに決まってるじゃないか!

「おれは逃げない。逃げちゃいけないんだ」

 じゃあ、どうして守らなくちゃいけないかって?

 それは……

「おれがレメゲトンだから!」

 そう。きっとレメゲトンってそういうものなんだ。国のヒトたちを、大好きなヒトたちを守る仕事――それがレメゲトン。コインの悪魔と契約を交わし、その力でもってすべての敵を打ち払う存在。

 街のみんなを守るのも、ねえちゃんを探し出すのも全部一緒だ。強くなるのも、みんなを守るためだ。賢くなるのも知識を増やすのも全部、大切なヒトをいろんな災厄から守るためなんだ。

 大切なヒトを守ること。

 それが新しい世界でのおれの役目なんだろう。

 腰に差した小太刀を抜き放った。

「レメゲトン?!」

「お前が?!」

 街のヒトたちの驚いた声が耳に届く。

「そうだよ。王様にコインを貰った。悪魔さんとも契約した。おれはもう『探索者』のラックじゃないんだ」

 小さな街の中で駆け回っていた毎日はとても幸せだった。何も考えず、ただそこにあるものだけを見てねえちゃんに報告するだけの毎日は単調でも安定していた。

 でも、新しい世界ではそうはいかない。自分の力を伸ばして、自らの手で生み出していかなくちゃいけないんだ――それはとても難しくて、でも本当に自分が心から望んでいる事だった。

 この街を離れてからずっとずっと引きずっていた望郷の思いをここで断ち切れる気がした。奥底のほうで迷っていた心を完全に叩きだせる気がした。今まで住んでいた世界から、もっと広くて深い世界へと完全に飛び込んだ。

「おれはラック=グリフィス。グリモワール王国のレメゲトンだ!」

 その瞬間、アガレスさんの姿が霞むように消え去った。


「もう……こんなことであたしたちを止められるとでも思ったの?」

「しかも何だか楽しそうなこと叫んでいたようだけれど……僕らがそううまくいかせるとでも?」

 二人とも余裕の笑みを浮かべてふわり、と地面に降り立った。

 地震の影響かそのあたりの石畳が大きくめくれ上がっている。石の破片もそこらじゅうに散らかっており、如何に凄まじい力が二人にかかっていたかを物語っていた。

 それなのに二人とも全く何のダメージもなかったかのように立っていた。

「ふふ、ハニエル、久しぶりに暴れちゃってもいいかもよ?」

 黒いお人形さんは自らの背後に浮かぶ愛らしい天使に微笑みかけた。

 こちらもまるで人形のように愛らしい天使さんだった。蒼の髪が肩の辺りで揺れていて、その色に彩られた白い肌には頬に淡く桃色が差している。ガラスのように透き通った銀の瞳と同じ色の壊れそうに繊細な翼を背に湛えていた。

