SECT.16 ミーナの酒場
その時、入り口の扉が開いた。
「?!」
はっとして振り向くと、そこに立っていたのは鍛冶屋のゼルだった。
「どしたの? ゼル」
きょとんと首を傾げると、ゼルは困ったように笑った。
「ラックが帰って来たってちょっと話したら……親父たちが……」
とても言いづらそうにもごもごと口をつぐんだ。
いったいどうしたんだろうと見ていると、その理由はすぐに分かった。
「ラック! 久しぶりだな!」
「あ、マスター」
くるりんと空を指すひげとたゆんと揺れるおなか――街のカフェのマスターだった。
その後ろからもぞろぞろとたくさんの人が入ってくる。
ゼルの親父さんもいたし、カフェのマスターの弟さんもいた。隣町の工場で働く従業員の人たちもいて、すぐに店はいっぱいになってしまった。
どこかで見たような面子だった。
そう、ねえちゃんの店の常連さんたちだ。ほんの一ヶ月前までは毎日のように夜中ねえちゃんの開く店にやってきていた、よく知る人たちばかりだった。
何度か店の手伝いをしていたからみんな顔なじみだ。
その人たちは店内を見渡すと、がっかりしたように呟いた。
「なんだ、ミーナさんはいないのか」
「ラックと一緒じゃないのか?」
「だからミーナさんはいないって言っただろ、親父!」
ゼルがそばかすの散った顔を赤くして叫ぶ。
「ごめん、なんか勝手に集まっちゃって……俺は止めたんだよ!」
すまなそうに言いつつ、ぺこぺこと謝るゼルを見ていて、なんだかほっとした。よく知っている街に戻ってきた実感がわいてきた。
この街の人たちはとても温かい。
カフェのマスターはアレイさんを指差して言った。
「なあ、そこの綺麗な兄ちゃんは?」
「ラックと一緒に来た人だよ。王都からきたんだから、偉い人なんじゃないのかな」
アレイさんは無表情のままぼそりと言った。
「その……この酒場の主の親類だ」
「ああ、そうなのか」
アレイさんがねえちゃんと少なからず親類関係にあることは以前に聞いていた。
でもその説明は少し足りないように感じたが、アレイさんはいつも言葉少なだからこんなものかな、と思った。自分がへんなことを言ってアレイさんに怒られるのも嫌だし。
すると隣街の工場で働く従業員の一人が言った。
「で、また店をやってくれるのかい?」
その言葉に、アレイさんは黙り込んでしまった。
「ラック! こっちにもビール!」
「はあい」
一体どうしてこんなことになったんだろう。
今自分は昔のようにバンダナで髪を括ってエプロンをつけ、店の中を忙しく歩き回っている。
アレイさんはいつもねえちゃんがいた場所に収まって料理を作ったりカクテルを作ったりしていた。その姿がなぜかとても自然に見えてびっくりした。
「おまちどおさま」
ゼルと隣に並ぶその親父さんの前にビールを並べると、親父さんが声を潜めて聞いた。
「いったいあの綺麗な兄さんは何者だい? 王都からきたと言うが……もしかして貴族とか言うんじゃないだろうな。」
「そうだよ。アレイさんはレメゲトンだって言ってるじゃん」
眉を寄せてそう応えると、親父さんははっはっは、と一笑に伏した。
「そんな偉い人がこんな片田舎に来るはずないだろう。それより……」
「なあに?」
「ミーナさんの夫とか言うんじゃないだろうな?」
「それは違うよー」
思わず笑ってしまった。確かにねえちゃんとアレイさんは仲良しだけど、夫婦じゃない。それこそ姉と弟のような関係だ。自分は3年以上前のねえちゃんを知らないし出会う前のアレイさんを知らないけれど、2人がずっと仲良しだったんだろうって事くらいは予想がついた。
貴族とかレメゲトンとか王国がどうとか、はっきり言っていまだにあんまりよく分からないけれどねえちゃんやアレイさん、それにじぃ様がいる世界は自分にとって新鮮だった。
本当はもっといろんなことを知らなくちゃいけないんだろう。自分はねえちゃんたちが今まですんでいて自分がこれから飛び込もうとしている世界の『当たり前』を知らない。それは知りたくもあり、知ることが少し怖くもあった。
「ねえラック」
