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LOST COIN  作者: 早村友裕
第十章 DESIRE PAST
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SECT.5 土の大地

 次におれたちが向かったのは、『土』の悪魔が守護する大地だった。

 風の大地と変わりない、灰色の地面。境界がないとはいえ、徐々に弱まっていく風だけが、風の大地との別れを示していた。

 周囲を吹く風はぴたりと止んだ。とても静かな土地だ。

 本来はヴァレフォールが納めるべきこの地は、いまだ半身の悪魔だけでは不足していた。だから、かなり多くの悪魔がこの場所に住むという。

「アガレスさんは土の力を持つ悪魔だけど、ここにいるのかな?」

「はい。彼は進んで魔界の安定に尽力してくださいました」

 穏やかに大地を見下ろす魔界の王の隣で、イポスは再び筆を走らせていた。みるみるうちに描かれていく大地と、俯瞰図。集中しているのか、唇が少し尖っている。幼い表情をじっと見ていると、イポスがそれに気づいてふっと顔をあげる。

 気にしないで続けて、と言うと、イポスは再びスケッチブックに視線を戻した。

 風の大地は、川の流れる穏やかな土地にしたい。青空の見える、暖かな風が吹く、明るい場所になればいい。

 じゃあ、この場所は?

 土の悪魔が住まう土地。そう聞いて最初に思い浮かぶのは、見渡すかぎりに広がる草原だ。大地の実りに包まれる場所。たくさんの植物に覆われた豊かな大地がいいなあ。

 またも妄想の中に夢の大地を描き出す。

 もちろん、イポスが描いた土の大地は、殺風景な灰色の岩が転がるだけの土地だったけれど。


 風の大地では、ハルファス以外の悪魔に出会わなかった。でも、『土』は違った。

 地面に降り立った瞬間、ぽこぽこと湧くように地面から悪魔が現れた。コインの悪魔もいるが、大多数はおれが知らない悪魔たちだ。産まれて間もないのか、小さな悪魔が多かった。

 風の大地に住む悪魔たちは、遠巻きに見守るだけだった。ハルファスと戦っている間も其処彼処から視線は感じたが、一切姿を見せる事はなかった。

 しかし、この場所に住む悪魔は人間に興味があるようだ。

 びっくりしていると、風のない空気の中を、金目の鷹がすぅっと下りてきた。

「アガレスさん」

 手を伸ばすと、爪を立てないようにゆっくりとおれの腕に降り立った。

 それと同時に、おれの目の前に土から盛り上がるようにして一人の悪魔が形作られる。

「やあやあ、『柱』候補。魔界へようこそ」

 偉そうな口調で現れたのは、第7番目ヴァレフォール。長く伸ばした金の前髪の隙間から、血のように赤い目が覗いている。

「ヴァレフォールはおれを歓迎してくれるの?」

「不本意ながらネ」

 腕を組んだ少年悪魔は、偉そうにふんぞり返った。

「フラウロスが懐いてて、ハルファスが認めて、グラシャ・ラボラスが真の名を与えたんダロ。反抗する気もないヨ」

 肩をすくめたヴァレフォール。どことなくやる気のないその姿は、やはりあの孤高の伝道師を思い起こさせる。

「ヴァレフォールはフラウロスともハルファスとも仲いいんだね」

「ただの腐れ縁、ダヨ」

 そんなヴァレフォールの様子を見るリュシフェルはとても優しい笑顔だ。育て子の成長を見守る様なその表情は、慈愛に溢れていた。

 魔界の王リュシフェルは、滅びゆく魔界を留めるため、天使の片割れとして5人の悪魔を作ったのだという。ヴァレフォール、レラージュ、フラウロス、ハルファス、そしてグラシャ・ラボラス。

 もしかすると彼らは、リュシフェルの子供たちとも呼べるのかもしれない。

「……ハルファスって、誰とでも友達になれそうだよね」

 そう言うと、リュシフェルはくすくすと笑った。

「そうですね。あの気難しいレラージュでさえハルファスを無下には扱っていないようですから。それに、グラシャ・ラボラスともフラウロスとも仲が良いと聞きます。また、堕天の悪魔とも交流があるようですよ」

