R-002 真実
じぃ様の所から家に戻ると父さんと母さんがあたしとマルコを呼んでリビングのソファに座らせた。
いつになく不穏な空気が流れていて、思わず緊張した。
先ほど訪れていた知らない男性はいったい誰だったんだろう?あの様相からするとセフィロト国の騎士のようだったが。
「ラスティミナ。マルコシアスも、よく聞きなさい」
父さんが本名で呼ぶのはとても久しぶりだった。
「大切な話がある」
「どうしたの、改まって」
あたしはマルコと二人顔を見合わせる。
父さんは困ったように笑うと首をかしげながら言った。
「うーん、何から話していいのか私にも分からないんだ」
「何だよ、それ」
隣に座ったマルコがけらけらと笑う。
こいつにはこの重苦しい空気が分からないのだろうか。
「でも二人とも言葉が理解できない年でもないだろう。これから言うことはすべて本当だからとりあえず聞いて欲しい。分からない事があったらすぐに聞くといい」
父さんはそう前置きしてから、ゆっくりと話し始めた。
「まずは最初に、18年前の戦争のことを話さなくてはいけない。セフィロト国は今も昔も天使を崇拝してきた。それは国に使える神官が天使を召還し、その力を借りる事が出来るからだということは知っているね」
「うん、それは知ってる」
実際にその神官に会った事もないし天使を見たこともなかった。けれど、『セフィラ』と呼ばれる神官が天使を使役するというのは、学校でも最初に習う一般常識だ。その神官は王に次ぐ位を持っている。
メタトロンに始まり、ミカエル、サンダルフォンまでを含む全部で10人の天使。それを司る10人の神官――王都に在るという彼らは全国民の憧れと崇拝の的だった。
「じゃあグリモワール王国のことは知っているかしら?」
母さんの言葉にマルコと二人、こくりと頷く。
じぃ様のおかげで同じ世代の子供たちに比べれば飛びぬけた知識を持っていると胸を張って言えた。
「老師に感謝しなくてはいけないな。すぐ本題に入れそうだね」
そう言って笑った父さんはいつもと変わらないように見えた。
それなのに、父さんはまるで冗談を言うような口調でさらりと続けた。
「きっと賢しいお前たちのことだ。もうとっくに気づいているだろうが、ダイアナも私もお前たちの本当の両親じゃない」
「……突然だね、父さん」
あまりに突然の軽い告白に隣のマルコは思わず笑ってしまったようだ。
あたしは……反応できなかった。
確かに何となく気づいていたことではあるが、はっきりと父親から宣告されるのは16歳の少女にとっては衝撃的すぎたからだ。
その困惑が伝わったのか、父さんも困ったように笑い返してくれた。
あたしはとても混乱していたけれど、必死でその心臓を落ち着けて父さんの言葉に耳を傾けようと努力した。
でも、父さんはまたも突拍子もない事を言い出した。
「きっと最初に言っておくべきことは、ミーナとマルコの両親がグリモワール王国でも非常に高い地位に在る人達だったということだろう」
「!」
「ああ、だから僕の名前は悪魔のマルコシアスと一緒なんだね」
マルコはいつもと変わらないのんびりとした口調で納得した。
信じられない図太さだ。こいつの心臓にはきっと毛が生えているに違いない。
「そうだね。両親は君にマルコシアスのように強い心を持って欲しいと願っていたんだろう」
心の準備はしていたはずなのに全くついていけなかった。
ああもう、今日はいったい何度衝撃を受けたらいいんだろう? あたしの心臓は果たして耐えられるんだろうか。
頭を抱えていると、父さんはにこりと微笑んだ。
「それでは要点だけ話そう。二人の両親はセフィロト国と実際に戦場で交戦し、セフィロト国軍に甚大な被害をもたらした。それこそ伝説に残るくらいにね」
伝説――そう言われて、一瞬どきりとした。
「しかし二人の両親は重傷を負い、生死不明とされて第一級のお尋ね者として指名手配されたんだ」
「……その口調からすると、僕らの両親は生きてるみたいだね」
マルコがそう言うと、父さんは困ったように眉を寄せた。
「全く、マルコは相変わらず変なところで鋭いな……そうだよ、確かに二人の両親は生きている。だが、これだけは勘違いはしないでくれ」
「なあに?」
「両親は、君たちが嫌いだから捨てたわけじゃない。ある任務のためにあちこちを飛び回っているんだ。何より、お尋ね者だから一所に留まるわけにはいかない。まだ幼かったミーナとマルコを連れて行くわけにはいかなかったんだ」
そう言われても、なかなかピンとこなかった。
何より、あたしとマルコの両親は父さんと母さんだけだ。本当の、と言われて預けられた、と言われて、それでも仕方なかった、と言われてもなんだか他人事のように聞こえた。
「わかったわ、父さん。でも、その前にどうしてその……あたしたちを引き取ったの?」
それには母さんが答えてくれた。
「あなたたちの父親が私の弟なの。つまり私にとってあなたたちは血縁関係で言うと本当は甥と姪にあたるわけね」
「ああ、だからミーナの瞳の色は母さんと一緒なんだね」
「そうよ。弟の瞳も紫だったわ」
その言葉にどきりとした。
紫の瞳。あたしと同じ色。ずっと憧れてた、伝説上の天文学者。
「じゃあ母さんたちもグリモワール王国の要職にいたんじゃない? その、僕たちの生みの親だって人の血縁者なんだから」
「ふふ、クラウドはね、グリモワール王国の騎士団長だったのよ」
母さんは嬉しそうに微笑んだ。
「騎士団長?!」
あたしは思わず口をあんぐりと開けてしまった。父さんが強いのは知っていたけれど、まさか騎士団長だったとは!
