SECT.11 器
「ただいま、ラックさん」
本日最後の伝令を終え、マルコが帰還した。外はもう暗くなり始めている。マルコは昨日から何度も何度も、北軍と合流したカシオの先行軍と、ラグレアに止まったままの本隊の間を行き来し、情報を共有させている。
おれに何も出来ないことが辛かった。
サンと同じように、おれは勝手に動くことを許されないのだ。『動いてはいけない』と言う枷の上に、焦燥だけが積もっていく。
「お帰り、マルコ。大変だったね。お疲れさま」
「疲れてないよ。あんまり役に立てないんだ。僕、セイジさんみたいに、もっといろんな事が出来るようになりたいなあ」
「まだまだこれからだよ、若いんだから。ライディーンだって、16の時は――ああ、でも、そろそろ一人で戦場に出てたかなあ」
「やっぱりセイジさんはすごいなあ」
そう言ったマルコは、少し考えてから言った。
「ねえ、ラックさん。ベルフェゴールは、空間転移が出来るんだよね」
「ああ」
マルコが金色の瞳に光を灯した。
「だとしたらさ、僕にだって、軍を運ぶことは出来るはずだよね?」
「!」
それは、当たり前のこと。
本当に当たり前のことだった。
空間の悪魔ベルフェゴール、彼にならば数千単位の軍を一気にカシオまで移動させることは可能かもしれない。第0番目ダアトであるフェリスが、天使の力を借りて2000もの兵をこの場所まで転移させたのだ。ベルフェゴールに同じことが出来ないはずはない。
「出来るかな?」
「分からない。けど、ベルなら出来る気がする。簡単ではないだろうけど、やってみる価値はある」
少しだけ、希望が沸いた。
グリモワール軍も、大規模な移動が出来るなら、この状況を打開できるかもしれない。
マルコは、左掌に刻まれたベルフェゴールの契約印を撫でた。
「ベルフェゴール」
静かに名を呟くと、不意にその場の空気が変わる。紫の髪に銀色の瞳。不機嫌そうな少年悪魔が姿を現す。
アレイさんの言うとおり、ベルフェゴールが纏うのは風の『魔力』の気配だった。この少年悪魔が醸し出す空気は、風のハルファスとちょっと似ている気もする。
「最近ちょっと 呼び出し過ぎじゃねーですか しかもお前はもう契約者じゃねーんですよ お前の言い分聞いて しぶしぶこいつと 契約したってのに」
ぶつぶつと文句を零すベルは、ふわふわと空中を漂いながら、マルコの頭をくしゃくしゃかきまわした。マルコも楽しそうに笑っている。
「ごめんごめん。でも、仲良さそうじゃん」
「おうよ」
「……否定しないんだね。仲良くやってるんならいいけどさ。まあ、いいや。ベル、聞きたい事があるんだけど」
「何だ?」
マルコの頬をぐにぐにとつねりながら、ベルは首を傾げる。
「ここにいる革命軍をカシオまで移動したいんだけどさ。ベル、出来る?」
そう問うと、ベルはふっと表情を消した。
一瞬で、ヒトの姿から悪魔に戻る。見た目ではなく、内面変化。身体の中の、奥の方に隠してある悪魔の本性を表に押し出した。
「契約者に 依るんですよ」
「どういう事?」
「俺たちは魔界にいて 召喚されて現世界にくる その時に持ってこられる 力の最大値は 契約者の器の大きさに 依存するっつーことですよ」
ベルの言葉に、首を傾げたマルコ。
だけどおれは、器の大きさ、という単語には覚えがあった。霊媒体質、とライディーンが呼んだ、肉体が魔力を留める大きさの事だ。おれは、その器の大きさが莫大らしい。
「契約者が 末裔 お前なら出来たかもな だが こっちのガキだと 難しいと思うぜ?」
「そんなに違う?」
「自覚しやがれですよ この馬鹿ヤロー」
悪態をついたベル。
「グラシャ・ラボラスが名を与える契約をして 原初の悪魔3体と同時に契約して ルークが世界の『柱』に選んで それ以上 何の証明が必要だっつの」
「じゃあ、アレイさんもそうなの?」
そう問うと、ベルは眉を跳ね上げた。
