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LOST COIN  作者: 早村友裕
(幕間)FRAUD CALM
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SECT.12 リリィ

 全身に高揚感があふれた。目の前の悪魔の姿は消え、手の中に握り締めた薄く丸い物体が熱を帯びていた。

 相変わらず目の前は真っ暗闇だったが、足元の感覚から大人たちから逃げて飛び込んだあの暗い部屋に戻ったことが分かった。

 ところが、足を踏み出そうとすると自分の意志で体が動かないことに気づいた。

「流石 あいつの子孫ナダケある このカラダは使いヤスい」

 自分の喉から自分のものとは違う声が漏れる。

 手の中にあった熱い何かを服のポケットにしまうと、

「さア ハジめよう」

 自分の体をのっとったカークリノラースはにやりと笑った。


 カークリノラースは凄まじい速度で先ほど降りてきた階段を駆け上がった。

――ねえ、カークリノラース

「何ダい? ルーク」

――名前長いから、ラースって呼んでもいい?

 そう言うと、悪魔は一瞬口をつぐんだ。

 階段の途中でなぜかいったん停止する。

「いいヨ 好キニ シタら?」

――ありがとう

 そう言うと、カークリノラースは……ラースはもう一度階段を駆け上がった。

 あの、銀の光があふれる部屋へ。


 まばゆい銀の光に、一瞬目がくらむ。

 が、次の瞬間には、口元に何かを噛み砕いた感触とぬるりとした生暖かいものがかかる感覚があった。

 いったいなんだろう?

 視界が戻ってくる。

 最初に見えたのは深紅。

――え?

 手足の感触、全身にかかる負荷から、垂直な何かにしがみついていることが分かった。

 口の中を生暖かく独特のにおいのする液体が満たしていく。

 蹴り飛ばすようにしてラースが離れたそれは、まぎれもなく人間の体だった。

「フフ 全部 壊シてアゲよう」

 先ほどまで魔方陣を取り囲んでいた黒いローブの大人だ。

 今はフードが外れ、真っ赤な血をまき散らしながら仰向けに倒れていた。その眼は恐怖によって大きく見開かれている。

 ラースはそれに目もくれず、さらに次の標的に向かう。

 黒いローブをまとった数人の大人たちはうろたえ、壁際に追いつめられていった。

「あいつノ末裔 滅ぼシていいカナ?」

 ラースの声が薄暗い地下の部屋に響く。

 口の中に残る生暖かいぬるぬるとした液体はヒトの血だ。

 背後に佇む銀の光を纏ったリュシフェルに目をくれる事もなく、地を蹴った。


 一瞬で目の前に黒いローブが迫る。

 目の前が真っ赤に染まる。

 耳をつんざくような悲鳴が鼓膜を揺らす。

 恐怖に震える暇もなく、数名の大人が血の海に伏した。

「マだ 上にイルね」

 ラースの声が響く。

 次の瞬間には天井が音もなく消失した。

 背に何かが広がる。視界の隅をかすめたそれは漆黒の膜翼だった。


 いったい今、何が起きている?

 全く何も分からないまま、ただ真っ赤に染まる視界を認めてしまっていた。



 ラースは真っ暗だった空間から明るいホールに着地した。

 足もとには真っ赤な絨毯が敷かれ、吹き抜けになった天井には綺羅めかしいシャンデリアがいくつもの明かりを灯している。見渡すと目の前には全面に張られた窓。その向こうには丁寧に手入れされた庭が広がっている。

