SECT.17 滅びの力
アレイさんの参入で、狼の姿をしていたマルコシアスは、すうっと少年の姿に戻った。
その瞬間にも、彼の周囲では滅びの力が弾けている。赤黒い火花が、マルコシアスの純白の翼の端を焼く。
「その力はレティの系譜に渡したものだ。今さら」
断ろうとするマルコシアスに、アレイさんはさらに続けた。
「では……共に戦う、というのは駄目ですか?」
彼らしくない焦った声音が事態のひっ迫している様子を伝えていた。
ここでマルコシアスを失うわけにいかない。アレイさんが、1対1の決闘に手を出すという無粋な真似をしたのもそのせいだ。何を置いても、マルコシアスを失わないたくないからだ。
しかし、マルコシアスは頑なだった。
マルコシアスの力が押されている。もうラースの『滅び』が彼に到達するまで幾ばくも無い。
おれだって、マルコシアスさんが好きだ。
ねえちゃんの護身術を除けば、最初に剣を教えてくれた師匠だし、何よりアレイさんの大切な悪魔でもある。
そしてアレイさんも好きだ。大好きだ。
消えてしまったら泣くだろう。ねえちゃんを失くした時のように、我を忘れて悲しむだろう。そして今度こそ、世界を滅ぼしてしまうかもしれない。
今度はラースの力じゃなく、おれ自身の魔力で――
「ラース」
でも、おれはいつしか、ラースの事だって当たり前に身の内に置いていた。左手に宿る悪魔がいる事が普通になっていた。
いつ暴走するか分からない爆弾だと思いながら、無邪気な悪魔を切り捨てられずにいた。しかしラースが暴れ出すのはおれが絶望を喰らった時と、マルコシアスさんが関連する時だけだ。
いつだってラースは、おれの望みどおりに動いてくれた。
全部破壊するって言ったのはおれで、世界が終わってもいい、って言ったのもおれだ。
「おいで、ラース」
ラースはぴくりと耳を動かした。
「ナニ ルーク 邪魔シないデよ」
「ラース、おれの体を貸してやる」
魔力の話を聞いて、意識的に魔力を感じ取るようになってから感覚的に分かった事がある。
悪魔は、現世界で安定しない。まるで水に落とした砂糖が水に溶けて行くように、魔力が常に流れ出して行ってしまうのだ。それはマルコシアスもラースも例外ではない。
だから悪魔はヒトと契約するのだ。
現世界でも魔力が流れ出さない『ヒト』という身体を――器を手に入れる為に。
ラースのような悪魔までコインでの契約を結んだのが不思議だったけれど、そう考えればよく理解できた。
「いいノ? ルーク!」
嬉々とした悪魔の声で、その仮説を確信する。
この戦いが終わったら、魔力について、悪魔について分かった事を書き記しておいた方がいいかもしれない。それはいつかきっと、新しい契約形態を創る手掛かりになる。
アレイさんとマルコシアスさんの方を見る。
おれがラースに体を貸すなら、とマルコシアスさんも心を決めたようだ。
アレイさんの身体にマルコシアスが吸い込まれていった。
黒髪に赤い目をした騎士は、左手の剣を一振りした。端正な顔立ちもバランスのとれた長身も、すべてが完璧なその姿に、釘付けになる。
悪魔騎士。
彼がそう呼ばれるのは必然だ。
マルコシアスの中に半分、アレイさんの中に半分眠っていた力が合わさり、最凶の悪魔と同じ力になった。
そして、おれの中にもラースの意識が入り込んでくる。
歓喜のみで構成されたラースの意識は、不快ではなかった。
ラースを『殺戮と滅びの悪魔』にしてしまったのは、人間だ。大きな力の使い方と、大きな力を持った悪魔の導き方を少し間違えてしまっただけだ。
使い方を間違えなければ、それは恐ろしいものではない。
何しろ、同じ滅びの力を持つ天使メタトロンは神様なのだ。
グラシャ・ラボラスの滅びと、リュシフェルの創造。
これらの力は対になり、世界創成の力となる。
グリモワール王国が500年前に建国した時、ユダ=ダビデ=グリモワールとゲーティア=グリフィスによって一度作られた理を、破壊してから作り直す。
魔界には、ラースとマルコシアスの力が必要なんだ。
おそらくは、『二人のどちらかだけが生き残った状態で』。
口元に牙がのびる。背には膜翼が広がり、翳した手の爪が肥大化して肉食獣のモノになった。
感覚全てをラースに明け渡す。
「これで同ジだナ 半端者」
喉の奥から、自分のものではない声が漏れ出す。
マルコシアスさんとアレイさんを倒したい訳じゃない。消したい訳じゃない。
でも、ラースにだって消えてほしくはない。
難しいね。
だからと言って、この決闘を止めようなんて思わない。それは、魔界のためじゃなく、ラースとマルコシアスさんの為に。
マルコシアスと同調したアレイさんがサブノックの鍛えた長剣を振りかざす。
その剣は、ラースの発した滅びの力を、正面から分断した。
ラースの目で見て、息を呑む。
滅びの力すら受け付けず、一刀のもとに切り捨てる。
これが悪魔騎士アレイスター=クロウリー。
戦の悪魔マルコシアス。
グリモワール王国が歴史の最期に生んだ、神に等しい存在。
ラース。
カークリノラース。
美しい悪魔の名を呼ぶ。
「なあニ ルーク」
ラースはおれの幼少の頃の名を呼ぶ。
そうだね、最初におれの望みをかなえようと契約してくれたのは、ラースだったもんね――
負けないで。
そう言うと、ラースは確かに笑った。とても嬉しそうに。
そして、全力で地を蹴った。
長剣が凄まじい速度でおれの頭上を通り過ぎていく。
周囲を滅びの力に囲まれた。
最小限で済む方向に向かって、ラースがおれを導く。
上着の端と、髪が少しはじけ飛んだ。
大丈夫、まだ五体満足だ。
ラースはコインの埋まった左手を翳した。アレイさんを中心に、滅びの魔力が渦を巻く。
しかし、悪魔騎士は慌てず、ただ左手の剣を一振りした。
渦巻いていた力が霧散し、刃のような形をした魔力がこちらに向かって迸る。
おれは咄嗟に右手で腰のショートソードを抜き放ち、その刃を弾いた。
ラースの支配があるはずなのに、とても自然な流れだった。
喉から咆哮が上がる。
少なくとも、おれの声ではないし、身体の支配権が戻ったわけでもない。
しかし、この瞬間、おれは間違いなくラースと体を共有していた。
視覚も聴覚も触覚も、すべてを滅びの悪魔と共有し、意識さえも境界が曖昧になっていた。
だからこそ気づいてしまった。
おれとラース、アレイさんとマルコシアスの滅びの力が同等だとしたら、勝敗を決めるのは鍛えてきた技術だ。
これまでただ強大な力に任せてふるってきたラースは、マルコシアスに勝ち目はないだろう。
先程までの勝敗図は、おれとアレイさんの介入によって逆転した。
ごめん、ラース。
ラースはとっても強いのに、おれが弱くてごめん。
ラースが左手を高々と掲げる。
アレイさんも同じように左手の剣を天に向かって突き上げた。
次の瞬間、まるで無差別の落雷のように、グライアル平原に滅びの力が降り注いだ。




