SECT.14 ゼル
カトランジェの街までの道のりは果てしなく遠かった。
来るときはねえちゃんとアレイさんがかわるがわる昔話をしてくれたから退屈も半分だったのだが、今回は焦る気持ちも加速してどうにも落ち着かない。
その気持ちを分かってくれたのかそれともアレイさん自身もそうなのか、ほとんど休まず目的地を目指した。
宿も取らず深夜から早朝にかけて馬を休める休憩を取る程度だ。2日目の昼にはカトランジェの街が目の前まで迫っていた。
「馬が……そろそろ限界だな」
アレイさんはそう言っていったん馬車を止めた。
ほとんど休まぬ強行軍だ。そろそろ無理がきてもおかしくなかったのだけれど、まさか目前にして動けなくなることはアレイさんも予想していなかったみたいだ。
「日暮れまでには到着する予定だったが、どうやら無理だな」
「そう」
道の端によって馬を開放した。
荒い息遣いが伝わってきて、思わず馬の頬を撫でた。
「ありがとう。がんばってくれて、ありがとう」
でも、これからいったいどうしたらいいんだろう。
ぼんやりと草原の中に続く一本道を見つめた。
見慣れた山が近づいている。カトランジェの街からそう遠くないところにあるラッセル山だ。2年ほど前に一度だけねえちゃんに連れて行ってもらったことがある。
あの山の天辺からは町全体と、それから今朝出発した隣の町まで見渡せる。
あの時も広がる草原を見て、真直ぐに続く道を見て、あまりの街の小ささに呆然となった記憶がある。
「歩くには少し遠いな」
アレイさんは目を細めて道の先を見た。
「でも、行こうよ。ねえちゃんが街にいるかもしれないんだよ?」
もうすぐそこまで街は迫っているというのに。
身動きの取れないねえちゃんがあそこにいるかもしれないというのに、こんなところで足踏みをしているわけにはいかない。
「馬を置いていくわけにもいくまい。明日になってしまうかもしれないが、少し休ませてから進むべきだ」
「そうだけど……」
「ねえさんがあの街にいるという確証はないんだ。慌てても仕方がないだろう」
「……」
ぜんぜん納得できなかったけれど、ここまでずっとがんばってくれたお馬さんがとても疲れた顔をしていたのと、アレイさんは文句を言っても聞くヒトじゃないことが分かっていたのとで口をつぐんだ。
半分夏の光を含んだ日差しが照りつけている。真っ青な空を白い雲が流れていった。
どれだけ時間が経っているのだろう。日が少しずつ西に傾き始めた。西は王都の方角、反対側にはラッセル山と未だ見えぬカトランジェの街。
交互に見て、あまりの自分の無力さに力が抜ける。
そんな様子を見取ったのか、アレイさんがぽつりと話し出した。
「山の向こうは草原だ。それを超えると東の都トロメオ・イスコキュートスがある。北の都カイン・イスコキュートス、南の都アンテノール・イスコキュートスと並ぶ大きな都だ」
「王都は西の都なの?」
「そうだ。初代国王ユダの名を戴いたグリモワール王国の政治の中心にあたるのが王都ユダ・イスコキュートス。今回アリギエリ女爵が向かったのは東の都トロメオのさらに東、セフィロト国との国境付近だ」
「確か、炎妖玉騎士団が駐留するカーバンクルがあるんだよね?」
ねえちゃんがいつだったか言っていたことを思い出してそう答えると、アレイさんは驚いたような顔をした。
その意味が分からず首を傾げたがアレイさんは答えてくれなかった。
仕方がないので続けて質問した。
「アレイさんは炎妖玉騎士団に所属してるんだよね?」
「そうだ。だが、今は騎士でなくレメゲトンとして所属している」
「……何か違うの?」
「常に騎士団の元にいる必要がなくなる。必要となったときのみ騎士団と行動を共にするが、普段は王の勅命を受けて別の任務についていることが多い。訓練にも参加せず、はっきり所属しているとは言えないな」
「おれもそのうち漆黒星騎士団に配属されるってねえちゃんが言ってたよ」
「おそらくその予定だろう。レメゲトンはいずれかの騎士団に所属することになっている。ゼデキヤ王のことだ、ねえさんと王都にとどまれる道を選択なさるはずだ。となると王都に在住するのはねえさんが属する輝光石騎士団の他は漆黒星騎士団しかないのだからな」
「漆黒星騎士団はクラウドさんが団長さんだったよね」
「ああ、そうだ」
どこか悪魔のクローセルさんに似た雰囲気の金髪と翡翠の瞳を思い出して思わず頬が緩んだ。
クラウドさんはとても綺麗で優しいヒトだ。しかも騎士団長さんなんだからきっととても強いんだろう。奥さんのダイアナさん、つまりアレイさんのお姉さんもとても優しくて美しいヒトだった。
あの二人の家の子供になれたら楽しい毎日を送れるはずだ。
考えたことがアレイさんに伝わってしまったのだろうか、紫の瞳があきれたようにこちらに向けられていた。
「阿呆面で笑うな。ガキのせいでこっちまで気が抜ける」
「またガキって言った!」
「ガキにガキといって何が悪い」
もう何度も何度も繰り返したような台詞にもう何度も吐いた台詞で答える。
そんなやりとりをここ3日で何度繰り返しただろう?
それでもどうしても言い返したくなってしまうのはとても不思議だと思う。
日を浴びて暑くなってきたので馬車の陰に入った。ラッセル山を眼前にしてまた焦りが募る。心臓の拍動が早まる。気持ちが急かす。
「……もう少し待ってもう一度出発しよう」
その様子を見かねたのかアレイさんはそう言った。
「うん、わかった」
頷いて、馬車の壁に体を持たれかける。
アレイさんも影に入って同じように馬車に寄りかかった。眠るように目を閉じてじっとしている。
そうしているとまるで一枚の絵のような剣士の姿になった。端正な顔に黒髪がかかってそこはかとなく孤独を漂わせているのがどこか悲しみを感じさせた。
爽やかな風が吹き抜けて腰まであるストレートの黒髪をふわりと揺らした。
その姿に見入っていると、ふいに背後に気配を感じた。
はっとして振り向くと……
「あ、やっぱりラックじゃないか」
とてもよく知っている顔がそこにいた。
「ゼル!」
カトランジェの街の鍛冶屋のゼルだった。
大きな荷台を牛2頭に引かせてのんびりと道を行っていたようだ。
カトランジェの街から離れていたのはたった半月ほどのことだったのにゼルの声も顔もみんな懐かしかった。
「どうしたんだよ、こんなところで! 最近見なかったしさ」
「ちょっとお馬さんが疲れちゃって……ゼルは?」
「隣町に納品してきた帰りさ」
くりくりとした目と鼻のあたりに散っているそばかすで子供っぽく見られがちだが、ゼルはすでに立派な鍛冶屋として働いている。そろそろ奥さんを貰う年頃だとマスターが言っていたのを覚えている。
ゼルはとび色の瞳を丸くして、それからにこりと笑った。
「後ろ、乗せて行きなよ。馬車は無理かもしれないけど馬と人は乗るだろう?」