 西に傾いた橙の陽光が窓全体から差し込んでいた。

 女性の悲鳴が響き渡る。

「グラシャ・ラボラスが!」

「殺戮の悪魔が目覚めた!」

 それを聞いたラースはにやりと笑う。

 未だぬるぬると気持ち悪い感触を残す唇をぺろりと舌でなめ、悲鳴を上げた女性に狙いを定めた。

「ダイじょうブ 一人ダッテ 逃サナい」

 凶器と化した牙が女性の首筋に食い込む。

 飛び散った血が自分の顔にかかって生ぬるい感触を与えた。

 視界に映る手も真っ赤に染まっている。簡素な短衣もじっとりと濡れて重くなっていた。

「なぜにえが殺戮の悪魔を呼び覚ましたんだ!」

「リュシフェル様は?!」

 逃げ惑う大人たち。

 ラースは何の躊躇もなくそれに飛びつき、牙にかけ、床に沈めていく。時に四足で長い廊下を駆け、剣を手にした大人たちさえも嘲笑あざけわらうように殺戮を重ねていった。

 大人だけではない。時折見られた子供の影も、ラースは容赦なく血の海に沈めていく。

 眼に映る人間をすべて殺戮の牙にかけてからラースがふっと動きを止める頃には、もう感覚などなくなっていた。


 目に映るのは深紅のみ。

 動くものなど一切ない静けさの中に、自分は一人佇んでいた。

 ふと見た窓の外に、黒い石造りの塔を発見する。

 あれには見覚えがある。

――あれ、わたしの塔だ

 生まれてからずっと閉じ込められていた塔。寒い時期には小さな手足をかじかませ、震えながら暮らした塔。

「アレも 壊ソウか?」

 ラースが問う。

 一瞬心が揺らいだ。

 が、思いとどまる。

――いい。あれは、リリィとの思い出がたくさん詰まっているから

「ソウ?」

 ラースは塔から視線を外して歩き出した。


 廊下は凄まじい数の死体で埋め尽くされている。

 むせ返るような血の匂いが麻痺したはずの鼻をつく。

 やっと少しずつ感覚が戻ってきた。

 背筋がぞくりとする。

 この人間を倒したのは全部自分。惨劇を作り出したのは自分。何人も、何人も死んでしまって……

 ひくりと全身が引きつる。

 もっとも、体の支配権を持たない今はその感覚だけが全身を駆け抜けたが。

「どうシタの? ルーク」

――ラース、みんな殺しちゃったの?

「そうダヨ だってキミの世界ヲ 壊スと言ったダロウ?」

 その言葉に、ざぁっと血の気が引いた。

 足元に転がるは人間だった塊。全身を濡らす深紅の液体。口の中に残る感触。

 すべてが自分の犯した事実を物語っている。

 ところが、事の重大さに気づいてもう一度思考が停止する前に、ラースの声が響いた。

「もうヒトリ 残ッテた」

 視線の先にいたのは――黒髪にオレンジの瞳を持つ女性。

 ずっと自分の話相手をしてくれていたリリィだった。



「逃さナイよ」

 ラースが構える。

 地を蹴る。

 大きく目を見開いたリリィが目の前に迫った。

――やめて!

 思わずそう叫んでいた。

 その瞬間、ばちん!と大きな音がして急激に体の感覚がリアルになった。

 どさり、と床に倒れ落ちる感覚があった。

「何ダよ 邪魔シナイでよ ルーク」

「このヒトは、だめ……」

 体中血にまみれて力は全く入らない。なんとか顔をあげるのがやっとだった。

 もうすでにたくさんのヒトを手にかけて、今さらどうしようもなかったけれど、これだけは譲れなかった。

 そこでやっと自分の声が出せたことに気づく。

 はっとすると両手足の制御権が自分に戻っていた。

 目の前には黒い毛並みの狼が炎妖玉ガーネットの瞳をギラギラとさせてこちらを睨んでいた。その強大な威圧に背筋が凍る。

「ル、ルーク……」

 リリィがかすれた声を出す。

 その顔は恐怖にひきつっていた。

「ラース、やめて。リリィだけは……やめて」

「例ガイは 認めナイよ」

 がたがたと震えているリリィはすでに壁際まで追い詰められている。

「やめて……大好きな……ヒトなんだ」

 狭い狭い世界で、唯一自分の味方だったヒト。

 動かない体を無理やり動かしてリリィのもとへ向かう。

 ところが、リリィの口から出たのは信じられない言葉だった。

「いや……近寄らないで……!」

 恐怖に震えるオレンジの瞳が恐れているのは、まぎれもなく自分――ラースに乗っ取られたとはいえ、自らの肢体を使ってこの屋敷にいたすべての人間を葬り去った自分。

 その瞬間、自分の中の何かが壊れた。

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