「あのバケモノの事ですか? 現世界の器に直接 グラシャ・ラボラスの半身を取り込んで 完全隊のハルファスとマルコシアスを同時に召喚する 気の狂ったアレの話ですか?」
あ、聞くまでもなかったね。そりゃそうか。
まだグリモワール王国があった頃、ねえちゃんやじぃ様がアレイさんをバケモノ呼ばわりしていたのを思い出した。
「うーん……マルコの能力で、転送するとすればどのくらいできる?」
「やってみねーとわかんねーが 1000はムリだ 距離にもよるが せいぜい数百ずつってのが関の山じゃねえのか」
「じゃあ、何度も往復すればいいよ」
「それこそ何日かかると思ってやがんですか 面倒は嫌にきまってんですよ」
難しいなあ。
「んじゃあ、おれともう一回契約しなおす?」
「駄目だよ、ラックさん。ラックさんはもう、悪魔を召喚しちゃダメ! ラックさんとアレイさんはもう戦わせないって、ミーナと決めたんだから」
……うちの子供たちは親に厳しいと思う。
「でも、僕じゃあ駄目なのかあ……」
「お前は 親和性に偏ってるからな 傍にいるのが心地いいから 多くの悪魔と契約するが 力を最大限 引き出せるわけじゃねーんですよ」
悲しそうなマルコをベルがよしよしと撫でている。
うん、仲良しなのはいい事だ。
しかし、器の不足なんて考えた事もなかった。現世界の肉体。召喚者の器。原初の悪魔を問題なく召喚できるほどの契約が出来て、悪魔と親和性があって、グリモワール革命軍の為に働いてくれて、その上出来れば『魔力』の扱いに長けてるヒトなんて。
思いつく限り、ライディーンは重傷だし、おれとアレイさんは駄目。マルコでは不足しているようだし、ミーナがもし足りたとしてもメフィがベルとの二重契約を赦すとは思えない。
アーディンやユールを巻き込むわけにもいかないし、シドやリタリではおそらく不足しているだろう。
でももう他に、原初の悪魔クラスの悪魔と契約できそうなヒトなんて思いつかない。
「第一 転移される人間だって ノーリスクじゃねーですよ? 一瞬 魔界に足を踏み入れるようなもんだ 多少の影響は受ける覚悟をもたねーと」
「そうかあ……」
問題だらけだなあ。
もしかすると、シドやアレイさんならいい案を思いつくかもしれないけど、おれには無理だ。
「うん、じゃあとりあえず、今のところは諦めるよ。ありがと、ベル」
「おうよ」
ベルがひらひらと手を振りながら虚空へ消え、再び、マルコと二人残された。
マルコはやっぱり、少し落ち込んでいるようだった。自分の力では不足していると言われたのが、随分と堪えているらしい。
強くなりたい、と悪魔と契約するくらいだから、当たり前だ。自分の息子の負けず嫌いは、誰より承知しているつもりだ。
「だいじょうぶだよ、マルコ。マルコの強さは、もっと別のところにあるんだから」
ベルは、マルコの傍が心地いい、って言ってた。
つまり、たくさんの悪魔たちと契約できる可能性を秘めているのだ。それはまるで、グリモワール創世期の黄金獅子のように。
「僕も、もっと強くなりたいなあ……だって少なくとも、その『フェリス』ってヒトは2000以上の兵士を転送するくらいの『器』なんでしょ。そのヒトと戦うとしたら、やっぱりそれに近い強さはいると思うんだ」
「器だけが強さじゃないよ。もし器の大きさだけがすべてなら、18年前、グリモワール王国は負けなかった筈だ」
そう呟くと、マルコははっとおれを見た。
莫大な容量を持つおれとアレイさんがいたけれど、グリモワール王国は敗れた。それは覆せない事実だ。
「だいじょうぶ、フェリスを相手にするときだって、一人で戦うわけじゃない。もし次に来たとしても、シドもいるし、リッドやルークだっているんだから」
「……そうだね」
自分に足りない力は、誰かから借りればいい。
おれたちはずっとそうやって生きてきたんだから。




