SECT.1 魔界の地図
「リュシフェル、ベリアルはどうしたの?」
「ひとまず、この場は退きましたよ。私とぶつかるのは早計だと感じたのでしょう。無論、ベリアルが世界の境界を越えれば分かります。ここから去ってからは、大人しくしているようですよ」
「そうか……よかった」
ほっとして起き上がると、魔界の景色が目の前に広がった。
魔界は不思議な場所だ。
見渡す限り何もない灰色の岩石の並んだ更地が続いている。光はどこから与えられているのかよく分からない。とは言え、リュシフェルが住んでいる城を見た事があるし、フラウロスさんと契約した時に言ったようなマグマの溶ける暑い地域もあるみたいだから、一概には言えない。
「そうだ。ねえ、リュシフェル。現世界にいる時にヴァレフォールから、ラースが……グラシャ・ラボラスがいなくなった事で、魔界が不安定になってるって聞いたんだ。それって、本当?」
「……本当です」
リュシフェルは彫刻のように整った顔立ちを憂いに歪めた。
「簡単にですが、魔力分布の均衡がとれるよう6属性の悪魔を配置していたのです。光、闇、水、炎、土、風の順に、円を描くように。この場所は、その6つで言えば闇の属性が守護する場所でしたから影響が大きかったのでしょう」
「そうなんだ……」
頭の中に図を思い浮かべようとしたが、うすぼんやりとした映像しか浮かばない。
ええと、光、闇、水、炎、土、風の順だから……
「ねえ、リュシフェル。魔界の地図ってある?」
「地図はありません。が、この世界はグリモワール王国を模して造りましたので、ほとんど分布は変わらないと思います」
「そうなの?」
うーん、でもまず、地図は欲しいな。
「イポス。いる?」
おれが呼ぶと、右腕に刻まれた紋章が熱くなり、ぽん、とその場に幼い悪魔が姿を現した。
「るーくっ!」
ふわふわとした白髪に赤目をしたまるでウサギのように愛らしい悪魔は、おれの腰の辺りにぎゅっと抱き着いた。よしよし、と頭を撫でてやると、相好を崩すこの悪魔は、本当に無垢で優しく、可愛い。
「お願いがあるんだ」
「なあに、るーく」
好奇心旺盛な瞳でおれを見あげるイポス。
「イポス、おまえは絵が得意だから、魔界の地図を描いて欲しいんだ」
「ちず?」
「そう。魔界のどこに、何があるかが分かるように『小さな魔界』を絵にするんだ」
そう言うと、イポスはにっこりと微笑んだ。
この幼い悪魔は、本当にかわいい。
「いいよ! 楽しそうだ!」
「お願いね」
肩車してやると、イポスはスケッチブックを取り出した。
さらさらさら、と何かを描いているようだ。
しばらくすると描き終ったようで、その一枚を千切っておれに渡してくれる。
「あっ、これ、グリモワール王国の地図だ!」
ディアブル大陸西岸にあたる左手は海、北は大国ケルトと接する大山脈グリディア、南は隣国アールとの国境アルマデル山脈で、西は大きく広がったグライアル平原だ。グライアル平原の中央少し東寄りがセフィロト国との国境だ。
「魔界の地図はほぼこれと変わりありませんよ」
リュシフェルはそう言って、おれの持つ地図を覗き込んだ。
あまりにも整った顔が近くなり、相手が悪魔だと分かっていてもドキドキしてしまう。柔らかそうな長い睫毛に縁どられたコバルトブルーの瞳は宝石より美しく澄んでいる。生命感はないのに光溢れるその色味に、おれは息を呑む。
「この部分、現世界で言う『北の都カイン』の場所が闇の守護する場所です。王都ユダに光、東の都トロメオには炎が配置されています」
リュシフェルは本当に綺麗だよなあ。たぶん、アレイさんの次に好きな顔はリュシフェルだと思う。マルコシアスさんと迷うけど……。
あ、でも、クローセルさんも綺麗なんだ。ねえちゃんが死んじゃってから会ってないけど、元気かなあ。口の悪い堕天の悪魔を思い出し綻んでいると、リュシフェルが首を傾げていた。
「聞いていますか、ルーク?」
「あっ、ごめん……」
聞いてなかった、と正直にいうと、リュシフェルは嫌がりもお説教もせずにもう一度説明してくれた。
今の、シドだったら確実に怒ってたよ!
リュシフェルは優しいなあ。
魔界の王は、おれが全く話を聞いていなかったせいにも関わらず、もう一度丁寧に地図を見ながら解説してくれた。
「つまりは、魔界の土地いっぱいに描いた六芒星の頂点にそれぞれの属性を振り分けてるんだね」
「そうです」
イポスの描いた地図の上に指を滑らせながら説明してくれたリュシフェル。
おれも大体の位置関係を把握することが出来た。
ほぼ円形をしたグリモワール王国に三角を二つ、反対向きに重ねた六芒星の魔法陣を描いたようなものだ。
三角の頂点を光、水、土、もう一つの三角の頂点を闇、炎、風が占める。
王都ユダに位置する属性は光。リュシフェルやマルコシアス、クローセル、アガレスと言った堕天の悪魔たちがそれぞれ城を構えているらしい。
そのちょうど反対側、東の都トロメオに位置するのは炎。魔界では珍しい火山地帯で、フラウロスを配置していると同時に、現世界でもグライアル平原のフラウロスとカマエルの戦闘跡地と一致するようになっているらしい。
対角線上のその二つを基準に、水にはレラージュ、土にヴァレフォール、風にハルファス。
そして、北の都カインのある場所にはグラシャ・ラボラスがいたのだという。
「それぞれの属性を持つ悪魔たちは、集まる性質がありましたから、この分布を基準にしてほとんどの悪魔が住み分けていたのです」
「ベリアルもこの辺りにいたの?」
「いいえ、彼は私との接触を嫌い、正反対の土地……南の、水と炎の境あたりにいる事が多かったようです」
「例えばだけど、ベリアルがこの地にいれば不安定さは収まる?」
「そうですね。もしくは、マルコシアスがこの場所を治めるならば、問題はないでしょう」
「でも、そんな事でみんなの居場所を縛りたくはないなあ」
マルコシアスさんだって、主であるリュシフェルさんの近くにいたいだろうし、他の悪魔たちだって自分の住む場所くらい自分で選びたいはずだ。
そう言うと、リュシフェルは静かに微笑んだ。
「ルーク。貴方のそう言うところが、私は好きですよ」
うわあ。
なんて綺麗な笑顔なんだろう。こんな風に笑って、好きだなんて言われたら、顔がにやけてしまう。
「えへへ、おれもリュシフェルが好きだよ」
あ、でもこれって浮気かなあ?
「僕も、るーく好きだよ!」
肩の上に乗ったイポスがおれの頭に抱き着いてくる。
「イポスも大好きだぞー!」
そう言ってぐるぐる回ると、イポスはきゃっきゃ、と楽しそうな笑い声をあげた。
そうやってひとしきり笑いあった後、リュシフェルは一つ、提案をした。
「ルーク。もし、貴方が悪魔の存在そのものを縛りたくない、と言うのであれば、一つだけ方法があります」
「できるの?」
問い返すと、リュシフェルはゆったりと頷いた。
「6属性の力をそれぞれ固めた魔力の結晶石を6か所に配置するのです。かなり大きな力を集める必要がありますが、それらを生成してしまえば、その後、バランスを考える必要はなくなるでしょう」