 だが、その手に握られているのは紛れもなく殺傷能力のある弓矢だ。

 天使の前で堕天の悪魔は姿を保つことができない。

 その伝承のとおりアガレスさんはおそらく魔界へと帰ってしまった。

「かわいそうね、あなた。あなたの悪魔さんは帰っちゃったみたいよ?」

「分かってる」

 天使さんに会うのが初めてというわけじゃない。銀髪のヒトがミカエルという天使さんを召還した時もアガレスさんは呼びかけに応えてくれなかった。

「でもまだまだ持っているようね、悪魔の印。ちょっと持ちすぎじゃないかしら?」

「彼女が全部使えるとは限らないよ、お嬢」

「そうねえ、少し試してみてもいい? ゲブラ」

「かまわないが、双子には気づかれないようにしたほうがいい」

「分かってるわよ!」

 やっと街のヒトたちは不穏な空気を読んで少しずつ散り始めた。

 それを横目に確認して小太刀を握る手に力をこめながら、手品師マジシャンと黒いお人形さんを睨みつける。

「そんな怖い顔しないで! かわいい顔が台無しになっちゃうわ、もったいない!」

 黒いお人形さんはくすくすと笑った。

 まるでおれの力なんて歯牙にもかからないといった態度だ。

 実際そうなんだから仕方がない。でも、どうしてもこの二人からねえちゃんの居場所を聞きださなくちゃいけない。

「ねえちゃんはどこなの? 返して」

「そんなの教えるわけがないでしょう? 彼女は大切な持ち駒よ」

「んじゃ力ずくで聞き出してやる」

「まあ!」

 黒いお人形さんは驚いたように口に手を当てた。

「そんなこと、本当にできると思っているのかしら。本当にかわいくて仕方ないわ!」

「やってみるさ!」

「ゲブラ、少し待っててくれる?」

「ああいいよ。」

 手品師マジシャンは手を組んでその場に釘付けた。

 黒いお人形さんのほうはピンク色のステッキをぴっと軽く振って構えた。まさか小太刀とステッキで勝負しようとでも言うのだろうか?

 だが、飛び道具ではないのなら好都合だ。こちらを止めてしまえば周りのヒトに危害が及ぶことはない。

 取り巻いていたヒトが全員避難するにはもう少しだけかかるだろう。その間この二人の矛先をこちらに向けておかなくてはいけない。

 こんな風に周りを見ながらも、さっきから実は内心とても驚いていた。

 自分は……これほど頭を使っていろいろなことを考えられたのか、と。普段なら絶対にしないような状況判断と我慢が自分の中に眠っていたことに驚愕とも言える感情を抱いていた。まるで自分の中に別の誰かがいて、感情で動くのでなく状況を把握して最善を尽くせるよう指示を出してくれているみたいに冷静だった。

 いつもならもっとこの二人を問い詰めていただろうし、周りに街のヒトがいようといまいと関係なく戦闘を始めてしまっていたかもしれない。

 それが今日はなぜか違っていた。

 でも、この感覚には覚えがあった。

 初めて銀髪のヒトに会って、一人で教会に放り出された朝のこと――自分で驚くくらい冷静で、回復すべきだと判断を下したこと。

 そして、地下の牢獄で銀髪のヒトたちがねえちゃんとアレイさんを倒してしまった時のこと――熱を持ったコインから自分自身がラースとすでに契約していたのを見抜いたこと。

 あの時と同じ感覚が全身を駆け巡っていた。


「ねえ、それよりまずは名前教えてよ。おれはラック。おまえは?」

 自分にしてみたら当たり前の事を聞いたのに、二人とも目を丸くした。

「ますます変な子! いいわ、教えてあげる」

 天使さんを頭上に抱いた黒いお人形さんは胸に手を当てて宣言した。

「あたしはネツァクよ。それから、こっちの細いのはゲブラ。それからこれはあたしの天使のハニエル。かわいいでしょ!」

「うん、すごくかわいい」

 正直にそう述べた。

 蒼く透き通った髪も銀の瞳も壊れそうに華奢な翼もとても美しかったし、手にした弓矢もあまり強いものでなく、細腕にちょうどいいサイズだった。見に纏った空色の服もとてもよく似合っていた。

「でしょ!」

 ネツァクと名乗った黒いお人形さんのような少女は嬉しそうに微笑んだ。

「でも、ハニエルは見かけによらず強いのよ?」

「そうなの?」

「ええ、あたしと一緒」

「!」

 次の瞬間には目の前にピンクの杖が迫っていた。

 思わず小太刀で横に薙ぐ。凄まじい負荷が腕にかかって思わず顔をしかめた。とても自分とそう変わらない華奢な少女が打ち込んできたとは思えない重さだ。

 だが、そうやって考える暇もなく次々打ち込みが来る。その打ち込みを力任せに振り切ろうとするが、そんなに甘くない。

 真上から振り下ろされた杖を剣を横にして支えた。ぐぐっと圧力が両足にかかる。

「悪魔を召還せずにどこまで耐える気かしら? それとも、堕天のコインしか持っていないというの……?」

 無理だ。力の差がありすぎる。これは天使の加護があるからなのか?

 このままでは成す術なくやられてしまう!

「フ、フラウロスさん!」

 もう一つの魔方陣が発動した。

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