SECT.10 必然の誓い
神殿の地下もまだ2回目だった。
相変わらず不気味な魔方陣が所狭しと並んでいる。明かりだってもっと増やせばいいのに、なんで暗いままにしておくんだろう。
じぃ様は本を見ながらゆっくりと魔方陣を描いていった。
この間はねえちゃんもアレイさんも一緒だったからあまり思わなかったけれど、今回この部屋の中にかすかに漂う血の匂いが気になって仕方がなかった。
「だいじょうぶ、だいじょうぶ」
自分に言い聞かせて心を落ち着けていると、反対にどんどん不安が膨れ上がってきた。
呼吸の音が大きく聞こえる。そうだ、昨日あんまり寝てないんだった。
壁にもたれかかってずずず、と座り込んだ。
ねえちゃんはどうしているだろう。ちゃんと眠っただろうか。怪我なんてしてないだろうか。ご飯ちゃんと食べたかな。
そんなことを考えていたら鼻の奥がつんとした。
どこいっちゃったんだよ……ねえちゃん……!
視界がじんわりとに滲んでくる。おかしいな、こんなことで泣いたりなんかしたくないのに。
「何泣きそうな顔してるんだ」
バリトンの声。
はっとして顔を上げると、目の前に紫色の瞳があった。
「行くぞ」
「え?」
思わず目を見開いた。
目線を合わせるように膝をついたアレイさんは言い聞かせるように、確認するようにはっきりと言った。
「契約。するんだろう? ねえさんを探しに行くんだろう?」
「うん」
「じゃあ立て」
「うん」
腕で涙をぬぐって立ち上がった。
アレイさんも立ち上がって、少しだけ紫の瞳が遠ざかる。
「魔方陣はまだか、くそじじぃ」
「急がせるでない。もう少し待っておれ」
「やはりもう年だな」
不機嫌そうに舌打ちするアレイさんはいつものアレイさんだった。
でも、どうしてここにいるんだろう?
「何でここに来たの?」
「俺も契約するからだ」
「え?!」
「マルコシアスだけではセフィラに対抗できない。もう一つ、別のコインと契約する。もともと決めていたことだ。こういう事態にならなくても今日には契約を執行するつもりだった」
「!」
そう言い放ったアレイさんの横顔はランプの明かりに彩られてとても凛々しかった。
同時にすごく嬉しかった。
「がんばるよ。絶対フラウロスさんと契約して帰ってくる」
「絶対だ」
アレイさんがこちらを見ずに言った。
その胸中に強い意思が秘められているのは一目瞭然だった。
「どんなコインなの?」
「第38番目の悪魔ハルファス。マルコシアスと同じ戦をつかさどる悪魔だが、堕天ではない。戦闘を好み常に自分より強い者を求めている。調伏させるには完全に打ち負かす以外ない」
「……戦うって事?」
「そうだ」
「怪我、しないでね。元気で帰ってきてね」
そうか。前にアガレスさんと契約する時、ねえちゃんやアレイさんはこんな気持ちだったんだ。
危険なことは分かっている。でもそれでも止めることはできない。それでも心配で心配で仕方ない。だから願うんだ。
ちゃんと無事に帰ってきて欲しいって――
「おれもちゃんと帰ってくるよ。だから、アレイさんも約束して」
「……」
アレイさんはなんとも言いがたい瞳で見下ろした。
でも本当に本気だった。
催促するように両手を伸ばした。
「どうした?」
「屈んでよ、届かないよ」
アレイさんは少し不思議そうな顔をしたが、言われるがまま少し屈んだ。
紫の瞳が近くなる。
そのままアレイさんの黒髪に手を伸ばして、頭の後ろに手を当てて胸に抱え込んだ。
「!」
「死なないで。帰ってきて」
そっと呟いた。
アガレスさんと契約する前にアレイさんがそうしてくれたように。
さらさらの髪はとても手触りがよくて、頬にかかると少しくすぐったいような感触でなぜだか泣きそうになった。
これから危険なところに飛び込んでいくんだと思っただけで胸が締め付けられるように痛んだ。
ぎゅうっとアレイさんを抱きしめたら、アレイさんも背に手を回してくれた。
「全く、何を言ってるんだ」
地面から足が離れた。
そうして幼い子供をあやすようにぽんぽんと軽く背を叩くと、アレイさんは自分を地面に降ろした。
「大丈夫に決まっているだろう。お前は何も心配しなくていい。自分が契約することだけを考えろ。そして、ねえさんを探すことだけを考えるんだ」
肩に手を置いて真直ぐに見つめて、強い意思を含んだ言葉で。
だいじょうぶ、アレイさんは強いんだから。
「わかった」
こくりと頷くと、アレイさんは満足したようにまた視線をはずした。
そのとき、じぃ様の声がした。
「できたぞ、若造」
「さあ、行くぞ」
「うん!」
二人一緒に足を踏み出した。
魔法人のサークルの中に入って、ぎゅっとコインを握り締めた。
だいじょうぶ、きっと無事に契約して帰ってくる。そして、ねえちゃんを探しに行くんだ!
「フラウロス!」
「ハルファス!」
その瞬間、目の前の景色が一変した。