普段はこの店に顔を出したことなどなかったゼルがおずおずと聞いた。
なれない酒で酔いの回りも早いのか、まぶたが下りてきている。いつもくりくりと大きな眼が半分にまで落ちていた。
「さっき会ったときから思ってたんだけどさ」
「なあに?」
「お前髪長かったんだな」
「そうだよ。いっつもバンダナでわかんなかっただろうけど」
「もしかしてさ、お前……」
首を傾げると、ゼルは目を逸らすようにしてポツリと聞いた。
「女なのか?」
「そうだよ」
知らなかったの、と言おうとしていつかのねえちゃんの台詞がよみがえる――『街のみんなはあなたのこと男の子だと思ってるわよ?』
ねえちゃんのことを思い出して、心臓がどくりと脈打った。
どこにいるのか。どうして動けないのか。死が迫って――
足元が崩れ落ちそうな感覚に陥りそうになって思わずアレイさんのほうを見る。
紫の瞳が見つめ返してくれて、少しだけ落ち着くことができた。
ゼルはうめくように呟いた。
「何だよ、全く……!」
「別に隠してなかったんだよ。ゼルが気づかなかっただけじゃん」
「なんだ坊主、お前気づいてなかったのか」
カフェのマスターが隣のテーブルから乱入した。
「だがしばらく見ないうちにやたらと女らしくなった気がするな……恋でもしたのか?」
マスターがにこにこと笑いながら聞く。
ふるふると首を横に振ると、ゼルの親父さんがにやりと笑って言う。
「んじゃうちの嫁に来ないか? ゼルももういい年頃だ」
「親父っ!」
ゼルが赤い顔をして一喝した。
そんな息子に親父さんはにやにやとしながら言う。
「ラックなら美人だし、まあちょっとバカだがよく働く。しかもミーナさんとお近づきになれるんだぜ?」
「だからって、ラックが嫌がるだろ!」
「別に嫌じゃないけど」
正直にそう言うと、カフェのマスターが盛大に笑った。
マスターの明るい笑い声が店内に響き渡る。
「でもおれにはまだやんなくちゃいけないことがあるんだ」
街にずっといられるのは嬉しい。ついこの間まではそう思っていた。でも、それは違うと気づいた。
おれが望んでいるのは街にいることじゃない。ねえちゃんと一緒にいることなんだ。
そう、今はねえちゃんを捜すこと――それだけ、唯一つだけを目指さねばならない。いつでも願うことは一つにしなくちゃいけないんだ。それはアレイさんが教えてくれたことだ。
「あ、そうだ。もしね、何か変わった事があったら教えてほしいんだ」
「なんだ? 探索者を続けてたのか?」
「うんとね、ちょっと違うけど……」
どこから説明したらいいものか迷っていると、マスターはひらひらと手を振った。
「ラックに難しい説明を求めたりしないよ。そうだな、何かあったか?」
「いや、特に何もなかったと思うが……」
「どんな小さいことでもいいんだ。少しでも、いつもと違うとこあったら思い出して!」
身を乗り出すようにそう言うと、カフェのマスターはうーん、と首をひねった。
「ああ、そう言えば見慣れない二人組みが来てたな。旅人だと思うが、それにしちゃあまり旅に向かない格好をしてたんでよく覚えてる」
「どんなヒト?」
「お前くらいの女の子と、ちょうどあの綺麗な兄さんと同じくらいの年の男だったよ。女のほうがやたらひらひらした服で、男のほうもこれから舞踏会にでも行くような格好だった」
「ふーん。どこに行ったかわかる?」
「いや、店を出た後はちょっと分からない」
「そうかあ」
二人組といっても銀髪のヒトじゃないらしい。
「そうそう、マティさんのところに赤ちゃんが生まれたよ」
「ほんと?おめでとう言いに行かなくちゃ!」
「うちの井戸の水が少し減った気がするな」
「街のカラスがここ数日減ったかな」
「そうそう、ゴミが荒らされなくて助かってるよ」
「本屋の一人息子とサラが婚約したよ」
みな口々に気づいたことを述べてくれる。
ねえちゃんはこうやって情報を手に入れていた。それは些細な情報でも、全てをつなげると大きな何かが見えるのだといつも言っていた。
じぶんにそれができるかはわからない。
それでもいつもやっていたようにメモ帳に全てを書き留めていったのだった。