「案外すごいんだな、あいつ」

「ええ。『治める』という意味で見れば、堕天の悪魔が住む光の大地を除けば、どの場所よりよくまとまっていると思いますよ」

 ケタケタと笑いながら戦闘に興じるハルファスは、とてもそんな器には見えなかったけれど。

 あの分かりやすい性格がヒトを――悪魔たちの心を集めるのだろう。

 気づけばおれたちは、周囲を土の悪魔に取り囲まれていた。ほとんどがまだ幼い悪魔たちだ。土色の長いローブを着ているが、身長がおれの腰くらいまでしかない。

 興味を持ってくれたようで、おそるおそるこちらへ歩いてくる。

「ここはたくさん悪魔がいるんだね」

「勝手に集まってくるんダヨ。オレのせいじゃない」

「いい事じゃん」

 おれは、悪魔たちを見渡した。

 そしてにっこりと笑いかける。

「やあ、初めまして。おれはラック――じゃないな。『グレイシャー=グリフィス』、これから悪魔になる人間(・・)だ」

 そう言うと、幼い彼らは首を傾げた。

 いいんだ、まだ分からなくて。

「きみたちと、友達になりにきました!」

 アガレスさんが止まった手を思い切り振り挙げると、悪魔たちは驚いたのか少し引いた。そして、突然の事にバランスを崩したアガレスさんは、飛び立ってしまう。

 周囲が静まり返ってしまった。

 あれ、失敗?

 いたたまれない空気になってしまった。

 おれは誤魔化すように、一番近くにいた悪魔を捕獲した。悪魔らしく将来が楽しみな整った顔立ちをした幼い女の子だ。透き通るような赤い目をしている。

 腰の辺りを支えるように、両手で抱え上げる。

「名前を教えて」

 目線を合わせてそう問うと、彼女は小さな声で答えた。

「ルル・ラリ」

「かわいい名前だね」

 そう言って撫でてあげると、その子は頬を赤く染めた。ああもう、可愛いなあ。

 思わずぎゅーっと抱きしめると、おれの服の裾を引っ張られた感触。

 何だろうと思って見ると、イポスが拗ねたようにこちらを見上げている。

「どうしたんだ、イポス」

「……ボクも」

 どうやらイポスも抱きしめてほしかったらしい。

 可愛い悪魔のおねだりに負けて、おれはイポスを片手で抱きよせた。ふわふわの白髪が頬をくすぐる。

 そうすると、安心したのか幼い悪魔たちが寄ってきた。

 おれとリュシフェルに近寄り、誰もかれもが恐る恐る寄ってきて、小さな手で足のあたりにそっと触って行く。

 たまに意地悪をして捕まえてやると、きゃーっと悲鳴を上げながらも嬉しそうだ。

 小さな悪魔たちとじゃれ合っていると、時間を忘れそうだ。

 此処は楽園なんだろうか。

「よし、楽園にしよう」

 意味不明な言葉を呟いて、おれはこの場所を豊饒の大地にすることを決意する。

 あとでリュシフェルと話し合わなくちゃ。リュシフェルは、魔界に無駄なものを作る事に意義を感じてないみたいだから、放っておいたら殺風景なままだ。

 そうはさせない。

 おれが決意している事など気づいていないだろうリュシフェルは、幼い土の悪魔たちに群がられ、困惑の表情を浮かべていた。

 子供たちが群れる魔界の王。

 おかしな光景に、おれは思わず笑ってしまった。



 魔界にも、こんな平和な景色があるだなんて知らなかった。

 悪魔たちが人間の事を知らないように、人間も悪魔の事を知らない。魔界の事を知らない。グリモワール王国が滅亡した裏で、魔界が消滅の危機に瀕しているだなんて、知る由もない。

 おれたち人間も、自分の事で精一杯なんだ。

 でも、少しずつ知っていこう。お互いに知って行こう。

 少しずつでいいんだ。

 おれは、もっと悪魔の事が知りたい。



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