「昔の話だよ。でも、ミーナが騎士になりたいと言ったときは流石に驚いたけれどね。これは血かと思ったよ。いや、血の繋がりは全くないんだけれどね」
そう言って父さんは楽しそうに笑った。
いや、そこは笑うところではない。普段から父さんは何事にも動じなくてすごいなあと尊敬していたのだけれど、もしや神経が図太いだけなのではないだろうか?その点ではマルコととてもよく似ている。
血縁関係はないけれど?――ああ、それはもういいのよ!
完全に混乱してしまった。
「話を戻そう。とにかく二人の両親はセフィロト国から追われる立場にあるのだ。そして問題なのは、二人がその両親に生き写しの容姿をしていると言う事実なんだ」
あたしとマルコは思わず顔を見合わせた。
物心ついた時から隣にいた顔だ。目を閉じたって思い浮かべる事が出来る。
性格に似合わない切れ長の眼とそこにおさまる黄金の瞳、黙って座っていれば美少年だと絶賛してもらえる端正な顔立ち。象牙色のすべらかな肌は男にしておくのがもったいないくらいだ。
「ミーナなんて出会った頃のラックにそっくりよ」
「ラック……て?」
「あなたの母親の名前よ。とてもかわいいのよ! 本当、瞳の色以外はあなたに生き写しだわ。今も元気にしているのかしら」
「マルコも日に日にアレイに似てきたよ。あ、アレイというのはダイアナの弟、つまり本当の父親の名前だよ。その愛想のなさそうな目つきがそっくりだ」
昔を懐かしむように父さんと母さんは目を閉じた。ラックという母親とアレイという父親のことでも思い出しているんだろうか。
これでは話が進まない。
と思っていたら意外にもマルコが先に進めた。
「それはいいけど父さん、どうしてそんな話を急に? 今日来ていた人と関係あるの?」
「うーん、今日来ていた人というよりは国にお前たちの存在を知られてしまった事自体が問題なのだ」
父さんはそこではあ、とため息をついた。
「何しろ第一級お尋ね者の娘と息子だからね。しかも言い逃れ出来ないほどによく似ている。お前たちの両親を知る者が見ればすぐに分かってしまう。そこで、だ」
どうやらここからがやっと本題らしい。
あたしとマルコはぐっと身を乗り出した。
「この街を離れて欲しい」
「「ええっ?」」
思わず素っ頓狂な声が出た。ここまで平然としていたマルコもさすがに驚いたようで、二人見事にハモってしまった。
「いや一時的でいいんだ。捜索の手が弱まるまで、少し遠いがカトランジェという街に隠れていて欲しい。そこはお前たちの母親の故郷だからきっとよくしてくれるはずだ」
「カトランジェってどこ?」
「グライアル草原を越えて、ラッセル山を越えたところだ」
「遠いわ! 馬車で何日もかかるじゃない!」
悲鳴のような声が出た。それはあまりに遠すぎる。
「いつまでそこにいたらいいの?」
「分からない。だが、危険が去ったと思ったら迎えに行くよ。必ず。だからカトランジェで大人しく待っていて欲しい」
父さんの翡翠の瞳が真剣な光を帯びた。
あたしはこの目に弱い。どうしても逆らえなくなってしまうのだ。
「分かったわよ。マルコも行くわよね?」
聞くと、マルコはいつになく真剣な顔をしていた。もともと顔立ちは端正で凛としている。真剣な表情をすると近寄りがたい雰囲気をかもし出す。
「マルコ? どうしたの?」
恐る恐る聞くと、マルコははっとしたように頷いた。
「あ、うん、行くよ」
その瞬間に父さんと母さんの顔が輝いた。
「そうか、よかった。それじゃ、今夜のうちに馬車を手配したから準備してくれ」
「え、今夜? 急すぎない?」
「その方が都合がいいんだ。いいね、すぐに準備しなさい」
「はあい」
仕方がない。きっとすぐに帰れるだろうし、簡単に荷物を用意しよう。
ソファから立ち上がろうとすると、母さんは何処からか小さなオルゴールを取り出してきて、それを目の前のテーブルに置いた。
複雑な紋様が一面に装飾されていた。黒を基調にしたそのデザインはどこかで見た事がある――そう、じぃ様の家で見た悪魔の本の表紙に記されている悪魔紋章と同じだった。
父さんはゆっくりとそのオルゴールを開いた。
ねじが巻かれていないのかメロディーが流れることはなかった。
「これを持って行くといい」
オルゴールの中から何かの羽根を4枚取り出した。
純白の羽根と、少し根元が黒く染まった羽根がそれぞれ2枚ずつだった。
「お守りだ。それぞれ一枚ずつ持っていなさい」
その羽根はどちらも極上の手触りで、風もないのに手の中でさざめいた。
「これ、何の羽根?」
