SECT.13 始まりの丘にて
ねえちゃんのお屋敷で昼食をとり、アイリスとリコリスに手伝ってもらって急いで準備をしてプルガトリオ・ゲートに向かったけれど、到着したときにはすでにアレイさんがいた。
一頭引きの小さな馬車が近くに止まっていた。馬車自体は飾りもなくとても簡素なものだったが、引いている馬はとても立派な体躯をしている。毛並みは茶色だが鬣だけが漆黒だった。
アレイさんは不機嫌そうな顔でその馬の隣に立っていた。
「遅いぞくそガキ」
「ごめん、迷子になっちゃって」
「どうしたらこんな狭い世界で迷子になれるんだ」
「ジュデッカ城は広すぎるよ!」
むっとして言い返すと、アレイさんはため息で答えた。
「とにかく行くぞ」
「もう!」
ぷうっと膨れたけれど全く通じない。
「早く乗れ」
言われてしぶしぶ中に入ったが、荷物を置いてぽつんと一人で座ると途端に寂しくなった。4人がけは少し広すぎる。
アレイさんが馬の手綱をとって馬車は走り出したけれど、一人で車内にいるというのはこの上ない苦痛だった。
前面についている窓を開けてアレイさんに話しかけた。
「ねえアレイさん」
「何だ?」
「そっち行っていい?」
「中にいろ」
「やだよ寂しいもん」
そう言ってから天井にある木枠の窓を開けた。がたがたがた、という車輪の音が大きくなる。
風に目を細めながらひょい、と屋根に出た。馬車は結構な速度で坂道を下っている。眼下には放射状に伸びる城下町の幾何学模様が広がっていた。
そのまま屋根伝いに馬車の前方まで来ると、ひょい、とアレイさんの隣に飛び降りた。
「!」
アレイさんは驚いたけれど、馬車は走り続けた。
中と違ってここは車輪の音や馬の足音がうるさい。談笑するには向いていないかもしれない。とはいえ、目の前にはもう城下町の市場が迫っている。
アレイさんは少し馬車の速度を緩めた。
「……危険な真似はよせ。」
「だいじょうぶだよ、このくらい」
でも、飛び降りた衝撃か胸元にしまっておいたはずの小瓶が転がり落ちた。
すんでのところでキャッチしてまた大事にしまう。
「腕……大丈夫なのか?」
「うん。すぐ治るってお医者さんが言ってた」
包帯を巻いた右腕は動かすのに全く支障がない。先日左腕を失いかけたことに比べると全くたいしたことのない傷だった。
それでも左手甲に埋め込まれたラースのコインをあまり視界に入れたくなくて、いつも篭手を付けるようにしていた。
滅びのコインを治めるためのお守りではないけれど、マルコシアスさんにもらった羽根が篭手の裏についている――先ほどリコリスが縫い付けてくれたものだ。
右の手首にはアガレスさんとフラウロスさんのコイン。
この時点で自分は4人の悪魔さんの印を持っていることになる。
気がつくと馬車は街のメインストリートに差し掛かっていて、周囲を歩くヒトたちや馬車も増えていた。午後になって市は一段楽しているらしく、店をたたむ最中の露天商もちらほら見られた。ほんの数日前にアレイさんと二人で買い物に来た時に見たショーウィンドウのディスプレイがほんの少しだけ変わったようだった。
結局あの買い物で手に入れたのは腰に差した小太刀一つだったけれど、少しだけアレイさんに近づけた気がしたんだ。
「ねえ、アレイさん。これからどこに向かうの?」
「……カトランジェの街だ」
「え?」
「ねえさんが飛ぶとすれば知っている場所だろう。それを考えるとカトランジェの街の周辺に飛んだ可能性は高い」
街の景色を思い出して一瞬肩の力が抜けた。
灰色の石畳や街のヒトたちを思い出して心のどこかに明かりが灯ったように温かくなった。
「くそじじぃの占いで東と出ている。アリギエリ女爵はカトランジェの街よりさらに東、セフィロトとの国境付近に捜索に出ている。いまだ連絡はない……いや、まだ2日だ。到着もしていないだろう」
「ねえちゃんが自分で王都に帰ってきたりするかもしれないよ」
それは一縷の望みだった。
何もなかったかのように明日にでもねえちゃんが帰ってくることを夢見ていた。
「それが、できないらしい」
「え?」
「原因は分からないが、『呪縛』の相がでている。どうやら動けない状態にあるらしい」
「動けない……?」
どくり、と一つ心臓が脈打った。
深刻な顔をして黙り込んだ顔をちらりと見て、躊躇いながらアレイさんは言った。
「だが死の暗示は出ていない。安心しろ」
死、という言葉が重々しく心にのしかかった。
「でも……!」
「だから、迎えに行くんだろう?」
紫の瞳は真直ぐに前を見つめていた。
「ねえさんは生きている。だが、動けない状態にいる。だから迎えに行くんだ。違うか?」
どうしてだろう。アレイさんがそう言うとだいじょうぶな気がするんだ。
確かにそうなんだと納得してしまうんだ。
「うん、そうだね」
アレイさんと同じように真直ぐ前を見つめてみた。
メインストリートを抜け、始まりの丘が目の前に迫っていた。
ここは始まりの地だ。王都ユダに到着して初めて街全体を見渡せる場所、そして旅立つ者が最後の景色を目に焼き付ける場所。
だが、王都を振り返ることはしなかった。
ただ真直ぐに前だけを見つめて、ねえちゃんを探し出すことだけを心に誓った。