「秘密だ。だが、きっとお前たちを守ってくれるだろう。本物の親からのプレゼントだ。何しろ彼らがお前たちに残したのはこの羽根と、その名前だけだったからね」
ほんの数時間で準備を終えた。荷物はほとんどない。いつも持ち歩いている一振りの小太刀と少ない着替え、それと先ほどもらった二枚の羽根を鞄につめた。動きやすいようにショートパンツと短衣を着て遠出用のごつい皮ブーツを履いた。
マルコもいつもの7分丈のズボンにノースリーブ、お気に入りの黒い篭手をしていた。さすがにサンダルは履いていたが、それすら面倒だと思っているのはよく知っていた。
馬車に乗る前、父さんと母さんはそれぞれ頬と額にキスしてくれた。
「マルコシアスのご加護を」
決して人の前では言えない、悪魔への祈りも込めて。
その加護を受けてから、あたしとマルコは馬車に乗り込んだ。
「ねえ父さん」
マルコは馬車の窓を開けて父さんに問いかけた。
「本当の名前、教えて。父さんと母さんの。それと、まだ見たことない二人の名前も」
「……困った子だ」
父さんはやれやれとため息をついた。
「私の名はクラウド=フォーチュン。元グリモワール王国、漆黒星騎士団の団長だ。ダイアナはダイアナ=フォーチュン。彼女ももともと地位の高い貴族出身だ」
漆黒星騎士団の名は、いつだったかじぃ様の話に出てきた。それは王国で3本の指に入る屈強な騎士団の名だった。
既に滅びた王国ではあるが、それほどの騎士団の団長だったなんて……さらに父さんのことを誇りに思えた。
「だが、残念ながらお前たち両親の名は教えられない。すまないな」
マルコは父さんの言葉を聞いて少し悲しそうな顔で微笑んだ。端正な顔にその表情がとてもよく合っていて壊れそうに危うかった。
「私とダイアナの名も、決して人前で出してはいけないよ。できれば忘れてしまった方がいい」
「うんわかった、ありがとう。父さん、母さん……絶対忘れないよ」
見たことのないその表情に思わずどきりとした。
「行ってきます!」
母さんと父さんはいつもと変わらない笑顔であたしとマルコに手を振った。
あたしも馬車の窓を開けて大きく手を振り返していたのに、マルコは何か考えているような表情で座り込んでいた。
馬車が走り出してからもじっと黙り込んだままだった。
闇の中を走る馬車の中でランプの明かりが一つ揺れていた。マルコの頬には影が落ちていて、整った顔がさらに映えている。
「どうしたのよ、マルコ。眠いの?」
「違うよ」
「じゃあどうしてそんなに黙り込んでいるのよ」
そう言うとマルコの金の瞳が揺らいだ。言うべきか言わざるべきか迷っているのがありありと見て取れる。
沈黙の中で車輪の音だけがやけに耳についた。
苛々して思わず怒鳴ってしまった。
「何よ、はっきりしなさい!」
「わ、分かったよ」
マルコは俯いたままぽつりぽつりと言葉を紡いだ。
「僕の気のせいだといいんだけど……父さんと母さんにもう会えないような気がして」
「えっ?」
予想外の言葉に眉を寄せた。
「だって父さんはグリモワール王国の騎士団長だよ? 僕らの両親だっていうレメゲトンに負けず劣らずの第一級お尋ね者じゃないか!」
「あっ!」
気づかなかった。本当の両親のことを知らされたショックで、遠い町に移動しなければいけないという切迫感で。
先ほどからマルコが何か思索に耽っていたのはこれだったのだ。
「僕らより父さんと母さんの方がよっぽど危険だよ。それなのに、僕らを逃がしたのはきっともう逃げられないと悟って僕らだけでも……逃がそうと……だからこんな夜中にこっそり……」
マルコの声が消え入りそうに霞んでいった。
それと同時にあたしの顔から血がサーっと引くのが自分でも分かった。
何故気づかなかったんだろう。全くその通りじゃないか!
どうして散歩に出るような気楽さで家をでてきてしまったんだろう。王国に狙われるなんて人生を左右するような恐ろしい出来事だというのに。
あたしはそこでやっと事の重大さに気づいた。
王国の追っ手が落ち着いたら、なんてそんな甘い話じゃない。あたしはこの顔をしている限り永久にセフィロト国から追われるという事なのだ。人生全部をかけて逃げなくちゃいけないという事なのだ。
騎士になりたいなんて言っている場合じゃない。
急にすごく怖くなった。
父さんと母さんの元へ帰りたくなった。
「降ろして! お願い!」
馬車の前面の窓をどんどんと叩いた。
御者は全く反応する気配がなかった。それでも窓を叩き続けた。
車輪の音ががたがたと響いて、街ははるか後ろにまで遠ざかっていた。




